古典への招待

作品の時代背景から学会における位置づけなど、個々の作品についてさまざまな角度から校注・訳者が詳しく解説しています。

王統の純愛物語

第29巻 狭衣物語(1)より
『源氏』以後の物語愛好熱
『源氏物語』が世に出て半世紀、貴族社会の少女たちに及ぼしたその影響力の大きさは、『更級日記』の一節からありありとうかがうことができる。その『源氏物語』誕生のパトロンというべき道長の安定政権を、長子頼通よりみちが継ぎ、一世代前の兄弟争いがうそのように、一族が輩出した天皇たちの代替りを平穏に見守っている、一見まことに穏やかな時代が、この物語成立の背景になる。頼通自らは子に恵まれなかったが、養女の〓(女偏+原)子げんしの遺児である二人の内親王(祐子ゆうし〓ばいし)の後見を契機に、後期摂関時代を華やかに彩る後宮文化が花開いたのだった。『狭衣物語』の実際の成立年代は院政初期・白河朝の初めころかとされるが、作者と目される六条斎院宣旨せんじの物語ごころを養ったのは、まさしくこの頼通政権下の後宮を風靡ふうびした物語愛好熱に他ならない。姉宮の祐子内親王(高倉の一の宮)を頼通が主として後見し、妹の〓子内親王(六条斎院)を頼通の妻の弟である源師房もろふさが後見しているが、彼らの庇護ひごのもとに、両宮家では早くから盛儀歌合うたあわせが催され、「物語歌合」なるものが試みられてもいる。祐子家女房となった『更級日記』の作者・菅原孝標たかすえの娘は同時に、「寝覚め」「浜松」「みづからくゆる」「あさくら」などの物語作者とも伝えられる。
 主人公「狭衣大将」は一世源氏「堀川の大臣」の鍾愛しようあいの一人子である。この堀川の大臣という人、(光源氏のような更衣腹でなく)紛れもない天皇と皇后の嫡子ちやくしでありながら、訳あって臣籍に下り、兄弟の天皇たちの世俗的後見を一手に引き受けている不思議な器量人として設定されている。本来なら天皇の外祖父が負うべき摂関の役割を、天皇の同母兄弟である源氏が負うというのは、摂関が後見のらちを超えて皇権を冒すことの多かったこの時代に対する女たちの無言の批判かもしれない。ともあれ、父堀川の大臣も世が世なら皇位にけたはずの人であり、その潜在王権はやがて、巻四の狭衣即位によって見事に立証されることになる。皇権に限りなく近く、しかもその血と誇り高さはそのままに、現実には数等低い地位に甘んじて生きなずむ、判官ほうがん贔屓びいきの女たちをくすぐる設定ではある。かつて、光源氏の物語を成功させた鍵が、まさしくこの「貸し」の論理であった。しかも、『源氏物語』においては、母の地位が相対的に低く、彼の優越を保障したのが「心ある人の目」であったり父みかどの贔屓であるといった、曖昧あいまいな要素であるのに対して、『狭衣物語』では、はっきりとした血の優位が目の当りに保障されているのである。主人公狭衣は根底にこうしたエネルギーをひそめている。宮廷社会において、型通りの礼儀や秩序に従いながら、この青年のもてはやされ方、天皇からの遇され方、彼自身のおごり方はただごとではない。天上人を天降あまくだらせる音楽の才、あたりを払う美貌びぼう、その他もろもろの学才といった、主人公を飾っているさまざまな条件も、この皇権の貸しというおおけないエネルギーによって初めて生きるのである。その意味で、狭衣大将の人物設定は光源氏に限りなく近い。
不条理な恋へのこだわり
しかしながら、恋愛人という側面になると、いささか異なった相貌そうぼうを呈してくる。彼には妹同然に同じ邸内で育った従妹の源氏の宮というあこがれの人があり、その人へのかなわぬ純愛のため、年頃になって降るようにある縁談にも一向乗り気になれない。その最たるものが、皇女との縁談を嫌って心の内に詠まれた歌のことば「狭衣」なのである。
いろいろに重ねては着じ人知れず思ひめたる夜半よはの狭衣
実にこの性格、『源氏物語』では、雲居雁くもいのかりに操を立てて晴れて結婚にぎ着けた少年時代の夕霧や、プラトニックラブを捧げる大君の手前、ぜん同様の中の君に手も触れず、まんまと匂宮におうみやにさらわれる薫にそっくりなのである。どうやら作者も読者も、女たちは光源氏の見境のない好色より、夕霧や薫の律儀さ、不器用さにこの上なく母性本能をかきたてられたらしいのだ。
 源氏の宮との結婚を主人公は、社会的にもってのほかのタブーと思い込んでいるのだが、同居の従妹というだけで、近親結婚のタブーに触れるような血の近さではない。また、光源氏の藤壺ふじつぼ犯しのような、父の妻あるいは国王の妻を犯す不遜ふそんの罪にも当る訳ではない。東宮とうぐうおぼしがあるとはいうものの、この物語が始まった時点では、入内じゆだい予定が決っているという段階ではらないらしい。その上、後に皇女を犯してはばかないこの主人公が、東宮妃候補が理由で源氏の宮に手をこまぬいている、と仮にも考えることは、まったく的を射ていない。ここには、身内同士の安直な結婚に対する社会的評価の相対的な低さだとか、そんな事態を夢にも考えていない(源氏の宮の入内からひいては家の繁栄を路線としている)両親への顧慮などがあろうが、それよりも決定的なのは、無理な話と決めてかかって、それでもなお恋い焦がれてやまない不条理な恋へのこだわりなのに違いない。実際、王朝文学のエッセンスは恋歌で、百人一首にるまでもなく、叶わぬ恋こそがその土壌なのである。その意味で、夕霧の純情は受け継ぐにやぶさかではないが、辛抱すれば叶う恋などでは興趣を失うことこの上ない。『狭衣物語』では、恋の妨げとなる条件に、人妻を選ばなかった。藤壺や空蝉うつせみ、女三の宮や宇治の中の君といった、『源氏物語』が繰り返し選んだ苦しい恋の条件は、この物語のとるところではなかったらしい。
無傷のヒロイン・源氏の宮
源氏の宮に限らず、『狭衣物語』の女君たちは(巻四の藤壺女御にようごを別として)いずれも狭衣との結婚生活の安住を得ず、失踪しつそうしたり出家したりしている。しかもそれは、他ならぬ源氏の宮ゆえ、なのである。そこに、藤壺に憧れ続けた光源氏や、女三の宮にこだわり続けた柏木、大君の面影がいつまでもふっきれない薫の投影があることは否定できない。しかし、それにしても、源氏の宮は無傷である。藤壺や女三の宮のように、恋慕されただけでは済まずに、あの世までも恋した男と業苦ごうくを共にしなければならないような理不尽な宿命とは、源氏の宮は無縁である。彼女の身辺の潔さは、『源氏物語』の結婚拒否主題の権化とされる朝顔の姫宮にも似ている。源氏の宮が朝顔の姫宮と同じく、斎院となって主人公のもとを去っていくという設定は、六条斎院という作者が身を置いた宮家のしからしむるところであったかもしれない。
 源氏の宮が賀茂かもの斎院に卜定ぼくじようされる経緯で、現代の読者がやや戸惑うのは、賀茂明神の託宣が堀川の大臣や源氏の宮その人の夢にまざまざと現れるくだりであろう。たしかに『源氏物語』にあっても、源氏や明石の入道が子どもの将来について夢に見たり、源氏が夢に現れた父帝や不可思議なものの導きで須磨すまから明石に移ったり、ということはあったが、『狭衣物語』の場合、『源氏物語』のような個人的で暗々裏の現れ方とは違い、斎院卜定や狭衣帝の即位といった、公的・社会的な決定にその場で直接に強い影響力を持つもの、天稚あめわか御子みこの降臨や粉河こかわ観音の霊異のように、衆目の中での怪奇現象が少なくない。夢占いに将来を委ねたり、もののような怪奇現象を集団で信じたりといったことは、それ以前の日記類に見えないことではないが、たとえば神の託宣が神社の縁起として書き留められ、不可思議な説話がまとまって書き留められて集となる、まさしくそういう時代の産物としてこの物語は首肯されるところがある。
中世世界に通ずる女二の宮
時代の好みという側面からいえば、女二の宮の造型もその一つである。彼女は父帝の気紛れから狭衣への笛のろくとされる。しかし狭衣は源氏の宮への心中立てから結婚を承知しない。そのくせ、ふとしたはずみで女二の宮の可憐かれんな姿をかいま見ると、矢も盾もたまらずわが物にしてしまうのである。一夜の契りで身ごもった宮は屈辱的な苦しみのなかで男子を産む。未婚の皇女の妊娠に狼狽ろうばいした母后は、苦悩の挙げ句、自分の妊娠と世間を偽って娘の出産まで堪え忍び、赤子の無事な顔を見て息絶える。二の宮の真骨頂が描かれるのは、その先である。彼女は自分ゆえに苦しみ尽して亡くなった母皇后が慕わしく申し訳なく、産褥さんじよくで尼となる。真相を知った主人公は、わが子いとしさもあってしきりに二の宮に接近しようとするが、宮はがんとしておうとはしない。かつて不覚にも狭衣の手に落ちたことを悔む二の宮は、風のように忍び込んで来る男の気配も、聞き逃すことはない。女房たちの熟睡をよそに、狭衣の魔の手を逃れた二の宮は、凍り付くような冬の夜の寒さのなかで帳台ちようだいの外に逃れ、息をひそめて夜明けを待つのである。空蝉うつせみや大君のもじりなのだが、女が薄衣一枚で冬の夜を耐えるこの設定は凄絶せいぜつである。男性不信の象徴のようなこうした造型を、男性を主人公とする物語の一齣ひとこまとして、どう意味づけるべきなのか。
 さて二の宮は、父帝の退位に伴って、嵯峨野さがのの御堂で精進生活に入る。親戚でもあり後見者でもある狭衣は、皇子を連れてときどき嵯峨野を訪れる。尼となった妻との未練の対面。これはどうやら、女三の宮に未練を感じる源氏や、浮舟の剃髪ていはつに慌てる薫あたりに端を発するが、『浜松中納言物語』で拡大再生産された新しい美意識かもしれない。そして、出家した父と生活を共にする娘の静謐せいひつな心境は、広沢湖畔の寝覚めの上が見せたものでもあった。若く美しい尼は現世に未練を抱くことなく、潔く、むしろ好ましく、宗教的境地に心を安らがせている。中世懺悔ざんげ物の世界はもう遠くない。
新しい女性像――飛鳥井
新しい女性像といえば、飛鳥あすかの女君にとどめをさすであろう。彼女は乳母めのとに裏切られて破戒僧にさらわれるところを狭衣に救われ、そのかりそめの愛を受けることになった。ここでも狭衣は、飛鳥井を愛しながら、肝心な時に女の求めに応じてやれない。飛鳥井は乳母のたくらみで筑紫つくしに攫われる途中、自分を攫った相手が狭衣の家臣と知ると、ますます抵抗の意志を固め、海路、姿を消すのである。読者にもてっきり入水じゅすいと思わせるこの筋書きは、後から修正をせまられるが、いまそれはくとして、女の入水潭じゆすいたんとしては、いささか理由が変っている。女の入水潭は古代から数多いが、貴種の相手に操を立てて、卑位の男から逃れようとする意識が文学化されたのは珍しいのではあるまいか。もっともこの場合、「操を立てて」という近世的言い方はふさわしくなく(つまり倫理道徳的な意識ではなく)、後で事実を知った恋する人から「あんな手合いを相手にする女だったか」とさげすまれたくない一心のなせるわざなのであった。
 こうした女の心意気を作者がどれほど重視しているかは、帰京した家臣の式部大夫しきぶのたいふが彼女の貞節を主人公に力説するくだりから読み取ることができる。飛鳥井に拒否されたことは、式部大夫自身にとってはむしろ不名誉なことで、自分の口から語る必要はごうもないのであり、失踪しつそうした彼女にこそ強調して語りたい理由はあったのだ。狭衣が彼女の心意気を知る物語の唯一の手段として、式部大夫は女から忌避された自分の不名誉を、主人公の前で力説する羽目になったのである。身分高い相手から「口惜くちおしき下衆げす」と思われたくない、というのは、王朝文学にしばしば見える女の意識である。空蝉うつせみもまた、源氏との恋に屈辱を感じて関係を断ちたい一方で、歌の応酬にあまりそっけなくしては、口惜しき者と思われはしないかと、消息はほどほどに絶やさないでいる。和泉式部が宮たちとの交流にもっとも心を砕き、相手からも人柄を買われたのは、まさにこの点であった。しかし飛鳥井の場合、事は生命にかかわる。空蝉や和泉式部のような段階ではないのである。まさしくここには、一見夕顔のようにはかなげに見えながら、なりゆきに任せず、命をかけて貞操を守ろうとする、行動する女の片鱗へんりんが見て取れる。それはひょっとしたら、乞食こつじきに犯されるのを忌避してわが子を犠牲にした女の物語(『今昔物語集』巻二十九の二十九話)と通底するのかもしれない。
 
『源氏』を意識しながら、至る所で『源氏』離れを起しているこの物語を、後代、『無名草子むみようぞうし』の作者は、
『狭衣』こそ、『源氏』に次ぎては世覚えはべれ。「少年の春は」とうちはじめたるより、言葉遣ひ、何となくえんにいみじく、上衆じやうずめかしくなどあれど、さして、そのふしと取り立てて、心にむばかりのところなどはいと見えず。また、さらでもありなむとおぼゆることもいと多かり。
と評した。あれこれ文句はあるけれど、『源氏』の次には世間で認めている、というのである。その理由の第一が「艶」な言葉遣いだということになるが、定家が『物語百番歌合』を試みて『源氏』に『狭衣』をつがえたことは、言葉の粋であるこの物語の和歌が『源氏』に匹敵すると認められたからであろう。『狭衣物語』の歌数は『源氏物語』の四分の一ほどなので、約半数が撰に入ったことになる。(後藤祥子)
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