古典への招待

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『義経記』の読み方

第62巻 義経記より
『義経記』は楽しい作品である。にもかかわらず、その主人公である英雄義経よしつねの歴史上の生涯は、生誕から死に至るまで、平家追討での晴れの舞台の時期を除き、大方悲劇的なものである。この作品でも構成そのものは、義経が「世になし源氏」となる源氏没落の経緯を描いた「義朝都落  よしともみやこおちの事」に始り、その凄惨せいさんな死を描いた「判官はうぐわん御自害の事」をもって大方の終りとなる。その生涯や作品の構成にのみ着目すれば、不遇の英雄が悲劇的な運命に翻弄ほんろうされ、哀れな最期を遂げるという作品となる。だが、この作品全体の持つトーンは不思議と明るく楽しい。それはなぜであろうか。ここではその素朴な疑問から出発したい。そこにこそ、この作品の素顔が示されていると考えるからである。
『義経記』に描かれている義経の活躍の大半は、史実にほとんど登場しない時期のものに限られている。不思議なことに冒頭で述べられる名将軍義経の活躍を象徴するいちたに屋島やしまだんうらの平家追討戦での記述はほんのわずかであり、梶原景時がかじわらのかげとき頼朝よりとも讒言ざんげんする弁の中で、その野心を訴えるついでに語られるにすぎない。つまり、『義経記』は義経の表看板ともいうべき名将軍としての活躍をまともに描こうとはしていないのである。
 本書では全体に、義経の人物形象は一様ではなく、多様で実にとらえがたいのだが、おおむね平家追討の記述を中にして二分できよう。前半は平家追討の大志に燃え、名将軍へと成長していく源氏の「御曹司おんざうし」であり、後半は没落の失意とともに北国へわずかな郎等ろうどうたちと落ち延びてゆく「判官はうぐわん殿」である。
 その前半での御曹司おんぞうし義経よしつねの活躍ぶりを一覧し、その人物形象を見てみよう。まず奥州おうしゆうくだりの折のかがみ宿しゅくの強盗退治である。そこに描かれているのは武芸者としての剣術の技である。小兵こひようでありながら剛胆にも大の男に立ち向い、その素早い動きと刀さばきで実に小気味よく退治する。続いては、往年の約束を反故ほごにした陵介みささぎのすけたちに間髪をれず放火、報復を果すや、二日以上かかる道程を一気に一日で逃げ切る。まことに見事な行動性である。たどり着いた先、強盗とおぼしき伊勢三郎いせのさぶろう宅では、主人三郎が留守であるにもかかわらず、口先の言葉で強引に女を押し切りその家に上がり込む。そればかりか主人三郎には一言もなく、態度ばかりで己がただならぬ者であることを悟らせ臣従させてしまう。これらの活躍、行動はいずれも名将としての知謀・計略とはいささか質を異にするものであろう。
 それをよく示す話が、その兵法習得の仕上げともいうべき太公望たいこうぼうの『六韜りくとう』の兵法書の獲得話「義経鬼一法眼おにいちほふげんが所へ御いでの事」である。わざわざ平家の危難を避けるべく奥州へ下った義経でありながら、にわかに都へ舞い戻り、その所有者である陰陽師法師おんみょうじぼうし鬼一法眼に対面する。この人物は文武二道の達者と表現されているが、名家に娘たちを嫁がせ、今をときめく尊大極まりないなかなかのくせ者。しかも、街のならず者である石投げの芸を得意とする印地打いんじうちの大将(親分)を妹婿にしているような人物である。当然、没落源氏の御曹司、世になし者の義経に対しては冷淡極まりない。そのあしらいぶりを憎んだ義経は『六韜』を得るべく周到な行動を取る。まず、その家の下女とよしみとなり、それをつてに法眼の愛娘を手紙で籠絡ろうらくする。情けを通じてからの義経の態度はなかなか堂に入った色男ぶりである。その台詞せりふを引用しよう。
御曹司、「人に忍ぶ程こそ心苦しき事はなし。何時いつまでかくてあるべきなれば、法眼にかくと知らせばや」とぞのたまひける。姫君御たもとに取りつき悲しめば、「我は六韜にのみ望みあり。さらばそれを見せてんや」と仰せければ、明日は聞こえて父に失はれん事ちからなしと思ひければ、かうじ(下女)をして、父が秘蔵したる宝蔵に入りて、重々ぢうぢうの宝の中に、黄金こがね巻きなどしたる唐櫃からびつに入れたる六韜兵法へいはふくわんの書取り出だして、御曹司に奉る。
 原文ではやや堅い印象に過ぎよう。その内容を意訳すれば、「お前の父法眼に自分たちの関係が知れてもよいのか。世になし源氏であるおれと通じたとあらば、よもや法眼のこと、お前の命も無事ではあるまい。俺の望みは、元からお前ではなく『六韜』なのだ。法眼に知られたくなかったら、『六韜』を見せてくれような」。意訳が過ぎるやもしれないが、義経の言動はこうしたものである。姫は情けを通じた男の申し出ではあり、その脅しに屈せざるを得ず、仕方なしに『六韜』を差し出すのである。これはまるで歌舞伎かぶきの世話物にも通じる場面であろう。
 こうした振る舞いはいわゆる源氏の御曹司というより、市井の流れ者、侠客のきょうかく世界の住人を思わせるものである。その装束も元服して折烏帽子おりえぼしかぶっていながら、稚児のように御歯黒をし、まゆっているという、当時ちまたで流行はやっていたであろう若衆姿の伊達だて男ぶりである。
 こうした場面での義経の姿が、無論、『義経記』すべてにわたるものではないが、『義経記』の御曹司義経の形象には『平家物語』の名将軍義経には見られない、何とも庶民的な人間味のある姿が見えるのである。
 卑近な弁ながら、その武芸の場面は言うなれば、時代劇のチャンバラに通じ、伊勢三郎との出会いはアウトロー同士互いの気脈が通じるところで折り合うという、兄貴と舎弟のごとき関係に見える。そこには御恩と奉公といった封建的な武士の君臣関係とはまったく異なるものが見いだせるだろう。
 つまり、こうした活躍ぶり、振る舞いから形象される義経とは、「源氏の公達きんだち」「御曹司」と呼ばれる武家の棟梁のとうりょう血を引く貴種でありながらも、実は庶民的な世界でしたたかに生きる英雄なのである。
 史実上では、義経よしつねはこの時期、『吾妻鏡あずまかがみ』にも所収されている有名な本書巻四「腰越状こしごえじゃう」に見るごとく、「孤子みなしごとなりて、母の懐中にいだかれ、大和やまとの国宇陀郡うだのこほり龍門りうもんまきに赴きしより以来このかた一日片時いちにちへんし安堵あんどの思ひに住せず。甲斐かひなきの命ばかりぞんすといへども、京都の経廻けいくわい難儀の間、諸国に遊行ゆぎやうせしめ、身を在々所々に隠し、辺土遠国へんどをんごくすみかとし、土民百姓どみんひゃくしゃう服仕ぶくじせらる」といった不遇な境涯に身を置き、辛酸をなめていたはずである。しかし、『義経記』の世界では単孤無頼の義経をこのように形象し、庶民世界でたくましく、したたかに生きる英雄としてはぐくんでいったのである。義経が国民的英雄であるといわれる理由には『義経記』に見えるこうした義経像が大きく影響していよう。
 そして、こうした歴史記事もしくは伝承を形象化することは人物に限らず、その話そのものにも及ぶ。先の鬼一法眼おにいちほうげんの話は、本来、六韜りくとう兵法の習得たんであったはずであるが、それに止まらない。六韜兵法習得後も話は続くのである。この話の冒頭で義経は鬼一法眼と対立しているが、それはこの一話の結構を両者の対立のうちに展開していこうとしたからなのである。しかも、その両者の駆け引きは「すかし」と言う言葉、それはいわゆるだまし合いという陳腐な方法なのだが、それによって展開していく。義経が手紙で娘を「賺し」て兵法を習得すれば、法眼は妹婿である印地打いんじうちの大将湛海たんかいを呼び込み、ひそかに義経を討つよう命じておく一方で、義経を「賺し」て湛海と対決させ騙し討ちにしようとするのである。ここでは、法眼の愛娘がその情けゆえに義経へ法眼のたくらみを告げてしまい、法眼のもくろみはあえなくついえてしまうのであるが、この辺りの駆け引きは単純ではありながらも、法眼自身が「賺し」という計略を用いておきながら、それに失敗する場面は実に愉快である。また、湛海との決闘場面も湛海一味の容姿風体に似合わぬ臆病おくびょうぶりが滑稽こっけいに描かれ楽しめる。
 こうした叙述は『義経記』の前半ばかりではなく、義経没落後も同様である。悲惨なはずの山伏に身をやつした北国落ちの旅でも、義経一行は時に緊張感のある場面に遭遇しながらも、時に旅の景物を楽しみ、歌も詠み旅を続けていくのである。
 この様な義経話の形象化の変遷は、まずこの作品自体の成立がその生涯からはるかに隔たっていることが大きいだろう。『義経記』の成立を南北朝のころとする通説に従えば、義経が実際活躍した寿永じゅえい治承じしようの乱(源平の争乱)からは、少なくとも二百年の時を経ている。その間に義経の伝承は各所で成立流布していたであろう。この『義経記』の各話の背景にも、その本来の伝承の管理者やその地域性の跡があちこちに見える。だがそれはあくまでも〈痕跡こんせき〉であり、本書の話そのものではない。
 この現行の『義経記』が成立するには、いくつもの段階があり、それらを経た上で、この義経像は成立したのであろう。史実もしくは伝承として存在したものに、さまざまな時代性・社会性の影響が施され、この『義経記』は成立したと考えたい。
 冒頭、「『義経記』は楽しい」と述べたが、これはそうしたことに由来するのである。本来、悲劇であったはずの義経の生涯は、史実の枠にとどまらず庶民世界の享受の中で絶えず変化し、その世界で、その時代相に見合った英雄として創造されてきたのである。そこには歴史的な事実をなるべく忠実に描きとどめようとする記録の方法とは異なった、享受者の要求にこたえようとする相当に自由な義経形象の方法が見られるのである。これは別な表現でいえば、演出とも言い得るかもしれない。いかに義経を演出して、その享受する側の要求に応えてゆくか、その事実が悲劇であれ、喜劇であれ、それは演出によって相当に変り得る。先の義経の伊達だて男ぶりに見るとおり、『義経記』の語り手は、義経の生涯、その悲劇性をかなり相対化できる位置にあって、この作品を構築している。つまり、さまざまな伝承を選択し、構成し、脚色していると思われるのである。『義経記』はややもすると、歴史上の義経の持つ悲劇性とその末路に目が奪われがちであるが、全体に描かれた活躍ぶりは自由奔放であり、随所に笑いと諧謔かいぎゃくをたっぷり盛り込んだ作品なのである。それが『義経記』の素顔である。
 現代のいわゆる時代劇、ちょんまげものと呼ばれるテレビドラマの多くを見ていると、その主人公が将軍家の御曹司おんぞうしであったり、その構成・展開も『義経記』に似ていることに驚くことがある。たとえば諸国漫遊の展開をとるものは、義経よしつね一行がその行く先々でさまざまに場面を展開、その所々で物語が生れるのと同様のものである。また、互いの駆け引きで展開、お決りの決闘場面による決着、と実によく似ているのである。
 こうしたことを考えて読む時、『義経記』という作品は身近な親しみやすい作品である。その構成・展開の矛盾、人物像の不整合、といった従来の物語一般と比較すると何とも不出来なように見える作品であるが、仮に時代劇を見るようなつもりで読む時、そこに中世の人々が味わった『義経記』のおもしろさを見いだすことができるのではなかろうか。(利根川 清)
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