近松の世話浄瑠璃には男女の色恋が描かれている。その裏には金銭がからむものがほとんどである。事件の核になる金額を現在の物価に換算してみることにする。
換算する場合、通常、米の価格を計算基準にするが、当今は米を重量で売っている。当時は容量で売っていたので、換算にもう一度手を加えねばならぬ。今、容量で販売しているものに酒がある。昔同様、一升が基準になりうるので、今回は酒の値段を換算の基準にしてみた。
当時の物価は「越後屋呉服店 小遣目録」によった。また当今の酒一升は、最も一般的な種類のもので二〇〇〇円と設定した。なお、元禄八年の、金一両=銀六十匁=銭四貫文とする相場は、年によって変動するが、金銀銭の換算は、この相場によった。
『五十
年忌歌念仏』は但馬屋の手代清十郎に七十両の金を盗んだという嫌疑がかかる。実は但馬屋の娘お夏と愛し合っていることの引け目から、仲間のためにお夏から借りて融通した金である。
宝永四年(一七〇七)上演であるが、右の「越後屋呉服店 小遣目録」は宝永七年から記録されており、その年の酒一石(百升)の相場百十九匁を流用して計算してみる。七〇六万円位。
次の『
淀鯉出世滝徳』には
大尽が登場する。大阪新町の
太夫吾妻を請け出すという当日、江戸屋勝二郎はお家追放となる。奈良木辻の
廓に身を落した吾妻を請け出すには、残金の二百両がいる。勝二郎の浪費する金は「吾妻殿の身請けの金も、わたしがお家にいる頃、七百両という金を惣兵衛に渡した。そのうえに、今度、名物のお家の道具を京辺りへ質に置き、二千両あまりのご借金ができたそうな」
(七一ページ)とある。一応二百両を換算してみよう。上演の宝永五年も記録がないので、酒一石百匁とすると、二四〇〇万円となる。この十倍の借金をするというのは、やはりお大尽であろう。
次の『
冥途の
飛脚』は、飛脚問屋亀屋の養子忠兵衛が、遊女梅川を請け出すために手付金まで払ったが、後の工面に困り、ついに公金三百両に手を付ける。身請けの金は「以前手付として五十両、今百十両、合せて百六十両」
(一三五ページ)である。上演年正徳元年(一七一一)の相場は、酒一石百二十二匁二
分。三百両は二九四六万円位、身請けに要した百六十両は一五七〇万円位となる。
『
博多小女郎波枕』。密貿易の首領
毛剃九右衛門が弱味をにぎられた小商人小町屋惣七を、身内に引き入れようと豪気なところをみせ、惣七とよい仲の遊女小女郎とも七人の遊女の身請け代金に千五百両を出す。享保三年(一七一八)上演なので、元年の酒一石三百二十八匁三分の相場で計算してみよう。五四八二万八〇〇〇円位。一人当り平均七八三万円となる。
次が『
女殺油地獄』。放蕩息子の河内屋与兵衛が、近所の
豊島屋七左衛門の女房お吉に「
新でたつた二百目ばかり、勘当の
許りるまで貸してくだされ」
(二四八ページ)と頼むが、聞き入れられないので、お吉を殺して店の金を盗み逃げる。上演の年享保六年も相場の記録がないので、酒一石を元年の三百二十八匁三分と十一年の百五匁の中間をとり二百匁として計算すると、二〇万円。たった二〇万円で殺人事件が起きたことになる。
『
丹波与作待夜のこむろぶし』は、馬方に零落した与作が、
博奕に負けて十六貫の借銭がある。この十六貫は銭なので、銀一匁=銭七十文とすると、二百三十匁位になる。宝永四年は記録がない。同年の『五十年忌歌念仏』では、宝永七年の相場で計算してみたが、酒一石を百匁として計算してみよう。四六万円位であろう。
『
夕霧阿波鳴渡』は
大店の若旦那伊左衛門の愛人で第一級の太夫夕霧を請け出すというのだから、二千両が用意される。上演時の正徳二年の記録がないので、酒一石を前年秋の相場百三十匁八分とする。一億八三四八万六〇〇〇円となる。
次の『
長町女腹切』、刀屋の職人半七が女郎お花を請け出すため、刀の細工をごまかして二十両の金を作り、お花の父にたたきつける。同じく正徳二年上演なので、百三十匁八分の相場とする。一八三万四〇〇〇円位。
『
山崎与次兵衛寿の
門松』は、
難与平が大阪新町の太夫吾妻を請け出すのに、千両を出す。享保三年上演で、やはり記録がないので、元年の酒一石の相場三百二十八匁三分で計算する。三六五五万円となる。
わかりやすくするため、別表にしておく。享保元年という年は、酒だけに限らず、塩や醤油も異常に高い年であったため、『博多小女郎波枕』『山崎与次兵衛寿の門松』の換算率が他と異なる。大まかにいって、近松時代の換算率は、一両一〇万円弱とみて間違いなさそうである。『夕霧阿波鳴渡』の身請け金は二億円、『淀鯉出世滝徳』の身請け金も合計一億円に近く、借金は二億円強となる。やはり桁違いの金持といえよう。『冥途の飛脚』の梅川は右の二作品に出てくるような格の高い太夫でないのに、一六〇〇万円の身請け金は高過ぎるようだ。『長町女腹切』の二〇〇万円位が、小商人や職人の相手としてはほどほどであろう。
第二巻に収まる、主として心中ものにも目を移すが、金一両一〇万円弱、銀一匁一六〇〇円位として計算してみよう。
『
曾根崎心中』は「内儀の姪に二貫目付けて」結婚させようとする親方の気持に従わない徳兵衛が、この銀をすぐ返せば何事もなかったのに、親友と思っていたものに
騙り取られる。三二〇万円位の金額。
次の『
心中二枚絵草紙』は父親が講中から預かった「白銀五百目二
包、小判二十五両、一
分、合せて四十
切」を盗んだと疑われた養子市郎右衛門が勘当される。白銀は一六〇万円、小判は二五〇万円、四分が一両なので、十両は一〇〇万円、計五一〇万円位となる。
次の『
卯月の
紅葉』と『
卯月の
潤色』には具体的な金額は出てこない。
『
心中重井筒』では四百匁の銀が問題になる。六四万円である。紺屋の入婿が相手にするお房はさほど格の高い遊女ではないことがわかる。
次の『
心中刃は
氷の
朔日』は鍛冶屋の職人平兵衛が愛した遊女小かんを請け出すのに「七両は要りませう。私が方で二両二分は、身の皮剥いでも
調へましよ。まあ四両二分あれば、あの子をしやんと請け出して、こな様と
疾うから夫婦にした……」と打ち明ける小かんの叔母のセリフがある。七両は七〇万円位。四両二分は四五万円。この金を工面するために、平兵衛は親方に内緒で仕事をすることになる。
『
心中万年草』の
雑賀屋与次右衛門の娘お梅は美濃屋作右衛門との祝言の日取りが決る。お梅には寺小姓の
粂之介という好きな男がいる。そのことを知った作右衛門がどなりこんできて「親代々の得意で、二十年このかた、二千貫目足らずの商ひに、九貫目のほこりを取り、先も見えぬ
秋買ひに、十五貫目の
前銀取り、
祝言の
仕入れに、四貫目取り、……サア娘の首を渡すか、二十八貫目戻すか、二つ一つの返事を聞かう」という。大きな取引をしていた間柄であったことがわかる。二十八貫とは四五〇〇万円位になろう。
『
今宮の
心中』では家を抵当に取っての七貫五百目の証文を、間違って破り捨てるという場面がある。一二〇〇万円の金額となる。破り手の主人公菱屋の手代が動かせる額ではなかろう。
次の『
生玉心中』では若者が苦労する金額は「一貫目と
上つた
銀」である。一六〇万円以上となる。
『
心中天の
網島』は、一度は思いきった遊女小春が、
治兵衛のライバルの
太兵衛に請け出されるとの噂が流れる。治兵衛は男の面目丸つぶれと嘆く。一方女房のおさんは、夫治兵衛と小春の仲をさいたのは自分がしたこと、小春が女同士の義理を受け入れた故と知っているので、太兵衛に請け出されるようなことになると、小春は生きてはいまい、小春を死なせてはいけない、ならば治兵衛に請け出させようと金の工面をする。「小春が命は新銀七百五十匁のまさねば、この世にとゞむることならず」と、商売用に貯えていた金、足りない分は、一家の者の着物を質に入れて才覚しようとする。一二〇万円。これは手付の半金なので、請け出すには二四〇万円となる。
最後の心中もの『
心中宵庚申』は夫婦心中で、家族関係が原因なので、お金はからまない。ただし、嫁お千代の実父が「十、二十の
銀の
取遣、いつ
何時でも事欠かせぬ」といっているところから、お千代の実家の格を知ることが出来よう。十、二十両のことなので、一〇〇万や二〇〇万円の意となる。
姦通物で金が問題になるのは『
大経師 昔 むかし暦』一作である。おさんの実父が、家を三十貫目で質に入れ、また八貫目を別口から借りる。二重抵当が知れて面目をつぶすので、利息だけでも払わねばならないと、娘のところに金策に来る。そのときの無心は一貫目である。一六〇万円。この金額程度で事件が引き起されるのであるが、家を抵当にして最初に借りた金額三十貫目は四八〇〇万円なので、相当の大家といえよう。『今宮の心中』の四倍の額である。
『
堀川 波 鼓』と『
鑓の
権三重帷子』はともに武士社会のこと故、金銭がからまないと考えてよかろう。第一巻所収作品で触れなかった『
薩摩歌』も同様の理由とする。
心中もので問題になる金額は、こうして並べてみると、たいした額でないことがわかる。『淀鯉出世滝徳』や『山崎与次兵衛寿の門松』の吾妻、それに『夕霧阿波鳴渡』の夕霧のような太夫とは格が違うことが、身請けに必要な金額からもはっきりしている。まさに桁違いというところである。
『女殺油地獄』については前にも触れたが、たった二〇万円で一人の命が絶たれたのは残念だし、『大経師昔暦』も一六〇万円程度で、おさん自身の悲劇だけでなく実家もつぶれるというのは、身につまされる。近松が、おさん茂兵衛を実説のごとく処刑せず、仏法の力で助けたと書いたのは、納得がいくように思える。
おさん茂兵衛にこだわって書くと、『金子一高日記』の七月廿日に、
日中前ニ信盛来り おさん茂兵へノ狂言ノ相談……
というのがある。同廿六日には次のごとし。
切狂言ヲサン茂兵ヘノ稽 中入迄立 四ツ前ニ仕舞フ
『金子一高日記』には、金銭の授受・貸借についても、相当記されている。文脈がつかめないものが多いが、はっきりしているものには次のようなものがある。
極月朔日 村上氏ヱ文ヲ遣シテ金子拾両借ル 信盛ヱ文遣シ 金子三両借ル
また、八月十七日には、
七ツ時分ニ霧波氏来ル 暮迄咄ス 大坂玉半ヨリ状来ル 嵐方ヱ参百両ニテ相済タルト也
同十九日には、
三尾氏金子卅両 霧波氏ノ手付ニ持参仕ルヲ先返シタリト也
これは大阪嵐座と霧波千寿の契約についての記事と思われる。もしそうだとすると、年俸三〇〇〇万円となる。なお、先の信盛は近松の本名であることはことわるまでもあるまい。『金子一高日記』の発見で、沢山のことを教えられた。(鳥越文蔵)