古典への招待

作品の時代背景から学会における位置づけなど、個々の作品についてさまざまな角度から校注・訳者が詳しく解説しています。

弥次郎兵衛・北八論

第81巻 東海道中膝栗毛より
弥次・北に見るユーモア
およそ日本の文学史上で、歴史上の実在人物と文学作品とが二重になった、義経とか内蔵助などの人物をしばらく置き、作者が全く創造した人物で、だれが一番有名かと問われれば、この校注者でなくとも、だれもが、弥次郎兵衛・北八を指すに躊躇しないであろう。三歳の童子も、八十の老嫗も、ただ二人の名を聞きさえすれば、ニヤリとする。まさに泣く子をもやましめ、怒れる鬼神をも笑わしめるものである。後続する模倣者は、朝に夕にぞくぞく出現するが、この元祖を凌駕りようがするものはない。欧米の文化に覆われた今日においても、その古風のままでまかり通り、なお将来の長い生命が予想される。後述するが、東西の文学に博通した周作人は、この種の人物は、ただに日本にのみ存在して、アジア西欧にもかつてあったことはないと断言している。しかし、この二人は、天才の苦心経営、創造したものではなく、前述のごとく、学才共に乏しい二流作者が、生活のために苦しまぎれに、ひねり出した人物であった。
 それも天下の美貌でもあることか、一人はデクデクと太って色が黒く、鼻の開いたあばたに鬚面ひげづらの中年男。今一人は背が低くて、どんぐり眼に獅子鼻、役者の過去を持つとは不思議なほどの二十過ぎの男にすぎない(初めから、かくのごとくであったかは不明ながら、八編・発端に至ると、こう定まっている)。それでも人格高邁こうまいかというに、食い気と色気、そして金銭にもしみったれた欲望を、いたるところで発揮し、友人を裏切ることも平気でする。見え坊のくせに恥知らずである。大風に見せるが、実は小心者である。となると悪人でこそあれ、道徳的などとはどうしてもいえない。それでは悪賢いほど、知恵でもまわるかと見れば、欲望に走れば、少しのいたずららしい計画は作るものの、計画性にはすこぶる欠ける。急いで実行にうつして、先の見通しは全くない。何しろすぐに腹を立てて、すぐにしょげる。第一胆力がなくて、からりきみばかりする。少しく薄馬鹿とも見える。現に、ところどころで馬鹿と評されている。ことに健忘症も甚だしい。この点では、悪人という資格にも乏しいほどである。一九は初め江戸っ子として江戸を出発させたのであるが、これでは江戸っ子の風上に置けないとさとったのか、八編の終りで、「江都気性ゑどぎしやう大腹中ふくちう」と持ちあげてみるのはみたが、落ち着かない。本当の江戸っ子に申し訳ないと思ったのか、発端では、作者の自分と同様、駿河者にしてしまった。それほどにしみったれた悪人である。
 大上段に構えて、さて最も簡単に定義すれば、善人の人生における失敗を描いたのが悲劇、その反対で、悪人の失敗を描くのが喜劇となる。このどちらかといえば悪人らしい二人の失敗は、もちろん喜劇に属する。けれども、あさはかな彼の計画は、すぐに事の失敗に終っている。悪だくみが、天下国家をうばうほどであり、その計画が緻密ちみつで、もし成功すれば、その被害が大きい悪人が失敗するほど、即ち悪人の下降する落差の大きい程喜劇は大きいのだが、こう早く失敗しては、悪人ぶりもたいしたことはない。いや、なかなかさらっとはすませないほどの大きな悖徳はいとく行為も、中にはかなりあるのだが、大きな被害を受けた方も、二人の側から達者だがあまり上手でもない狂歌の一つも出されると、さらりと流してしまう。第三者に相当する読者だけが、こだわってみても仕方のないこと、作中人物とともに笑いに流して、適当な早さで次の場面へ移動せざるを得ない。二人がかくのごとくであるので、作品の柄が猥褻わいせつで浅薄である。よって同じくあまり品はよくないが、一九よりは少なくとも注意力もあり、表現も丁寧な三馬と比較されて、『膝栗毛』そのものが、日本の現代の作家・研究家には、むしろ評判が悪い。西欧の文学を研究した人は、日本文学には、西欧のごとく大きな悲劇も喜劇もないと評する時の例となるほどに、二人の喜劇役者振りも、小さいということになる。日本人以上に彼らに理解を示してくれたのは、海の彼方の周作人先生である。先生のその文章を、翻訳から引いてみる。
この滑稽本(もっぱら『膝栗毛』などを指している)は、文化文政(一八〇四~三〇)年間に起り、全然西洋の影響を受けてゐません。又中国にも絶えてこの種のものは有りません。だからこれは日本人が自身で創作したあそびと云つて差支へないのです。……そして結構の上から云つて近代的な小説に変ずることは出来ないでせう。しかしそれにしても平凡な述説の中には会心の微笑を蔵してをり……(『瓜豆集』)
同じ文章の中でまたいう。
英国の小説家のユーモアと比べて、どういふことは云へませんけれども、兎に角日本人には中国人より多くのユーモア趣味があるといふことを、これは証明してゐます。
ともある。すでに一九の作柄を、前期戯作と比較して、うがちの諷刺性に対してむしろユーモアだなどと述べてもきたが、校注者は周先生のように西欧の文学やその理論に明らかでない。ここでも最も簡略な古い定義をかりると、ユーモラスな人物とは、批難さるべき欠陥を一方に持つが、他方ではよみすべき性質を持っている人物である。ユーモア的喜劇には、「懲罰的な笑」とともに「好意的な笑」を合せもつものであるという。一時、ユーモアを有情滑稽と訳した人もあるという。この教示によると、この二人の行動には、「好意的な笑」があり、読者が同情するものをも持っているということになる。それより先に周先生の一九への同情の話に切りをつけておく。一九の猥褻に言及したが、先生の『苦茶庵笑話選』では(これ以上の引用は略するが)、グレイグの『笑いと喜劇の心理』などを引用して、諷刺の武器の皮肉に対して、猥褻がユーモア喜劇の武器として、その「おかしみ」を出すものだと論じて、日本の研究者の顰蹙ひんしゆくする「わいざつ」をさえ、弁護してくれている。
 一九への同情、いや弥次郎兵衛・北八への同情の話にかえる。笠亭仙果は名古屋出身の戯作者としては、一九ののちに出て、かなり著名なること人の知るところである。本名高橋広道の彼が文政十一年(一八二八)、友人佐藤友直とともに京都へ旅した、『へだてぬ中の日記』なるものがある。その中にこの道中のさる茶店で、狐につままれたさまをして冗談をしている記事が載る。本当であるのか、旅日記の一つに『膝栗毛』調のおどけを一つ挿入してみたのか、彼も戯作者のこと、それはいずれでもよい。仙果はここでは、文字通り弥次・北に同情しているのである。この解説ではすでに全部省略したが、興味のある向きは尾崎久弥翁の「郷土本概説」(『近世庶民文学論考』)を、手近に見ていただきたい。刊本となった半玄人の戯作者のものは別にして、地方の人々の稿本として残る、いわゆる膝栗毛物が甚だおびただしく紹介されている。今数えれば、その数はさらに甚だ多きを加えるが、その人々は自分の経験した旅を、膝栗毛物にした。即ち自分や友人らを、弥次郎兵衛・北八と化せしめているのである。佐賀県唐津の近傍で、幕末から明治にかけての人士が、自己生涯の旅行記を、『膝栗毛』風にして、積んで尺に余るのを見たことがある。二人は愛される悪人なのである。いや一九はいったん江戸っ子とした二人を駿河者にしたことを述べたが、大腹中の江戸っ子も、自分達の仲間が笑われているのを、苦々しいなど思いもしなかったろう。自分もやってみたい誘惑を感じた人々も多かったろう。江戸の地でも『膝栗毛』の語り物や唄い物も生れている。
 一度同情してみると、不思議に二人は善人と思われてくる。すでに二人を知ること深いこの本の読者諸氏も、この「解説」で小悪人と称したことを見るまでは、二人を善人と考えていた方が多いのではあるまいか。旅の恥はかきすて、何が、たかが小いたずら、だれでもが……、そこが問題なのである。二人のいたずらは大人から子どもまで、さまざまに抱いているいたずら心を、読者を代表しては試みてくれるのである。読者は二人に従っていけば、自らも開放感を覚える。実はこれが『膝栗毛』の笑いの大きな基底をなすのである。そんな開放感を与えてくれる人に、何の悪人があろうか。反省もないかわりに、根もない。何かといえばこだわって、人と争うが、末はさらりと水に流すではないか。これが悪人なものか。周先生のは文学的弁護であるが、これはまた道徳的・情緒的弁護と替わる。これにはしかし一九の深い(?)配慮が存した。一九の黄表紙や合巻を見ると、教訓性がかなりに強いし、その作法には、
(前略) だいこおろしのくちあたり、よきぢくちやら、いりざけのあまくちなきやうくんに、人のはらをこやすがかんじん (『十遍舎戯作種本』)
と、教訓に言及する。『膝栗毛』は他の作のようにその教訓はあらわでないが、よく注意してみると、一つ一つの出来事にも、教訓的に配慮すること、それで有名な曲亭馬琴以上である。一つの悪事をすると、早々と勧善懲悪、信賞必罰、道徳的決裁をつけて、こっぴどい目を見せて、次の出来事に転じている。勧善懲悪を、文学の敵でもあるかのごとく思う向きもあるが、大衆小説には、これなくては収まらぬ大事な薬味である。ただその使用方法いかんである。『膝栗毛』の教訓性は、人の気づかぬほどに巧みである。それで、どんな反道徳的な謀反気を二人が起して、行動とでかけても、大きないたずらが成功するはずがないという安心感が読者にある。母親の目のとどく範囲で、おいたをしている幼児の童心へのごとく、読者が共鳴する要素も、二人は持っているのである。
弥次・北の系譜
二人のかかる人柄を、一九はどうして作ったか。先人の研究を拝借しながら、頭注でその一部はすでに説明したといってよい。というのは次のごとくになる。塩井川の北八は、狂言「どぶかつちり」の道行く者の変身であった。この者は悪人ではなく、それこそ旅の出来心の発動にすぎぬ。そのほか数多い狂言の転用では、二人は太郎冠者、次郎冠者の変身を務めている。二人の冠者は、忠実にして主思いの臣下である。一時、狂言の諷刺性を高く評価することがはやったが、もはやそんな論は行われなくなった。当然のことだろう。諷刺される側の大名小名が面白がって見物していたものが、何の諷刺であろう。二人はいたずら者で、一時の小悪人にすぎない。狂言はやはり、中世人の一時を開放した朗笑の演劇であった。一九は自らの二人の道化者に、しばしば狂言を演じせしめたのである。近世後半の演劇、歌舞伎はもちろん浄瑠璃でもその発展で注目すべきは、悪役の分化であり、分化した一つに半道敵はんどうがたきがある。敵役の一種の喜劇的役柄である。一九得意の浄瑠璃に例をとれば、鷺坂伴内さぎさかばんないがこれである。お軽への色身いろみ、勘平を遠ざけんとする小奸策など、その通りでなくとも、飯盛女をめぐる二人の駆け引きに似たようなことがいくらも見える。歌舞伎浄瑠璃からの趣向の転用は、いくらも掲げることは出来なかったが、今後の調査は、その例を加えること確実である。おそらくその時、半道敵の模倣が多いことは想像出来る。
 狂言に次いで多いのは小咄の利用である。一九が多数の小咄本を作ったことだけは述べたが、自分で口演することも出来たらしい。ある年の年忘れ、村田屋治郎兵衛家で落話の会を開いて、一九も一席試みたなど書いてあるのを記憶している。小咄の人物は、性格を持つとまでは至らぬが、これがつもって長編落語となれば、今日の古典落語の登場人物は、一種珍妙、甚だ情緒不安定な、換言すれば八方やぶれの性格を持つ。すでにあったはずの一九時代の長編落語は知るすべもないが、弥次郎兵衛・北八の方は、代々に生きて、まだ我々の中に生きている。そこのところで現行古典落語の人々と比較するのも、全く無意味でもあるまい。熊公八公、きいやんの類、いや時には横町の御隠居や大屋さんとも、いわゆる情緒不安定のところ、似ていないとはいえないではないか。
 かく集め来たって、山東京伝作るところの『百人一首和歌始衣抄はついしやう』風に、珍妙な系譜を作れば、この弥次・北の双生児は、太郎冠者を父とし、次郎冠者を叔父とするもの、兄弟に半道敵があり、従兄弟いとこに落話の賑々しい登場人物達を持つとでもなろうか。そうすると浮世草子の気質物の人物達も、二人の人格の形成には参画しているのではないかと、自ら訴え出るかもしれない。母方の祖父あたりに位置づけてもよい。下手な戯作的冗談はおいて、一九とて、『膝栗毛』の初めから、二人にかかる性格を与えたわけではない。例の早手回しの方法として、以上のさまざまのものから趣向をうばっている間に、正編だけでも、享和二年(一八〇二)から文化六年(一八〇九)まで、刊行の年で見ても八年にわたる長い二人との交際となった。それも夜となく昼となく、形に影の添うごとき付合いであったとなると、ちょうど二人の風姿も八年目で、輪郭が整ってきたように、その性格も、何やらそれらしいものが出来てきた。ごたごたとさまざまの血が入りまじっているから、八方やぶれ、いつどこで突飛なことをやらかすかわからない性格、いややらかす方が作者にも読者にも好都合なだけに、周先生の言葉ではないが、近代的な小説のごとき、一貫した性格では、かえって困る。まとまりもよい加減でよかったのである。
 かくて出来上がった性格らしきものをみると、これは驚いた。日本文学史を通じて出現する、いたずら者達の性格が少しずつではあっても、みな備わっているではないか。一九の同時代には、何とも思わず読んだ人も多かっただろうが、由来百数十年、たもちつづけたその人気の原因を考えてこれはいえることであった。弥次郎兵衛・北八は、柳田国男の証言を引用するまでもなく、元来が好笑的民族の日本人が、代々に創造し、いとしんできたものを、みんな持っている。この後も、出現する同族達の出現とも相まって、いつまでも、これまでがさようであったように、日本人の生活の中に生きつづける将来が予想されるのである。
 この生みの親、十返舎一九としては、まことに怪我の功名と申すべきであろう。
〈付記〉 この一論は、一九の戯作調に引かれて、校注者もついわざくれの語が多くなった。不謹慎と叱責の向きもあるかもしれないが、一九の追随者ならずとも、近づく者に、そうした気持をいだかしめ、そうした軽挙の心をこそぐるのが、戯作文学であると、大目のご宥恕を請うものである。
※なお、表示の都合上、書籍と異なる表記(傍点を太字に変更)を用いた箇所があります。ご了承ください。
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