古典への招待

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「形代」としての浮舟

第25巻 源氏物語(6)より
形代かたしろ」としての浮舟「筑波山つくばやまを分け見まほしき御心はありながら、端山はやましげりまであながちに思ひ入らむも、いと人聞き軽々かろがろしうかたはらいたかるべきほどなれば、おぼはばかりて、御消息せうそこをだにえ伝へさせたまはず」。東屋巻はこのように語り起される。分け入ることの容易な筑波山であり、まして端山にはなんの妨げもないはずだが、さればとてそう一途に乗り出すこともならぬ。今上の女二の宮の夫君であるような高貴びととしては常陸介ひたちのすけの継娘浮舟に懸想するなどもってのほか、体面を汚す振舞と取り沙汰されることを恐れたからである。
 いったい薫が宿木巻で中の君の口から浮舟という異母妹の存在を教えられたのはどういう経緯であったか。薫が大君忘れがたさを訴え、宇治の故地に「昔おぼゆる人形ひとがたをも作り、絵にもきとりて、行ひはべらむとなん思うたまへなりにたる」と言ったのに対して、中の君は「うたて御手洗みたらしがは近き心地する人形こそ、思ひやりいとほしくはべれ」と応答した。薫のいう「人形」は大君の画像であるのに対して中の君は同じ「人形」でも川に流す身代りの意にとりなし、姉の大君が可哀相ですと当意即妙にいなしたのだった。このような「人形」問答を機縁として中の君の口から大君の容姿に酷似するという異母妹浮舟は紹介されたのだった。心動かされた薫がその人を深く知りたいと訴えはするものの、それはしょせん「人形」への願いであり、亡き大君への思いがどのようにいやされることになるのだろう。やがて薫は寝殿の改築について阿闍梨あじやりと打合せをするために宇治に赴くが、その際弁の尼を呼び出しての世間話の折に「もののついでに、かの形代かたしろのことを言ひ出でたまへり」ということになる。「もののついで」であるのに注意したい。まともな用件であってはならない、それも薫の身分・立場ゆえである。ここで中の君のつつましさから聞き出しえなかった浮舟の経歴が弁の尼の口から明らかにされ、薫は所望の意向の伝達を弁の尼に依頼することになるのだが、しかし、「わざとはなくとも、…かくなん言ひしと伝へたまへ」と、けっして切実な願望の言葉づかいでないのは、やはり身分意識の縄縛ゆえであろう。宿木巻の巻末に、薫は宇治の地で初瀬詣での帰途の浮舟の一行と来合わすことになり、田舎びた供人のなかから抜きんでた浮舟の気品風姿に強く心をひきつけられるが、この感動はまさに大君の再来という印象ゆえであり、ここに浮舟は文字どおり大君の形代として物語の世界に登場したことになる。薫の所望はさらに弁の尼を通して先方に伝えられるという段取りだが、以上の経緯を受けての前記東屋巻の冒頭であった。
 薫が身分の劣る浮舟に対して積極的に出られない、そのことと見合うかたちで語られていくのが浮舟の母中将の君の、あたかも振子のごとくに揺れ動く意識・態度であるといえよう。いったい、中将の君が八の宮との間にもうけた浮舟を連れ子として常陸介ひたちのすけの後妻に落着したのは余儀ないことであったが、彼女は、経済的にはかり知れぬ富裕を誇りつつも貴族的伝統的な教養の欠如したすけの家の野鄙やひな気風を遮断して、八の宮の血を受けた浮舟を別格に養育したのだった。しかし浮舟は父宮から娘として認知されたのではなく、なんといっても介の家の一員であることを否定しえないとあっては、多くの求婚者のなかでも故大将の子息の左近少将なら婿として通わせるにも面目の立つ良縁と思い定めていたところ、その少将から、浮舟が介の実子でないことを理由に破約され、のみならず介の実の娘である妹に乗り替えられるに及んでは、怒りと屈辱に堪えられなかった。しかしそうしたなりゆきをむしろ多として薫との縁組を勧める乳母に対しては、自分と八の宮との体験にかんがみて決然と拒否するほかなかったのである。薫にとって常陸介の継娘の浮舟ごときが一人前に扱われようはずもなかろう、母宮づきの女房として召人めしうど扱いを受けるのがせいぜいであろうと思うほかない中将の君は、翻って、心の通いあいもないけれど二心のない常陸介の安定した妻の座をよしとすることにもなるのだが、結局は薫のような高貴びとの世界とは無縁のわが分際がまじまじと悲しく見つめられるのだった。
 そのような中将の君が浮舟の身柄を中の君に託すべく二条院に赴いた際に、匂宮の風姿を目にしては「七夕たなばたばかりにても、かやうに見たてまつり通はむは、いといみじかるべきわざかな」と思い、さらに薫の姿をかいま見たときには「あまの川を渡りても、かかる彦星ひこぼしの光をこそ待ちつけさせめ」という心地に転ずるのだった。粗野で無教養な者たちを見慣れていたために左近少将ごときをたいしたもののように思っていたことが悔まれてならぬという。浮舟を薫に縁づけようという方向が決定されることになるが、しかしながら「彦星の光をこそ待ちつけさせめ」、年に一度の逢瀬おうせをもという願いと数ならぬ身の痛感とが表裏をなすことはいうまでもなかろう。
 身を寄せた二条院で匂宮に迫られた浮舟は三条の小家に逃れたが、やがて薫によって宇治の地に移し住まわせられた。その折、弁の尼への仲立ちを依頼するにも外聞へのはばかりの著しい薫であったし、一夜の語らいののち翌朝連れ出される浮舟がほとんど拉致らちされるかのようであるのも注意したいところである。同じく大君の面影を求めた中の君に対する薫の挙措がどこまでも相手の態度や立場への配慮を怠らずふるまわれていたのに比すれば、浮舟への扱いはまさに際立ってあながちであるといえよう。そもそも、その登場が「人形ひとがた」の問答を発端としていることに象徴されるように彼女は一人格として尊重されるものではありえないのである。
 浮舟が薫によって三条の小家から宇治に連れ出されるまでの経緯は、かつて紫の上が源氏によって二条院の西の対たい形代かたしろに迎え取られていったのと同趣だが、同じ形代かたしろ形代かたしろではあっても、その人との宿縁が源氏の無類の栄華の土台である藤壺に限りなく近づいていって源氏と苦楽を共生することにもなった紫の上と、現世における栄達を約束される身の上に背反して故大君に捧げる一念をいやすべく登場させられた浮舟と、両者の差異は著しいといえよう。じつは浮舟によって大君への思いが癒されるのであったら、薫の在り様の根拠は消滅するほかないだろう。
 いったい薫と浮舟との間にどのような心の交流がありえたのだろう。彼女のなかに大君の面影を見いだして感動する薫の心は、当の浮舟のまるで関知するところではない。薫の弾琴にも同調しえず、朗詠の意味も理解の埒外らちがいである浮舟は、ただ薫に対して終始恥じ入るばかりだが、そうした彼女を「形代かたしろ形代かたしろ」として、薫はただ亡き大君への思い出を悲しくたどっている。
 東屋巻の終段に語られるこのような両者の関係は、次の浮舟巻における新たに発生した匂宮と浮舟との関係と対照的に際立つことになる。匂宮の浮舟への傾倒はその身分・地位の縄縛をふりほどき、一個の男として全身的であり、浮舟もおのずから全身的な惑溺わくできをもって宮に応えているといえよう。対して薫と浮舟はけっして一対一の男女関係になりえないのである。薫は浮舟を庇護ひごすることによって亡き大君への思いを反芻はんすうしているのであった。浮舟がそのような薫を迎えるとき慚愧ざんきにさいなまれ畏怖いふしつつも、その心に、というよりは身体からだが情熱一途の匂宮を恋い、一方、匂宮を迎えるときは永続性の保証のない刹那せつな的燃焼に惑溺わくできしつつもこの不倫のために薫から見放されるかもしれぬことへの恐怖におののいている。
 薫のどこまでも思いやり深いやさしさは否定しえなかろう。しかしながら女二の宮の夫君としての名声にそぐわぬふるまいへと逸脱することがあってはならぬ、細心の分別・知恵を身につけた、いわば苦労人でもある薫であった。浮舟がそのような薫と、情熱一途の匂宮との板挟みになって入水の決意へと追いこまれていったものの横川よかわ僧都そうずによって救済され、やがて僧都の得度によって剃髪するに至る経緯がいかに必然的に運ばれていくか、原文を読んでいただくほかないが、そうした浮舟の消息を聞き知った薫からさし向けられた使者である、肉親の弟小君に対して、浮舟は見ず知らずの人として応対を拒むのだった。このような浮舟の態度についての薫の判断、これが夢浮橋巻の大尾でもあるのだが「……思すことさまざまにて、人の隠しすゑたるにやあらんと、わが御心の、思ひ寄らぬくまなく落としおきたまへりしならひにとぞ」とあるのをどう読むべきなのか。自分を自死へと追いつめた現実の人間関係とすべて決別して新しく生き蘇ろうとする浮舟の心意にはとうてい立ち入ることのかなわぬ、あまりにも遠く隔たって俗情になずむ薫がここには居る。浮舟が薫の寄りつくこともならぬ別位相の女主人公となっているということは、もともと薫にとって、大君への思いをあたためるための「形代」にすぎなかった浮舟なればこその到達であったといえよう。
 本巻におさめるのは50東屋、51浮舟、52蜻蛉、53手習、54夢浮橋の五帖である。
 かつて八の宮家の上﨟女房であった中将の君は、八の宮との間にもうけた浮舟を連れ子として現在常陸介ひたちのすけである男の後妻におさまっている。彼女のもとには浮舟に対する薫の所望が伝えられていたが、懸絶した身分差の認識から応じようとはせず、求婚者のなから左近少将を相応の婿と思い定め、縁づけようとした。しかし少将の目当ては常陸介の莫大な資産であったから、浮舟がすけの実子でないと知るや、媒人の提言に従って実子の妹娘と結婚した。慨嘆した中将の君は浮舟の身柄を二条院の中の君にゆだねたが、そこでかいま見た匂宮や薫の容姿に感嘆し、浮舟をこのような高貴びとに縁づけたいと望むようになった。しかし浮舟が匂宮の目にとまって言い寄られたことは不運であった。中将の君は浮舟を引き取って三条の小家に移した。宇治の弁の尼から浮舟の消息を聞き知った薫は、彼女をその隠れ家から大君との思い出深い宇治の地に連れ出した。〈東屋〉
 匂宮は浮舟の素姓を知らぬまま忘れられなかったが、中の君のもとに寄せられた消息から彼女が薫にかくまわれて宇治に住んでいることを知り、深夜宇治に赴き、薫の来訪であるかによそおって浮舟に迫り、思いを遂げた。浮舟は過失におののくものの、薫とは対照的に情熱一途の匂宮にひかれていった。薫は憂いをたたえる浮舟の様子がいたわしく、いずれ京に迎えようと約束する。宮中の詩宴の夜、匂宮は雪を冒して宇治に出向き、浮舟を対岸の隠れ家に連れ出して耽溺たんできの二日間を過した。薫が浮舟を京に迎える手筈をととのえていることを知った匂宮は、先んじて浮舟を隠そうと計画した。匂宮との関係はやがて薫の知るところとなり、進退きわまった浮舟は宇治川への入水を決意した。〈浮舟〉
 浮舟の失踪に、宇治の人々は動転した。入水と判断され、亡骸なきがらのないまま葬儀が営まれた。薫も匂宮も悲嘆を禁じえなかったが対応はそれぞれであった。薫はこうした事態に至るまでの己れの処置を悔い悲しむとともに母親の心内を察し、弟たちの後見を約束した。四十九日の法要も手厚く営んだ。明石の中宮が六条院で法華八講ほけはつこうを催した折、薫はたまたまかいま見た女一の宮の高貴な美しさに魅了され、正室の女二の宮に同じ姿をさせてみたりしたが慰まず、しきりに中宮や女一の宮の身辺に出入りした。その中宮のもとに宮の君と呼ばれて故式部卿宮の姫君が出仕していたが、その人の身の上の不運への思いから、おのずと宇治の姫君たちとのはかなかった縁が追想されるのだった。〈蜻蛉〉
 初瀬詣での帰途、発病した母尼を看護するために下山した横川よかわ僧都そうずによって、行き倒れて正気も失せた浮舟は救われた。同行していた僧都の妹尼は彼女を亡き娘の代りに観音が授けてくださったものとして手厚く看護し、小野の庵に伴ったが、浮舟は口を閉ざして身の上を語らなかった。かつて妹尼の娘婿であった中将によって求愛され、尼たちも浮舟が応諾することを期待したが、浮舟は尼たちの不在のすきに折よく下山した僧都に懇請して剃髪した。ある日、小野を訪れた妹尼の甥、紀伊守きのかみの口から薫によって自分の一周忌の法要が準備されている由を聞かされ、無量の感慨を禁じえなかった。やがて浮舟の消息を聞き知った薫は、叡山を訪れる折に僧都に会うべく横川まで足をのばしてみることにした。〈手習〉
 薫は横川を訪れ、僧都から事の経緯を聞いた。僧都は、薫が平静をよそおいながらも浮舟への気持の並一通りのものではないことを知って、浮舟を出家させたことを後悔したが、小野への下山を希望する薫の懇請には応じられなかった。後日を約して、浮舟への消息を浮舟の弟小君に託しただけであった。その夜、初夏の闇のなかを横川から下山する薫の一行の松明たいまつの光は、小野の庵からも遠望された。浮舟は思い出をふり捨てて、念仏に励むのだった。小君によってもたらされた僧都の消息には、薫の愛執の罪の消えるようにしてさしあげよとあった。小君の姿を目のあたりに見る浮舟の心は乱れるが、どこまでも人違いである由を言い張って対面を拒んだ。俗世とのかかわりを断って仏に仕えようとする浮舟の将来は予想の限りではないけれど、薫にとって彼女の心境は理解の埒外らちがいであった。〈夢浮橋〉(秋山 虔)
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