ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
これは、よく知られているように、『方丈記』の序章であるが、『方丈記』にはつづいて、都のうちにひしめいているような人々とその住いとは、昔から今にいたるまで、いつも変ることなく同じ有様のように見えるが、じつはそのすべてが、入れ替り立ち替り亡び去り消え失せていったのであり、ちょうど「河の流れ」が、いつも目の前に同じ姿で変ることなく流れているかのように見えながら、河の水そのものは刻々変化しているように、この世は、人間も自然も絶えず移り変り亡び去ってゆく、つまり無常なものでしかないことを、作者の
鴨長明自身が体験した都の大火、大地震、さては二年にわたる
惨憺たる
飢饉の状況などを回想しながら、克明に
捉え示すことによって説得的に語っているのである。
また『方丈記』に続いて成立した『徒然草』も、たとえばその第一五五段に、
生・住・異・滅の移りかはる、実の大事は、たけき河のみなぎり流るるが如し。しばしもとどこほらず、ただちに行ひゆくものなり。
と述べているように、人間がこの世に生を
享けてから後は、水勢の激しい河が満ちあふれて流れ下るように、生から死へとたちまちのうちに移り変って、一瞬もとどこおることがないと述べ、『方丈記』よりもさらに強い調子でもって、この世の無常を説いている。
『徒然草』はまた続いて、自然の移り変りを述べて、それは春・夏・秋・冬ととどまることなく
廻り行くことを説くのであるが、人間の生命は、ただ生・老・病・死と転化するだけでなく、その死はいきなり後ろ髪を
掴むように、人間を
捉え、老若の順序など無視して襲いかかってくるものだと、人間の生命のきびしい無常を確認しているのである。
『徒然草』には、こうした生命の無常を説くところがいたるところにあり、その作品構造の枠組みが、こうした無常思想にあることを物語っているのであって、『徒然草』が無常観の文学といわれてきたのも当然のことであろう。
結局、『方丈記』も『徒然草』も、われわれの世界は、目の前にいつも変ることなく同じ姿でとどまっているかのように見えるが、それはすべて
仮の姿であって、実は絶えず亡び去り消え去ってゆくもの、つまり無常の世界にすぎないことを説いているのであり、二つの作品は、それぞれ鎌倉時代の初期と末期とに成立しながら、いずれも仏教的な無常思想を骨組みとして展開しているのである。
ところで、早くから、日本の古典文学の中から『枕草子』と『方丈記』『徒然草』とを選び出し、三大随筆として併称する習慣があった。しかし『枕草子』は、たとえばその巻頭に、
春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は夕暮。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏のねどころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。
などと続けられている描写が、比類まれなあざやかなタッチで自然を捉え、読者を魅了してきたように、作者
清少納言の眼は、『徒然草』の作者
兼好のそれと比べても、抜群の鮮明さで対象を見据えているのであるが、結局、『枕草子』は王朝時代の『源氏物語』を中心とする、
あはれの文学であり、
をかしの作品であって、その文学としての質は、文中に「あはれ」「をかし」の語が多用されているのにも
垣間見られるように、王朝風のすぐれて情緒的な作品として群を抜いているのであり、深い思想的な追求といったものは認められない。だから、これらの作品が三大随筆として併称されたとしても、それは形式的な類縁にすぎないのであって、作品の本質という点では甚だしい隔りがあるのである。
この事実は、結局、『枕草子』の生れた王朝時代と、『方丈記』や『徒然草』の成立した鎌倉時代との相違にかかわるわけで、王朝時代が平安末期に亡びて、源頼朝による鎌倉政権がこれにとって代り、中世武家社会が樹立されるためには、保元・平治の合戦をはじめ平清盛の平家が亡びた治承・寿永の内乱などという、まるで世の終りかと思われるような大動乱がつぎつぎと起って、人々は、その深刻な危機にもとづく不安から救済されるための心の支えを求めて、宗教的な思想に頼るようになった。だから、この時代には
法然をはじめ
道元・
親鸞・
日蓮・
一遍その他多数の宗教家つまりすぐれた思想家たちが、つぎつぎと生れることになり、文学の世界でも、『枕草子』などと異質の『方丈記』や『徒然草』のような思想的な作品が成立したのである。
ところで、法然以下の仏家たちにも、また当然さまざまな宗教的著述があり、それらの作品は仏教的な語録として「法語」と呼ばれている。正確にいえば「法語」とは、「
正法を説ける言語なり」(織田得能『仏教大辞典』)であって、「正法」つまり仏の説き給うた法を正しく説いた
言説が、これらの宗教家たちによって、つぎつぎと生れたのである。なかにも、その「正法」を仮名混じりの文字によって説いた文章が「仮名法語」として、多くの思想的な作品を生み出すことになった。ここに掲げられた『正法眼蔵随聞記』と『歎異抄』とは、その中でも最もすぐれた著述として広く読まれてきたし、中世の思想的著述の中でも、とりわけて群を抜く作品として
聳え立っているのである。
もちろん、これらの法語は、もともと文芸作品として生れたものではなく、本来、正法を説く言語として成立している。たとえば、『正法眼蔵随聞記』の道元のごときは、その『随聞記』の中で、自分も若い時には仏典以外の、
外典を好み読んだので、ややもすると今でも、文章法にかなった文を書こうとすることがある。つまり、
先づ、文章を見、対句・韻声などを見て、善きぞ、悪しきぞと心に思うて、後に、理をば心得るなり。
と、自らの体験を反省しながら述べているが、また改めて、
法語等を書くにも、文章に課せて書かんとし、韻声差へば礙へられなどするは、知りたる咎なり。言語・文章はいかにもあれ、思ふままの理を顆々と書きたらんは、後来にも、文章は悪しと思ふとも、理だに聞えたらば、道のためには大切なり。(二ノ十三)
つまり、まず自分の考えている道理を、何よりもまず精確に述べることこそが、道のためには先決で大切なのであると説いているのだ。
いったい『随聞記』は、本書の「解説」にも詳しく述べられているように、道元の弟子の
懐奘が編成したものである。つまり懐奘が宋から帰国した道元の門に入り、その人格に熱烈に傾倒、道元の説示を聞くに従って忠実に記録し、やがて『正法眼蔵随聞記』として編成したのであるから、『随聞記』は道元の語録であるとともに、懐奘の編著と考えられる。懐奘は師道元の説示を何よりも忠実に記録しようと努めたのであって、その著述が文芸的であろうなどとは考えもしなかった。何よりも道理を「つぶつぶ」と述べたのである。しかし、そのことがかえって、『随聞記』をすぐれた文芸的な法語として生み出すことにもなったのである。
また続いて採り上げている『歎異抄』は、親鸞の法語の代表的なものと認められるのであるが、これも親鸞が自ら書き留めたものではない。親鸞の弟子
唯円が、「耳の底に
留むる所」を忠実に書き留めたのが、『歎異抄』の主要部分である。
当時、東国には唯円のような親鸞の忠実な信者も少なくなかったが、他方親鸞の説を曲解して師の説と呼称する者、たとえば親鸞の長男の
善鸞のような、異義を唱えて反逆する者もはびこり、親鸞はついにわが子を義絶してしまうほどであったので、唯円はこれら異端の
跳梁を
歎き(歎異)、これを批判するために、側近に
侍って直接耳にした師の説を、ただひとえに証文として、これらの異端説を退けようとしたのであるから、『歎異抄』には親鸞自身の語った言葉を、その表現のリズムにいたるまで如実に伝えたところが少なくないだろう。
たとえば、
善人なほもつて、往生を遂ぐ。況んや、悪人をや。
しかるを、世の人、常に言はく、「悪人なほ往生す。いかに況んや、善人をや」。この条、一旦、その言はれあるに似たれども、本願・他力の意趣に背けり。
と説かれている、いわゆる「悪人往生」の説にしても、悪人が往生できるならば、まして善人が往生できないはずはないと考えるのが、「世の人」の常識であるのに、親鸞はこれに反して、善人が往生できるとすれば、まして悪人が往生できないはずはないと断じて、常識的な見解を逆転させている。これは親鸞の深い信仰から初めて獲得された思想であり、ここには善と悪とが価値転換され、常人の常識的な思想を百八十度転回させることによって、「悪人往生」の説が打ち立てられているのである。
このような思想は、中世という、武家社会が貴族社会を否定して成立した時代、つまり社会的な変革期でこそ、初めて生れ得た、いわば革命的な思想の転換というべきである。
親鸞の所説、世の常識を逆転させるような思想の展開は、『歎異抄』の中には随所に説かれているのであって、先に見てきた道元の『随聞記』にしろ、この『歎異抄』にしろ、数ある法語の中でも、もっとも深刻かつ
尖鋭な表現として形成されたのである。
以上見てきた『方丈記』『徒然草』、また『正法眼蔵随聞記』『歎異抄』の四つの著述は、一方は随筆作品の、他方は法語の代表として、ここに収められているのであるが、形式こそそれぞれ異なるにしても、その本質は、いずれもすぐれた思想的言説として、日本の古典を代表する作品ばかりである。
これまで、日本の古典文学は情緒的な表現に
偏りすぎており、思想性に乏しいと説く者もあったが、これらの作品こそは、このような所説を事実をもって批判しているのであり、その意味でも、この『新編日本古典文学全集』本巻の編成は、今後さらに注目されてしかるべき一巻ではなかろうか。(永積安明)