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このコーナーでは「国とは?」「地名とは?」といった、地域からは少し離れたテーマなども取り上げ、「歴史地名」を俯瞰してみました。地名の読み方が、より一層深まります。また「月刊百科」(平凡社刊)連載の「地名拾遺」から一部をピックアップして再録。

第10回 穴馬 
【あなま】
3

轆轤師が定着し、落人伝説をはぐくんだ風土
福井県大野郡和泉村
2007年11月16日

 福井県の東端に位置する和泉(いずみ)村は、毘沙門(びしゃもん)岳・平家(へいけ)岳・猿塚(さるづか)滝波(たきなみ)山・荒島(あらしま)岳など標高一千メートル以上の山々が連なる山地で、山間を流れ出る石徹白(いとしろ)川・大納(おおのう)川・伊勢(いせ)川などが、村の東から北西に流れる本流九頭竜(くずりゅう)川に合流する。集落はこれら谷間に開けた僅かな平地に点在する。
 おおよそ和泉村一帯は、かつて穴馬(穴間とも書く)・穴馬谷・穴馬山と称され、「帰鴈記」(松平文庫本)は「あなま山といふは、美濃国へこゆる方なり、木たち生茂て道すがら日の光も見えず」と、近世前期の様子を記している。穴馬の名は、長承二年(一一三三)六月一四日付の官宣旨案(醍醐雑事記)に、「穴馬河内」と見えるのが早く、昭和三一年(一九五六)和泉村となるまで上穴馬村・下穴馬村としてその名を伝えてきた。

 穴馬には源氏あるいは平家の落人の伝承をもつ家が多い。伊勢川の上流、下伊勢の三嶋又左衛門家旧蔵文書によれば、三嶋氏は平清盛の孫越前守資盛の子孫で、本拠はもと長門国であったが、平家没落の後、この地に土着したという。
 また石徹白川と九頭竜川が合流する北西岸にある朝日(あさひ)には、かつて穴馬に君臨したという朝日家があったが、同家にちなむ次のような伝えもある。
 平治の乱に敗れた源氏の一統悪源太義平は、穴馬郷朝日の御所(ごしょ)(だいら)に隠棲した。義平は妻を娶り平和な年月を過したが、平家追討の機が熟して都へ上ることとなった。別離に際して義平は形見として懐妊中の妻に脇差と青葉の笛を贈ったが、武運つたなく京都六波羅で敗死したといい、その後生まれた子供がこの朝日家の初代であるという。
 義平の贈った青葉の笛は氏神八幡宮(現在は合祀され熊野神社)に奉納され、悲話とともに現在に伝えられる。
 御所ヶ平の地名は、轆轤師(木地師)の祖と仰がれる惟喬親王の住した地として、全国各地の轆轤師集落に必ずというほど存在する地名で、朝日家も轆轤師と関わりのある家であったといわれる。

 穴馬の豊かな山林は、この地に轆轤師の定着を招いた。その時期は古く中世に遡るという。
 朝日の対岸川合(かわい)の平野家は轆轤師の家柄と伝え、承久二年(一二二〇)九月一二日の日付をもつ大蔵卿惟仲・民部卿頼貞・藤原定勝署名の「抑惟喬親王御位清和天皇奪取儀宣云々」を冒頭とする由緒書や、「抑々惟高親王御従成呈天王奪取義宣親王逆鱗座宛」ではじまる、寛政二年(一七九〇)一〇月一五日の添書のある由緒書を有する。また大納川上流の上大納の草分けは登善四郎家と伝え、轆轤師出身という。その他、穴馬の南部山間集落の荷暮(にぐれ)久沢(くざわ)などにも、中世に轆轤師が定着したことを伝える文書が残り、永享一二年(一四四〇)四月日付の「春日社領越前国大野郡小山庄田数諸済等帳」(天理図書館蔵)の「下穴間領家方御年貢等事」に節季の雑器物として、折敷・台・桶・杓などの木製品が記される。穴馬谷に落人伝説が多く聞かれるのは、木地材を求めて山から山へと巡り歩いた轆轤師の定着と無関係ではなかろう。
 穴馬へは近世にも美濃国の郡上(ぐじょう)山県(やまがた)武儀(むぎ)本巣(もとす)揖斐(いび)の轆轤師が入山してきたが(朝日家文書)、これらの内そのまま穴馬に定着する人々もあったという(若山家文書)。近世後期の「氏子駈帳」(筒井正八幡宮文書)によれば、穴馬谷全域に轆轤師の稼業を認めることができる。

 高山が連なり辺境の地とも思われる穴馬にも、おおよそ九頭竜川に沿って遡り、長良(ながら)川上流に出て美濃国に至る穴馬道が開かれており、越前・美濃両国を結ぶ動脈となっていた。九頭竜川沿いの持穴(もちあな)下半原(しもはんばら)などから検出された繩文時代の遺物にその交流の跡が見られ、道の古さが推察される。
 鎌倉時代後期、この道筋を通って、三河国の和田門徒の流れをくむ如導・信性等によって浄土真宗が越前国にもたらされた。穴馬の人々が真宗門徒となったのも彼等の教化によると伝え、中世末期には穴馬門徒と称されるまでに浸透した。
 穴馬では、集落ごとに小さいながらも寺院に代わる道場を建て、浄土真宗の行事を共同で行なう場所とした。またこの道場は村の諸事を相談する集会場ともなり、穴馬の山村に居を定めた人々の、共同体としての結びつきをさらに強める役割を果してきた。

 昭和三四年完成した九頭竜ダムは多くの集落を人造湖底に沈めた。これを契機とする開発の波は、穴馬を一変させる勢いである。

(M・K)


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初出:『月刊百科』1981年10月号(平凡社)
*文中の郡市区町村名、肩書きなどは初出時のものである。