古代から近世にかけて利用された奥羽国境の峠道は、最南の檜原峠=会津街道から最北の吹越峠・鍋越峠=仙台街道まで数多くがあった。吹越峠・鍋越峠越えは、奈良時代に陸奥出羽按察使大野東人が軍事目的のために開いた道と推定されており、陸奥国府多賀城と出羽国府を結ぶ官道は、笹谷峠を越えていたと考えられている。笹谷峠は歌枕有耶無耶関の有力比定地でもある。二井宿街道は、七ヶ宿街道(羽州街道)の湯原宿(現宮城県七ヶ宿町)から二井宿峠を越え、二井宿村―安久津村―高畑村―竹森村(以上現山形県高畠町)を通り、爼柳村(現南陽市)で米沢街道に合していた。爼柳村から西は大塚街道の名でよばれ、出羽を横断して越後へ至る道として、吹越峠・鍋越峠越え、笹谷峠越えに劣らず古くから利用されてきた道である。
二井宿峠が開かれ、この街道が二井宿‐湯原間の主道になった時期は不明だが、伝えによれば、伊達氏領時代に九州浪人島津某が新宿(寛政五年二井宿の表記に変更)に入り、馬足のかなわぬ古道を捨てて新しい峠道を開き、その功により伊達氏から峠の関守を命ぜられたという。最上義光が弟中野義時と反目し、伊達輝宗が義時に加勢した最上合戦の際の天正二年(一五七四)五月、輝宗は新宿に出馬しており(『伊達輝宗日記』)、同一五年一月、伊達政宗は新宿の関守に命じて、一駄二〇〇銭以上の貨財と甲胄・火薬・塩硝等を関外へ移出することを禁じている(『奥羽編年史料』)。
戦国期以前の古道は二井宿から屋代川沿いに北上、上の台から東の沢に入り、六四〇メートルの尾根を越えて干蒲(現七ヶ宿町)に出る道だったと推定される。この道は上の台からさらに北上すれば柏木峠(二重坂)を越えて羽州街道上山宿に、途中左手に進めば小岩沢村(現南陽市)に至る。なお上の台から尾根を越え東方干蒲へ向かう道とは別に、尾根を越えたあたりから南下し、湯原宿に向かう沢道もあったらしく、七ヶ宿町側に古道沢の称が残っている。屋代川沿いには遺跡・古墳の分布が密にみられ、古くからのこの道の利用を物語っている。
江戸時代、出羽置賜地方から城米を搬出する街道としては、二井宿街道と板谷街道が用いられ、また羽州街道を北上して船町河岸(現山形市)から最上川を下す方法があった。しかし板谷街道の場合は、寛文年間(一六六一‐七三)の阿武隈川改修までは福島から水沢(現宮城県丸森町)まで陸送しなければならず、船町河岸利用は最上川下しの船賃が加算されるため、二井宿街道‐七ヶ宿街道を使って阿武隈川河口の荒浜(現宮城県亘理町)へ出すことが多かった。ただし同街道は山道が多いうえに宿場も少なく、「安永風土記」によると、湯原・峠田(現七ヶ宿町)の両宿を合せて馬一七疋・牛五〇疋、渡瀬宿(現同上)は馬一八匹・牛八疋のみで、助郷制の成立も困難な地域だったから、計画通りの輸送はできなかったようである。
五街道や主要な街道に伝馬制が敷かれていた江戸時代、幕府や藩の公用荷は宿駅に常備された馬によって継ぎ送りされ、牛が利用されることは少なかった。牛は専ら民間荷の運搬や畿内の一部に発達した牛車に利用され、馬の道=表街道に対し、裏街道ともいうべき庶民の牛の道が形成されていたという。しかし馬に比べてはるかに飼育しやすく、速度は劣るが坂道に強く、人間といっしょに野宿できる牛は、伝馬役によって疲弊した宿村によって、しだいに表街道にも進出していった。それは優れた牛の産地である西日本で早くに始まり、馬産地である東国へも浸透していく。先の「安永風土記」に記された牛も、当時は公的な駄載には用いられていなかったが、天保一四年(一八四三)七ヶ宿の検断は連名で、出羽米沢からの城米を牛で駄送したい旨を大肝煎に願い出ている(「御用留」安藤家文書)。
また牛の効率性に目をつけた、伝馬制を崩壊させるような動きが、幕末には東国でもみられるようになる。上野国の例であるが、安政年間(一八五四‐六〇)、利根郡追貝村(現群馬県利根村)の久右衛門は、会津藩の払米を会津街道を牛で付け通しで駄送し、既得権益を犯されたとする同街道の宿村との間で係争を起している。この時の「済口証文」(戸倉区有文書)によると、宿村側の申立て条項のなかに、牛が通ることにより道・橋が荒れること、牛は山野を嫌わず野宿し作物を食い荒らすため道中の村々が迷惑すること、牛追いは一人で四、五疋の牛を引くことができるので、駄賃の面で太刀打ちできないこと、などがあげられている。
江戸時代、二井宿村でどのくらい牛馬を飼っていたかは不明だが、現在同じ高畠町に属し、茂庭街道豪士峠の峠下集落である和田村には、天保九年、馬一〇疋・牛一四四疋以上がいた。村の牛耕に使われ、あるいは賃牛も行われていたかもしれないが、主としては駄賃稼ぎに使役されたのだろう。牛の背で、置賜地方から紅花・青苧・漆蝋・酒などが移出され、塩・白石素麺・魚・紙・伊達こんにゃくなどが運び込まれたのだった。
(H・M)
初出:『月刊百科』1990年5月号(平凡社)
*文中の郡市区町村名、肩書きなどは初出時のものである