福島県の北端、宮城・山形両県との境界近くに位置する山村が茂庭である。奥羽山脈中の摺上山(九九七・一メートル)に発し、深い谷を形成する摺上川に沿って二十余りの集落が数珠玉のように連なっている。左岸の集落を縫うように走る国道三九九号は、古くから出羽国高畠()(現山形県高畠町)とを結んだ稲子()峠越の道をほぼ踏襲している。村人は谷間の畑地で粟、稗、豆類などをつくり、苦労して水を引き水田を開いてきた。
狭小な耕地にかわって森林資源には恵まれ、伐木や炭焼きなどの山稼ぎが盛んであった。慶長二〇年(一六一五)出羽国和田()村(現高畠町)との間で山境争論があったのをはじめ(「山境証文」加藤家文書)、周辺の村々と生活をかけた山論が繰り返された。摺上川を利用しては流木がなされ、寛文(一六六一‐七三)以降、木の大きさや木揚場などについて定めた証文が作成されている。
明暦三年(一六五七)には茂庭山に合計一千人の人足が入って大規模な伐木が行われており(「承明日帳」福島市史)、これは江戸の明暦の大火に伴うものといわれている。
茂庭は伊達氏の重臣茂庭氏の名字の地とされ、同氏の祖による大蛇退治の伝説がある。それは建久三年(一一九二)斎藤実良が地内の菅()沼に棲む大蛇を退治して生贄の娘を救い、村人に請われてこの地にとどまり地名を姓にしたというものである(「白鳥大明神縁起」吉井家蔵など)。大蛇を退治する際、日本武尊の化身である白鳥が現れ加勢したといい、中茂庭()に鎮座する白鳥()神社は、茂庭氏が祀ったものと伝える。また、二度と生き返らないよう大蛇を頭・胴・尾の三つに切り、田畑()・名号()・梨平()の三ヵ所にそれぞれ埋めたといい、三地区にはいずれも御嶽()神社が祀られている。梨平には茂庭氏の墓もあり、住民はいまも同氏を殿様とよんでいるという。
茂庭氏は斎藤内蔵人行元を祖とし、山城国八瀬()(現京都市左京区)に住したが、のち移って下総国佐倉()(現千葉県佐倉市)、さらに下野国那須()に住していたといわれる(「茂庭家譜」福島市史)。大蛇を退治したと伝える実良以後、奥州合戦の戦功により伊達()郡を与えられた伊達氏の家臣となったとされ、慶長八年(一六〇三)良元が松山()(現宮城県松山町)に上野()館を築き、以後代々が居住して幕末に至った。
ところで、茂庭は近世初頭まで、鬼庭として史料に登場する。天文二二年(一五五三)の晴宗公采地下賜録(伊達家文書)には伊達西根()鬼庭とみえ、文禄三年(一五九四)の蒲生氏の高目録(内閣文庫蔵)にも鬼庭として四八二石余が高付けされている。しかし、慶長三年に蒲生氏に代わって当地方を領した上杉氏が作成したとされる邑鑑(米沢市立米沢図書館蔵)では茂庭と記され、以後この表記で現在に及んだ。
晴宗公采地下賜録では、鬼庭左衛門に天文一一年までの知行どおり鬼庭之内が安堵され、加恩の地として同所小幡分・秋庭()在家・金沢上総分・田はた在家・小中島在家・小泉()在家が棟役・段銭・諸公事とともに与えられている。鬼庭左衛門は茂庭氏のことであり、地名を反映して鬼庭を名乗っていたことが判明する。これは「茂庭家譜」に「姓藤原、本称斎藤、中称鬼庭」とあり、「伊達世臣家譜」に「茂庭旧作鬼庭」と記されていることと、うまく対応している。
鬼庭という地名はわたしたちの想像力をくすぐるが、最近刊行された小社『日本史大事典』第一巻の鬼の項によれば、鬼は雷神信仰と結びつくことにより、雷神化・水神(竜神)化したとされ、ここで鬼庭の地名と先の大蛇伝説を結びつけることも不可能ではなかろう。多くの魚が棲む清流であり、生活の糧となった摺上川も、氾濫時には貴重な田畑を潰す大蛇にみたてられたのであろうか。
鬼庭から茂庭への変化は発音も近く、読みに引かれて表記が変わったものとも考えられる。あるいは鬼の字を忌んで、好字の茂に変わったとも推測できよう。表記が変わったのではなく、逆に読み方が変わった例として富山県大山()町の有峰()があげられる。同地は薬師岳の山麓にあって北アルプス最奥の村であった。はじめ村名はウレ、あるいはウレイと称し、寛文元年(一六六一)以後有嶺の字が宛てられていた。しかし、ウレイが憂いに通じるとして忌避され、加賀五代藩主前田綱紀のとき訓読してアリミネと改称されたという。ちなみに古名のウレは水源地の辺鄙な里を意味するとされる(立山黒部奥山の歴史と伝承)。有峰は大正九年(一九二〇)県有地として買上げられて村は解散し、昭和三六年(一九六一)有峰ダムの湖底に水没した。
茂庭でもダムの建設が進められている。平成九年度の完成を目指す摺上川ダムは、県北地方の一一市町村に水道用水・工業用水・灌漑用水を供給し、洪水調節も行うという多目的ダムで、総貯水量は一億五三〇〇万立方メートルの予定である。このダムによって茂庭のうち屶振()・梨平・名号などの集落が水没を余儀なくされ、現在住民の転出が進んでいる。
(K・O)
初出:『月刊百科』1993年6月号(平凡社)
*文中の郡市区町村名、肩書きなどは初出時のものである