群馬県吾妻郡中之条町の高橋家に伝わる「高橋景作日記」安政五年(一八五八)六月一日条に、「当三月越中国大地震にて立山崩れて川をせき止押出し冨山様大聖寺様御領分四五万石亡地と相成候由」と記述されている。
マスメディアの発達した現在、近年の長崎県雲仙普賢岳での火砕流・土石流や北海道奥尻島を襲った津波による被害は瞬時にして全国に伝達される。こうした情報伝達の速さ、精度のなかった幕末においても、越中で発生した「大鳶崩れ」と称される自然災害の情報が、遠く離れた上州の地にも伝えられていたことを前記の記録は物語っている。もっとも加賀大聖寺藩領は、すでに万治三年(一六六〇)段階で越中国から消えていたが。
越中・飛騨両国に大きな被害をもたらした飛越地震は、安政五年二月二六日未明に発生した。この地震は、現在の富山県大山町東部にそびえる薬師岳の西方にあたる有峰付近から、岐阜県吉城郡河合村方面にのびる跡津川活断層によって引き起こされたもので、マグニチュードは六・八ないし七・一と推定されている。この時富山城本丸の鉄御門の石垣が崩れたのは、当時の揺れの激しさの一端を示しているといえよう(「地震見聞録」富山県立図書館蔵)。
地震発生とともに、立山山中の脆弱な地盤は各所で大崩壊を発生させた。立山連峰の中央部に位置するザラ峠(海抜二三四八メートル)の呼称は、岩クズが堆積してザラザラと崩れやすくなっている地形に由来するといい、その脆弱さと付合する。この峠の南西に鷲岳(二六一七メートル)と鳶山(二六一六メートル、奥大鳶山とも称された)が連なっており、両山の西側には立山カルデラの大崩壊地形が凄惨な様相を呈している。この景観は鳶山から西方へ派生していた大鳶山・小鳶山が、飛越地震によって崩壊したために形成されたものである。
地震発生時、大鳶山・小鳶山の麓にあたる立山温泉小屋には本宮村(現大山町)などの杣人三十数人が宿泊していたが、崩壊による土砂の下敷となって死亡したといわれる。立山温泉元締の利田村(現富山県中新川郡立山町)六郎右衛門による二月二九日の報告によると、杣人の消息調査に向かった原村(現大山町)の宗七は崩壊によって行く手を阻まれ、やむなく温泉向かい側の鍬崎山(二〇八九・七メートル)から見下ろした惨状を「小鳶大鳶不残湯川江崩落平山ニ相成申候、且湯小屋悉皆山下タニ相成候躰ニ而、(中略)杣とも不残存命難計」と伝えている(「安政地震山崩一件」加越能文庫)。
大鳶・小鳶両山をはじめとする各所での崩壊によって、常願寺川上流の真川やその支流にあたる立山温泉付近の湯川谷は堰き止められ、巨大な水溜りを形成した。大地震山抜越中泥満水之図(石川県金沢市立図書館蔵)には「大鳶峰四方崩」といった記載とともに、湯川谷付近の水溜りの状況とその規模が描かれており、一説に最大のものは長さ八キロに及んでいたといわれる。
三月一〇日、信州大町(現長野県大町市)付近を震源とする地震によって水溜りの堰が崩れ、大洪水が常願寺川を駆け下った。「越中立山変事録」(富山県立図書館蔵)はその状況を次のように記述する。
安政五午年三月十日巳ノ刻より、立山之内常願寺川入谷ニ当り、山間鳴動して、午之刻ニ至り常願寺川筋一面之黒煙立上り、其中より大巌・大木、森羅万象一時ニ押流レ、水ハ一滴も相見へ不申、堅き粥之如く成泥砂押出し、其内より大岩小岩打交り、黒煙立上り……
そして芦峅寺村(現立山町)、本宮村付近では二、三〇間ほどの大岩が、さらに二里下流の横江村(現同前)付近では、七、八間ほどの大岩が流れ出し、その状況は大洪水というより、むしろ大土石流という観があった。
この洪水は一度では終わらず、四月二六日に再び発生した。前後二回にわたる洪水によって、常願寺川流域の加賀藩領では一四八ヵ村で二万五千七九八石余の変地高が生じ、流失・泥入などの家屋は一千六一三軒、溺死者一四〇人、被災者八千九四五人(四歳以上)という被害を出し(前掲山崩一件)、富山藩領では水難にあった富山城下の総竈数八三九軒・総人数四千三八人、水附村々は三三ヵ村で一万三八七石余にのぼった(「出水御用留」大場家文書)。このように飛越地震によって発生した大鳶山・小鳶山などの崩壊は、二度にわたる大洪水を誘発した。富山県下ではこの一連の災害を「大鳶崩れ」と総称しているが、語り継がれてきたその災害の恐ろしさは、地震よりも洪水に対して力点をおいている。
現在、常願寺川流域の富山市流杉から西番にかけての地などには「安政の大転石」と呼ばれる巨大な石が点在している。これらは大鳶崩れの際に流出したものといわれており、なかでも新常願寺橋西詰の堤防付近にある通称十万貫石は、下半分が埋没しているため正確な大きさは不明だが、重さ約四〇〇トン、直径約六・五メートルと推定されている。当時の土石流が、いかに凄まじかったかを今に伝える遺物といえよう。
(A・K)
鷲岳、鳶山の西方に広がる立山カルデラの崩壊地形
初出:『月刊百科』1994年6月号(平凡社)
*文中の郡市区町村名、肩書きなどは初出時のものである