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このコーナーでは「国とは?」「地名とは?」といった、地域からは少し離れたテーマなども取り上げ、「歴史地名」を俯瞰してみました。地名の読み方が、より一層深まります。また「月刊百科」(平凡社刊)連載の「地名拾遺」から一部をピックアップして再録。

第63回 指月山
【しづきやま】
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山口県萩市
2012年04月20日

指月山は萩市街地の北西端、日本海に突出した半島部にある標高一四三・四メートルの山である。近世、この山に萩城が築かれたため、現在は御城山おしろやまとも呼ばれる。海に面する北西側は花崗岩の露出した断崖で、海上からは容易には近づき難い。全山樹木が生い茂り、楠の大木をはじめ椎・椿・イスノキ・黒松・赤松などが混生し、なかには樹齢六〇〇年を超えると思われる巨木もあり、美しい林相を呈している。また南側の樹林中には山茶花が群生し、その自生北限地である。全山が国指定の天然記念物。

指月の名は、石見国津和野(島根県鹿足郡)の城主吉見正頼の娘で、阿武あぶ郡むつみ村高佐下たかさしもの禅林寺の開基であった妙性院の墓碑銘に「萩津、指月死所、天正十三乙酉八月廿六日」とみえるのが早く、萩城築城以前に、麓付近にあったという指月山善福寺の山号に由来するといわれる。また一説には、善福寺が永享年中(一四二九‐四一)建立される以前は平山ひらやまと称したともいう(防長地名淵鑑)。
毛利家文庫旧蔵の「毛利家旧記写」には、中世の指月山について「中古北条上野前司直元城、其後吉見大蔵大輔広頼出城、亦後吉見出羽守正頼隠居地」とあり、早くから城が築かれていたらしい。しかし北条直元(時直)は長門探題ではあったが、当地に拠ったとは考えられない。津和野城主吉見氏がこの地に別邸を構えていたことは確かである。
慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦に敗れ、防長二国に封じられた毛利輝元は、同八年一一月に居城の候補地として防府の桑山くわのやま(防府市)、山口のこうみね(山口市)と指月山の三ヵ所を選んで老臣福原広俊を江戸に派遣、幕府と折衝したが、最も交通不便な北浦(日本海)に臨む指月山に決定された。
当時、指月山麓付近には吉見氏の別邸をはじめ吉見氏縁故の近藤氏・有倉氏、町人深野氏などの屋敷や、善福寺などがあったが、完全な陸続きではなく、途中に多くの湿地帯があって、満潮時には徒歩で渡れなかったという。近藤露竹がその子権兵衛に宛てた慶長九年の七月二四日付書状(近藤家文書)には「其砌浜の海と玉井川と一つにて我等居り候指月山へは舟にて渡り候」と記されている。
城は慶長一三年に完成するが、指月山麓に本丸・二の丸・三の丸を設け、山頂に七ヵ所の矢倉を配した要害(詰丸ともいう)を備えた本格的なものであった。石材の多くは指月山の花崗岩を用いたという。
指月山を囲む海は、慶安五年(一六五二)の萩城下町絵図に「深海荒津船掛無之」「天狗岩ヨリ御座岩迄三百廿間余岩石ニテ人馬共足立無之」とあり、文字通り要害の城であった。

築城工事に併行して指月山麓には鎮守宮崎八幡宮をはじめ、真言宗満願寺、臨済宗洞春とうしゅん寺など毛利氏ゆかりの社寺が移建された。うち洞春寺は、毛利元就の菩提寺として元亀四年(一五七三)安芸国吉田(広島県高田郡吉田町)の郡山城内に創建されたが、のち数転して萩城内に移された。幕末の地誌『八江萩名所図画』によれば、洞春寺境内には徳川家康の木像や代々の将軍の位牌を祀った霊牌殿、元就の木像を安置した顕西殿などがあった。また、春には大般若経会が催されたが、同書には

当寺に毎歳三月十四日十五日十六日の三日十四日の早朝より十六日の暮に終る御国中年中一切の御祈祷として済家一派の僧侶集会して大般若経一千部を読誦す此読経は寛文二年五月六日を始とす巳後享保八年より三百部に改られたり其式殊に厳重にして此日の参詣人貴賤の老若諸の疫災をのかれんとて市中は更なりいかなる幽里遠村のものたりとも遠しともせすして来り場に集へり

とあり、この日法会に参詣する者は誰でも城内に入ることが出来たことがわかる。
文久三年(一八六三)「攘夷の御策略」として藩庁が山口に移転するのに伴い、洞春寺は山口に移った。満願寺もその後防府に移り、末寺の霊台寺を合併して霊台山満願寺となった。

明治元年(一八六八)藩政府は萩城を廃し、要害を破り、諸役所を藩校明倫館内に移し、城内御座之間・御寝所などは山口へ移した。毛利氏三七万石(公称)の居城にふさわしい偉容と規模を誇った萩城も、同六年には大蔵省令によって一三三坪の天守閣が千一三円五〇銭、その他の矢倉や門なども七〇銭から十数円の安値でことごとく入札売却され、翌年には城郭のすべてが解体されてしまった。
現在、本丸と詰丸の跡は指月公園となっており、総面積二八ヘクタールのなかに天守閣跡、花江茶亭、梨羽家茶室、福原家書院、旧明倫館の万歳まんせい橋、東園などがあり、市民の憩いの場となっている。

 

(Z・H)

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初出:『月刊百科』1980年10月号(平凡社)
*文中の郡市区町村名、肩書きなどは初出時のものである