ところで『日本書紀』崇峻天皇即位前紀には、もう一つのアリマカに関する記載がある。すなわち同書によれば仏教受容をめぐって物部守屋と蘇我馬子が戦ったとき、
『新撰姓氏録』(和泉国神別)には饒速日命を祖とする安幕首がみえる。この安幕についてもアマカと読む説がある。だがスルガに駿河(シュンガ)、クルマに群馬(グンマ)、ヘグリに平群(ヘイグン)、サララに讃良(サンラ)の文字を充当するように、ラ行音にンの音を持つ文字が使われる例からアリマカを安幕(アンマク)と表記することは十分考えられる。つまり阿理莫・有真香・安幕はいずれもアリマカに当てた文字とみて間違いなかろう。
安幕首の祖とする饒速日命は物部氏の祖神である。安幕首はおそらく有真香邑を本貫とする物部氏の一族で、だからこそ守屋の近従捕鳥部万もそこへ逃れたとみられる。しかしアリマカの所在地についてはまだ考慮の余地がある。『延喜式』阿理莫神社を久保の社にあてるのも、近世のアマチカをアリマカの転訛とした結果にすぎないし、天下谷にしても先述したように無理な点がある。
日本の地名は漢字という表意・表音の両性を持つ文字で表記されたことにより、さまざまに変転してきた。当て字の複雑さから、古代地名においては本来の音がわからなくなっている例も少くない。このような状況を生み出した一つに奈良・平安時代の官命による地名の改変があった。中国風に二字にし、しかも美麗な文字で整えるということが、実に全国的に行われたのである。まず和銅六年(七一三)の風土記撰進の官命に「畿内七道諸国郡郷名著好字」が第一項にあげられている。この中には嘉い名を選び、好い字を用い、二字で表記することが含まれていたといわれ、風土記に載せられた各国の郡郷名はおおむねこの線に添ったものとなっている。これが正式に規定されたのが『延喜式』で、民部式に「凡諸国部内郡里等名、並用二字、必取嘉名」とある。
『和名抄』の国郡郷名ではほぼこの官命が徹底されている。和泉の国名も泉の一字で事足りるものを、和という好字を冠して二字化した。現藤井寺市林町に比定される河内国
二字化による改変が著しいのは部民制関係の地名であろう。大阪府域でも河内国
国策として行われた地名の改変は、後世、地名起源の解釈を一層困難なものとした。用字の法則・傾向を明らかにし、周辺史料を丹念に整理することによって、地名を本来の姿に戻す作業が大切であろう。
(K・O)
初出:『月刊百科』1986年1月号(平凡社)
*文中の郡市区町村名、肩書きなどは初出時のものである。