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このコーナーでは「国とは?」「地名とは?」といった、地域からは少し離れたテーマなども取り上げ、「歴史地名」を俯瞰してみました。地名の読み方が、より一層深まります。また「月刊百科」(平凡社刊)連載の「地名拾遺」から一部をピックアップして再録。

第75回 敦賀
【つるが】
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日本海の要港
福井県敦賀市
2013年02月08日

本州日本海側のほぼ中央に位置する敦賀は天然の良港で、背後は琵琶湖水運を通して京畿に連絡し、古くから交通上の要衝であった。
古く角鹿と記され、「つぬが」または「つのが」と訓まれた。『古事記』仲哀天皇の段は次のような地名説話を載せる。角鹿の仮宮で、仲哀天皇の太子(応神天皇)の夢にこの地の伊奢沙和気いざさわけ大神が現われ、「私の名をあなたの名としたい」と言った。太子が承知すると、翌日、浜一面に鼻を打たれたイルカが贈物として寄せられていた。そこでこの贈物(食物)にちなんで大神を御食津みけつ大神と呼び、イルカの血が臭かったために浦を血浦と称し、これが都奴賀つぬがになったという。
また別に『日本書紀』垂仁天皇二年条の注によれば、崇神天皇の世に意富加羅おおから国の王子都怒我阿羅斯等つぬがあらしと越国こしのくに笥飯けひ浦に来着したが、額に角があったのでこの地を角鹿と称したという地名説話もある。御食津大神はのち気比けひ大神と言われるようになるが、当地に鎮座する気比神宮は気比大神を祀ったのに始まると伝える。

敦賀津はこの都怒我阿羅斯等の来着の話からも、古くより対外的な門戸であったことが推測される。六世紀後半から七世紀前半にかけて高句麗使が渡来し、神亀四年(七二七)から渤海使が越の国を表玄関として入貢しているが、敦賀には松原客館が設けられて、渤海の客人を迎えた。渤海使は三五回の来日のうち北陸へは一六回至り、高級毛皮や人参・蜜などを将来した。客館は平安時代には気比神宮司の管理下にあった。長徳元年(九九五)には宋商朱仁聡一行が若狭から敦賀に至り、僧源信が京から下って彼に会っているが、敦賀の情報は都へいち早くもたらされたのであろう。

『日本霊異記』中巻に載る「閻羅王の使の鬼、召さるる人の賂を得て免す縁」には、聖武天皇のとき奈良の人楢磐嶋が、大安寺の銭三〇貫を借りて「都魯鹿つるが津」で商品を購入する話がみえる。敦賀の商港としての名声は、中央にも高かったと思われる。
平安遷都後も北の玄関口としてますます発展、北国諸国の官物はここに集中して陸路で近江国塩津(現滋賀県伊香郡西浅井町)へ運ばれ、湖上を大津へと輸送された。敦賀津通過の物資には通行税(升米)が課せられた。乾元二年(一三〇三)には気比升米の名目で気比神宮の所得としている。またこの頃後宇多上皇は升米五ヵ年分を奈良西大寺四天王院・京都伏見醍醐寺・京都祇園社三方修造料に寄せるなど、寺社の修造の資にもあてられた。

宝町時代、敦賀津には水運の機関として「舟座」があり、川舟・河野屋の二座に分れ、朝倉氏の保護を受ける反面、公事銭を上納した。川舟座は若狭・丹後および越前の浦々、また近江に出て塩・四十物あいもの(干魚・塩魚類)などの海産物を売買する特権を持ち、河野屋座は敦賀湾の東岸にある南条郡河野浦(現河野村)との間で運漕と塩・魚類の買付などに当たる特権を持っていた。
文亀年間(一五〇一‐〇四)朝倉景冬・貞景・教景は川舟座保護策をとり、他国の商人に自国の舟座が支配されることを防いで、領国経済の維持・確立を図っている。
戦国時代から江戸時代初期にかけて産業・経済が発達し、市場も全国的規模に発展した。この時期日本海海運では、敦賀湊が同じく現福井県の小浜湊とともに北陸・北国と京都を結ぶ重要な役割を占めた。道川三郎左衛門・高嶋屋伝右衛門などは、この海運における主導的地位にあった豪商である。しかし寛永年代(一六二四‐四四)以降、これら豪商の海運活動は衰え、やがて新興の廻船業者が台頭するとともに問屋が多く成立した。

中世以降、敦賀津を中心に敦賀津内町が形成される。元和の一国一城令で敦賀城が破却されてからは、従来の気比神宮の門前町的性格、金ヶ崎城や敦賀城の城下町的性格は消えて湊町一色の町柄となり、敦賀町の最盛期と思われる寛文年間(一六六一‐七三)には町数四一、家数二千九〇三、人口一万五千一〇一を数えた。西鶴の『日本永代蔵』からも、その繁栄の様子をうかがうことができる。

越前の国敦賀の港は、毎日の入船判金一枚ならしの上米ありと云へり、淀の川舟の運上にかはらず、万事の問丸繁昌の所なり、殊更秋は立つづく市の借屋目前の京の町、男まじりの女尋常に其形気北国の都ぞかし、旅芝居も爰を心かけ、巾着切も集まれば、今時の人かしこく、印籠ははじめからさげず、(下略)

しかし瀬戸内海を通って大坂へ直行する西廻航路が定着すると、敦賀は次第に沈滞に向って行った。

 

(K・T)

                                                  


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初出:『月刊百科』1981 年11 月号(平凡社)
*文中の郡市区町村名、肩書きなどは初出時のものである