周知のように香川県は全国有数の溜池保有県で、代表格の満濃池は大宝年間(七〇一‐七〇四)に築造されたといわれ、空海の大修築工事により池名は全国に喧伝された。いわゆる瀬戸内式といわれる乾燥した気候は、古くからこの地域に製塩を発達させ、塩は砂糖・綿とともに近世讃岐の代表的産物として「讃岐三白」とよばれた。しかし雨量が少ないうえに大きな河川もないという土地柄のため、農業生産にとって水の確保は早くから重要な問題であった。
香川県の河川は南部に連なる讃岐山脈に源を発し、ほぼ北に流れて瀬戸内海に注ぐ。水量は全体的に乏しく、平常は伏流して河床を流れないが、増水時には氾濫して乱流する「あれ川」が多い。そのため古代から溜池が多く築かれ、雨乞いは農民の重要な年中行事であった。仁和二年(八八六)讃岐国守として赴任した菅原道真は『菅家文草』のなかで、国府の北にある蓮池の蓮茎を国内二八ヵ寺に頒布したと記し、また旱魃に苦しむ農民のために城山の神に雨を祈ったと記す。この蓮池は現綾歌郡国分寺町の関ノ池にあたるといわれ、関ノ池は聖武天皇時代の掘開と伝えている。
乾燥地帯である讃岐平野の開発のためには、溜池築造による安定した用水の確保が必要であり、それは池水を供給する川の役割が大きいことを意味した。古来、河川は国・郡などの境界となることが多く、流路の変化は境争論を引き起こしたが、讃岐における古代の郡は、ほぼ主要河川を中心に、その両岸を郡域とする形で設置されているのが特徴である。そのため郡域は南北に細長く伸び、いずれの郡も南は山地、北は海浜に面し、各郡とも郡港ともいうべき瀬戸内海水運の要津を河口に成立させていた。大内郡は湊川、寒川郡は鴨部川、三木郡は新川水系、山田郡は春日川、香川郡は香東川、阿野郡は綾川、鵜足郡は大束川、珂那郡は金倉川、多度郡は弘田川、三野郡は高瀬川、苅田郡は柞田川が郡中央部付近を貫流している。
主要河川とはいえ、いずれも二級河川以下の小流である。このきわめて貧弱な用水環境にあって、人びとは溜池灌漑の整備に営々と努めた。その結果、平安時代初期までには讃岐の墾田は一万八六〇〇余町に達しており、これは六八ヵ国中、一二番目に多い田積で、国の面積に占める割合からみるとトップクラスであり、同じく溜池灌漑を基礎とする大和国の田積を上回るものであった(和名抄)。
香東川は香川県のほぼ中央部を流れる川で、コウト、コウドともよび、河口近くでは郷東川ともいう。讃岐山脈に発し付近の小流を合わせて北流、扇状地性の平野部に入って天井川となり、高松市西部の郷東町で瀬戸内海に注ぐ。西岸の山にある花木の薫香が河水に移ったので香川とよんでいたと伝え(南海通記)、郡名・県名の由縁ともなった。
古くは現香川郡香川町大野付近の中流部で東西に分流し、東の流れは栗林公園のあるあたりを経て高松城下に流れ込み、西の流れはほぼ現在の川筋を流れていたと伝える。東の流れは大雨のたびに急速に水かさを増して洪水を引き起こしたため、高松城主生駒高俊は伊勢藤堂家から派遣されていた土木家西島八兵衛に命じて、寛永二年(一六二五)から同一六年にかけて東の分流をせき止め、西の流路一本に固定させたという。工事完成を記念して建てた八兵衛自筆の「大禹謨」と刻んだ石碑は、後世の川普請のおりに発見され、現在栗林公園内に保存されている。ちなみに大禹とは中国夏王朝の祖と伝える禹のことで、治水の神とされている。
中流の香川町と香南町境に架かる岩崎橋付近は花崗岩が露出した景勝地で、平池・奈良須池など川沿いに点在する溜池に灌漑用水を供給しながら流下する。下流域では涸れ川になるが、伏流して川に沿って多くの泉・井戸がみられる。栗林公園も伏流水を引き入れて造園したものである。香東川西岸、高松市の西部に位置する檀紙町はかつて檀紙村と称し、江戸初期まで豊富な伏流水を利用した檀紙生産が盛んであった。讃岐の製紙の歴史は古く、『延喜式』に貢進物として紙が記され、室町初期の『庭訓往来』も讃岐の特産品として檀紙をあげている。檀紙村には江戸時代に紙漉井という井戸があり(池泉合符録)、また、京都の伏見と同様に、良質の伏流水を利用した酒造業も発展した。
香東川をはじめ高松市近郊の河川の川原では、四月下旬から五月上旬にかけて川市が開かれる。祖先の霊や新仏の供養のため、卒塔婆に結んだ縄を水に浸して六道に落ちたものを済度するという行事で、多くの露店でにぎわう。
讃岐の開発の歴史は旱魃との闘いの歴史であり、用水整備の歴史であった。水量不足の河川は溜池に補われながら氾濫原に生産性の高い耕地をもたらし、流域に産業を発展させ、また豊かな民俗文化を育んだ。『全讃史』は香東川を「香川東西及び山田郡民の生命の繋る所なり」と記しており、讃岐の川も大河川に劣らぬ「母なる川」であったことに変わりはない。
(K・O)
香東川の西岸に位置する檀紙町。江戸初期まで讃岐檀紙の生産が盛んであった。
初出:『月刊百科』1989 年6月号(平凡社)
*文中の郡市区町村名、肩書きなどは初出時のものである