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第102回 地域区分のいろいろ(4)

2015年08月07日

先回まで、三重県は近畿地方に属すのか? 中部地方に属すのか? を糸口として「北海道」「東北」「関東」「中部」「近畿」「中国」「四国」「九州・沖縄」といった47都道府県を所属単位とする地域区分について検討してきました。

そして、「中部」「近畿」を除いた「北海道」「東北」「関東」「中国」「四国」「九州・沖縄」の各地域には歴史的・文化的なまとまりがみられるのに対して(北海道・四国・九州は島というまとまりでもありますが)、「中部」「近畿」の区分は、ある意味で俯瞰的な地域区分であって、必ずしも歴史的・文化的な一体性があるわけではない……たとえば、中部地方は五畿七道区分でいえば、東海道・東山道・北陸道諸国の寄せ集めである……といったことが再確認できたと思います。

つまり、はじめから中部地方があるのではなく、東海地方(三重県の所属はここでは問題にしません)、北陸地方、甲信越地方の3地域を俯瞰した場合、地理的に近接するこれらの地域を合わせると、本州島の真ん中あたりを占めている、だから中部地方と名付けよう、といった発想から生まれたものと考えられます。

ここで、三重県に戻って、その成り立ちを確認しておきましょう。明治維新後、伊勢国の旧幕府領(山田奉行支配地)と伊勢神宮領などを所管する度会わたらい府(のち度会県と改称)が置かれます。明治4年の廃藩置県では、旧藩領を継承した津・桑名・亀山・長島・神戸かんべ菰野こもの・鳥羽・久居ひさいの8県と度会県を合わせた計9県が設置されます。この9県は、同年、津(旧津藩の飛地領であった山城国・大和国の所領は除く)・桑名・亀山・長島・神戸・菰野の6県が合併して安濃津あのつ県(安濃津は津の別称。現在の三重県北部と中部)、度会・鳥羽・久居の3県と和歌山県・新宮県の一部が合併して度会県(現在の三重県南部と東部)にまとめられます。

明治5年、安濃津県の県庁は津(安濃津)から三重郡四日市に移り、郡名を採用して三重県と改称します。翌6年、三重県庁は安濃津に戻るのですが、県名は三重県のままで、明治9年、この三重県と度会県が合併して、ほぼ現在の三重県となりました。この版図は、律令国郡制でいえば、旧東海道の伊賀国・伊勢国・志摩国と旧南海道の紀伊国の一部ということになります。

まったく異なった地域の寄せ集めではないのですが、一枚岩のようにまとまった地域でもなさそうです。そのあたりについて、ジャパンナレッジ「日本大百科全書(ニッポニカ)」の【三重県】の項目は次のように記します。

古くから伊勢神宮が祀(まつ)られるなど歴史は古く、とくに畿内(きない)とのつながりが濃く、現在も市民文化や言語は関西系に属している。しかし近代になって、尾張(おわり)国と伊勢国との間の地形的障害をなしていた木曽三川(さんせん)に橋が架けられ、鉄道と道路が通じてから急速に名古屋とのつながりが深まった。とくに県人口の過半が住む伊勢平野は名古屋に便利な交通体系を有しているところから、三重県経済は中京経済圏の支配下にあるのが実情である。ただ、上野盆地は大阪に便利で、名張(なばり)市などは大阪の遠郊住宅都市としての性格が強く、大阪圏に属している。総じて三重県は東西文化・経済圏の接点にあるといえるだろう。行政上の管轄区では林野庁の近畿中国森林管理局(大阪)を除いて、他の省庁はすべて名古屋にある出先機関の管轄下に置かれている。

なお、気象庁の「地方気象情報等で使用する細分地域名」では、三重県は東海地方に属しています。ここまでの検討をまとめてみますと、三重県は、歴史的・文化的には「近畿」の色合いが濃い。しかし、現在の経済圏でいえば東海(東海+北陸+甲信越=中部)圏である。ただし、上野盆地(現在の伊賀市・名張市。旧伊賀国)や最南部(旧紀伊国)は、比較でいえば、東海より近畿に近い……といえるでしょうか。

ちなみに、旧伊賀国が津県(安濃津県)となったのは、伊賀一国が津藩(藤堂藩)領であったことに起因します。廃藩置県時としては、伊賀国と津(安濃津。藩庁所在地)の結びつきを重視する妥当な処置であったと思われますが、現在は、京阪神地域との結びつきが、(津との結びつきよりも)強く感じられるのではないでしょうか。

水系でいっても、旧伊賀国域は木津きづ川(大阪湾に注ぐ淀川の支流)流域ですが、ほかは鈴鹿川、雲出くもず川、宮川など伊勢湾に流入する諸河川、および熊野灘に注ぐ諸河川の流域となっています。

三重県の北西部、旧伊賀国地域は、大阪湾に注ぐ淀川の上流、木津川の流域である。

近年、道州制が話題になっています。9道州案、11道州案、13道州案と、さまざまな区分けが検討されていますが、三重県は、いずれの案でも東海州(三重・愛知・岐阜・静岡の4県)に属しています。しかし、ここまでの検討を踏まえますと、旧伊賀国や旧紀伊国南牟婁郡(現在の熊野市・御浜町・紀宝町)などは関西州に属すほうが、地域的なつながりが、より活かされるのではないかと筆者は思います。

先回、「近畿を五畿内に接する諸国」と拡大解釈すると、福井県の一部(旧若狭国)は近畿地方に含まれる、と記しました。この福井県も三重県と同じような問題を孕んでいるようなのです。福井県は道州制案でいうと、9道州案では関西州(2府5県)に含まれるのですが、11道州案、13道州案では北陸州(福井・石川・富山・新潟の4県)に含まれます。これに対して旧若狭国……福井県では一般に嶺南れいなん地方とよばれています。明治9年から同14年までは近畿に属する滋賀県の一部でした……にあたる敦賀市や小浜市の各市長は、北陸州案が採用されれば、嶺南地方は県を割って分離し、関西州に入る覚悟である、と表明しています。

先に、北海道~九州・沖縄の8地域区分は「俯瞰的な地域区分」である、と記しました。大所高所からモノゴトを捉える「俯瞰」はもちろん大事な見方なのですが、道州案においてもはじめに「都道府県有りき」で、県単位のパズルに終始している感が否めません。たとえば、今まで検討してきたように、関東地方は地域的な一体性が高い地域です。しかし、一極集中を回避するという名目で、9、11、13いずれの道州案でも、関東地方は南北に二分されています(信越地方を含めるなど組み合わせは一定していませんが)。

しかし、同じ俯瞰をするならば、たとえば水系で区分する視点に立つのはどうでしょうか。河川行政を一体化し、下流平野部と上流山間部の地域間格差の解消にも利があります。関東地方でいえば、相模湾に注ぐ河川の流域(静岡・山梨・神奈川の一部)、東京湾や房総半島の海浜部に注ぐ河川の流域(ただし、利根川は江戸時代の河道改修以前の流路を想定。神奈川・山梨・東京・埼玉・群馬・栃木・千葉の全域または一部)、旧常陸川、および鹿島灘以北の太平洋側に注ぐ河川の流域(栃木・埼玉・千葉・茨城・福島の一部)、といった地域区分も十分に成り立つのではないでしょうか。

関東地方を南北ではなく、どちらかといえば東西に三分する区分けで、人口集中も解消しないのですが、地域の連続性・一体性でいえば、南北区分よりもはるかに理にかなった区分けだと思います。それに、今は東京一極集中に歯止めはかからない、と思われるでしょうが、経済規模で関東が関西を抜いてから50年もたちません。それ以前は……少なくとも1500年間くらいは……関西圏がトップを走っていたのですから。

各地域の地勢や歴史・文化の一体性に根差しながらも、一方では100年先、200年先を見据えた(所属単位は都道府県にとらわれない)、ある意味において「俯瞰」も取り入れ、かつまた、人口や経済規模といった目先の数値ばかりにとらわれない、新しい地域区分をもとにした道州案の議論が活発になるなら、筆者は大いに歓迎したいと思います。

(この稿終わり)