日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
地名の由来、歴史、風土に至るまで、JK版「日本歴史地名大系」を駆使して解説します。
さらに、その地名の場所をGoogleマップを使って探索してみましょう。

第19回 境界の桃源境〈小国〉

2008年08月22日

河川の中・上流域にあって、四周を山に取り囲まれた盆地状の地に〈オグニ〉という地名が付されていることはよくあります。漢字では小国の字を宛てることが多く、尾国・雄国などと記す例もみえます。JK版「日本歴史地名大系」の見出し検索(部分一致)で《小国》と入力すると40件がヒット、ほかに尾国・雄国で各1件ずつヒットします。

小国

小国

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東日本、とりわけ山形県(13件)や新潟県(7件)に多くみられますが、西日本の広島県(4件)や熊本県(3件)にもあります。次表に全国の主な〈小国〉地名を流域河川名と合わせてまとめてみました。山形県内には小国地名が多いので、地元では、(2)の最上(もがみ)郡の小国地区を最上小国、(3)の鶴岡(つるおか)市の小国地区を庄内(しょうない)小国、(4)の西置賜(にしおきたま)郡の小国地区を置賜小国とよんで区別しています。



全国の小国地名
 所在地関係河川名注 記
1岩手県下閉伊(しもへい)川井(かわい)町の小国小国川(閉伊川支流)の上流域 
2山形県最上郡最上町小国川(最上川支流)の流域最上小国。古く一帯は小国郷とよばれていた
3山形県鶴岡市の小国小国川の上流域庄内小国
4山形県西置賜(にしおきたま)郡小国町(あら)川の上流域置賜小国
5新潟県長岡(ながおか)市の小国町(おぐにまち)地区渋海(しぶみ)川(信濃(しなの)川支流)の中流域刈羽(かりわ)郡小国町
6広島県世羅(せら)郡世羅町の小国河面(こうも)川(芦田(あしだ)川支流)の上流域 
7広島県府中(ふちゅう)市の小国町美波羅(みはら)川((ごう)(かわ)水系)の上流域古代の備後国御調(みつぎ)郡小国郷の遺称地
8熊本県阿蘇(あそ)郡小国町・南小国町杖立(つえたて)川(筑後(ちくご)川支流)の上流域 

〈オグニ(ヲグニ)〉の地名が広く分布することは柳田国男も早くから指摘しています。『地名の研究』(昭和11年刊)において柳田は、出羽越後の〈ヲグニ(小国)〉の特徴について「分内がやや広くして生活品は塩さえも土地に産することがあり、武陵桃源の隠れ里のごとく、彼らが自得自讃の根拠あることを感ぜしめる」と記し、地形の特質に起因するものでしょうが、〈小国〉に共通する特徴として、経済的・文化的にまとまった一つの地域世界を形成している点をあげています。

また同書で柳田は〈ヲグニ〉地域の開発時期について、示唆に富んだ見解を述べています。柳田によれば、開発可能な原野のうち一般に平坦地をハラ(原)、山麓の緩傾斜地、ふつう裾野といわれる地形はノ(野)またはヌとよんだといいます。この野のうち古代の一郡にも相当する広大なものは大野(おおの)、ちょうど一氏族がまとまって安住するのに頃合の地は小野(おの)といわれ、小野のなかでも周囲から独立・隔絶した地を河内(かわち)とよびました。この河内は信州でいう水内(みのち)、奥州の川内(かっち)甲子(かっし)などと同義で、「谷水がしばしば淀んでいくぶんの平地を作る場所」で、やがては「いつか登ってきて下であふれた人だけが住む」土地でもあったと記します。

つまり、傾斜地に開けた小平地(小野)のうち、より上流にある(周囲から独立・隔絶した)地を河内(かわち)川内(かっち)甲子(かっし)などとよび、さらに、その上流にある「二里三里の嶮阻の山を越えなければ、入って行かれない川内」を〈ヲグニ〉とよんだというのです。さらに柳田は、仮に、ある土地が開発され、人々がそこに居住するようになった(占有状態となった)後に付与された地名を標後地名、まだ人間との関りが弱い占有以前の段階で名付けられた地名を標前地名と、地名をその命名・起源の時間軸によって二分することが可能ならば、標前地名で河内・水内・川内などと称された地に移った開発者が、標後地名として名付けた地名が〈ヲグニ〉ではないか、と説きます。

当然、開発時期は小野⇒河内(川内、甲子)⇒小国の順になります。10世紀に成立した『和名抄』(倭名類聚抄)は、全国の郡名・郷名を記載していますが、小野・河内といった郡名・郷名が多出するのに対して、〈小国〉は備後国御調郡の小国郷(表の(7))一つのみですので、他の小国の開発時期は11世紀以降ということになるのでしょうか。

山中にあって塩を産した置賜小国の小玉川村

小玉川村

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繰り返しとなりますが、柳田は〈ヲグニ〉の特徴として「生活品は塩さえも土地に産することがあり、武陵桃源の隠れ里のごとく、彼らが自得自讃の根拠あることを感ぜしめる」と記しました。たしかに山形県西置賜郡小国町(置賜小国)の小玉川(こたまがわ)地区では山中であるにもかかわらず、段丘上の草地より湧出する含塩水を使用した製塩が寛政三年(一七九一)から始められ、幕末には五斗入俵で九一俵もの塩が生産されています。まさに、一つの自立経済圏が成立していました。

しかし、各小国地方の歴史をつぶさに眺めれば、〈オグニ〉は必ずしも桃源郷であったとはいえないようです。山形県最上郡最上町一帯(最上小国)は馬産の伝統があって小国駒の名で知られていましたが、これは夏季にヤマセとよぶ東風が吹き込んで冷害となりやすく、稲作の適地ではなかったことによります。また置賜小国地方は山形県下でも一、二を争う豪雪地帯であり、耕地はおおむね狭小、地味も悪く、近世の村落規模でいえば、数戸から十数戸で構成される小村が大半を占めていました。小国とよばれた地域の生産性は概して低かったといえるでしょう。

山形県最上郡最上町(最上小国地方)

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それもそのはずで、川下より小野⇒河内と順次開かれていった残余の地、最後に開拓された土地が〈小国〉なのですから、周囲と比べて地味が劣っていることも合点がゆきます。一方で、近世以前、多くの小国地域を当時の主要街道が走り抜けていました。これは〈小国〉が川の最上流域=一つのまとまった地域単位の最奥部(周縁部・境界部)に位置したことによります。交通網の多くが川沿いに発達していた近世以前には、周囲の山を一つ越えると、別の水系=別の地域単位に出ることになる〈小国〉は交通の要衝となったのです。

JK版「デジタル大辞泉」で、〈くに〉を調べると、「国または邦」の用字で、「国家。また、その占めている地域。国土。」「地方。地域。」「古代から近世までの行政区画の一。大化の改新によって定められ、明治維新まで続いた。」「 生まれ育った土地。郷里。故郷。」「(主に、(あめ)に対して)地。大地。」ほかをあげています。接頭語の〈お(を)〉については名詞に付いて「小さい、細かい意を表す。」「語調を整えたり、表現をやわらげたりして、やさしい感じの意を表す。」などとあります。

辞書類によれば、〈オグニ〉の本義は「小さな地域」ということになるのでしょう。しかし、名付けた開発者=「下であふれた」移住者たちは、たとえ生産性は低くとも、周囲から独立性を保つその土地を、わが愛する地・誇るべき郷土という意味合いも含め、〈オグニ〉と名付け、名付けられた彼の地は、彼ら「下であふれた」移住者たちにとって、まさに「武陵桃源」の地であったのかもしれません。