三国山、三国岳(三国嶽・三国ヶ嶽などの表記も含む)とよばれる山は全国に数多くあります。その多くは旧六十余州の3か国の境界にそびえる山です。たとえば、現在の神奈川県
神奈川、静岡、山梨の3県境にそびえる三国山
ちなみに、ジャパンナレッジの「詳細(個別)検索」で「日本歴史地名大系」を選択し、「三国山」「三国岳」「三国峠」の3語を入力して、全文検索(or検索)をかけますと228件がヒットします。「日本歴史地名大系」の基本項目は現在の大字・町名に相当する(近世の)町村項目ですから、228件の多くは重複ヒットです。しかし、その全国分布を確認しますと、青森県、秋田県、山形県、茨城県、栃木県、千葉県、東京都、山口県、四国4県、鹿児島県、沖縄県を除いた全国32道府県に及びます。ただし、宮崎県でヒット(「延岡街道」の項目)したのは、街道の道筋について、隣県大分県内での様子を記述したものですから、実際には31道府県に分布する、ということになります。
青森県、秋田県、山形県の東北地方西部は、出羽国・陸奥国の2国からなり、3国境がない、あるいは少ない、茨城県、栃木県、千葉県、東京都の関東東部は水面が3国境であることが間々みられる、山口県、四国4県、(宮崎県)、鹿児島県の九州南部、および沖縄県も3国境がない、あるいは少ない、といったふうに「三国山」「三国岳」「三国峠」のキーワードがヒットしないおおよその推測が成り立ちます。
一方で、旧六十余州に含まれない北海道、また、陸奥国一国で成り立ち、3国境のないはずの岩手県でなぜヒットしたのでしょうか。
北海道では
じつをいうと、北海道でも明治2年(1869)に北海道の下に置く行政組織として本土と同様に国郡が設けられました。設置されたのは
前掲の三国山は旧北見国(北見市)と旧十勝国(上士幌町)と旧石狩国(上川町)の境界に位置していますから、3国境に由来する三国山名です。アイヌ語に由来する地名が多い北海道では珍しい和風地名といえるでしょう。東三国山も旧北見国(置戸町)と旧十勝国(足寄町)と旧釧路国(陸別町)の境界にそびえることが山名由来といえそうですが、明治期の北海道では11か国の国境が判然としていない部分も多く、3国の国境ではなかった可能性もあり、にわかに断定はできません。
つまり、元来は(3国境の)三国山が2つあり、そのうち東方に位置する山を「東三国山」として識別したのか、はじめ、三国山があり、その東方にあることから(3国境ではないのに)「東三国山」と名付けたのか、明確な答えは出しにくいといえるでしょう。
次に岩手県を検討します。岩手県では
こちらは明らかに「旧六十余州のうちの3国」とは関係なく、名馬の名前「三国」に関連する「三国山」「三国塚」でした。これで「陸奥国一国で成り立ち、3国境のないはずの岩手県」でヒットした理由が判明しました。ところで、「三国」という名馬の読み方は不詳ですが、「三国一」の名馬であったことから付けられた名称であったとすれば、「三つの国」に由来する点では3国境と共通点があります。ただし、「三国一」でいう3国とは、一般に唐(中国)、天竺(インド)、本朝(日本)。旧六十余州の3国とは少しばかりスケールが違いました。
次回も引き続き「三国山」関連地名について逍遥します。
(この稿続く)
旧北見国、旧石狩国、旧十勝国の国境であった三国山