新年恒例、とはいっても昨年1月(第114回「今年は丙申(ひのえさる)」2016年1月22日更新)に続いて今回で2回目ですが……、十二支の字を用いた地名や寺社名についての話題です。もちろん、今年は酉年ですから「酉」の字が付く地名や寺社名を取り上げます。
ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択し、「酉」の1字を入力、見出し検索をかけますと、北から順に次の5件がヒットしました。
○茨城県筑波郡筑波町(現つくば市)
読みは「はっとり」とも「はつとり」とも
○三重県
読みは「とりのしんでん」
○大阪市西淀川区の【酉洲新田】
読みは「とりすしんでん」
○大阪市此花区の【本酉島新田】
読みは「ほんとりしましんでん」
○山口県下関市の【酉谷寺】
読みは「ゆうこくじ」
まず、つくば市の【初酉神社】は、筑波山南麓の漆所に鎮座する神社で、祭神は天御桙命と大己貴命。古代における機織部(服部)の集住と関係があると考えられ、南東方に位置する
古代の服部〔はとりべ〕との関連が指摘される初酉神社。
三重県東員町の【酉之新田】は、現在の東員町
大阪市西淀川区の【酉洲新田】は、現在の西島1・2丁目にあたり、神崎川の河口部を開発して誕生しました。明和2年(1765)酉年の開発と推定され、開発主は薬屋の町として知られる大坂三郷
酉洲新田ばかりではなく、神崎川河口部には多くの新田が開かれた。
大阪市此花区の【本酉島新田】は現在の酉島地区にあたります。もとは南酉島新田・北酉島新田(現西淀川区)とともに酉島新田と称され、この酉島新田は大坂三郷の多羅尾七郎右衛門によって寛文年中(1661-73)から開発されました。しかし、中島大水道の海表樋門をふさぐ位置にあるため、天和年間(1681-84)に開発が禁じられ、貞享元年(1684)の
江戸時代の本酉島新田にあたる此花区酉島地区。
下関市
酉谷寺がある南部町は、古くから交通の要衝であった「赤間関」の町場。
ところで、昨年の「今年は丙申(ひのえさる)」では、おおむね次のようにまとめています。
「日本歴史地名大系」の項目で、十二支の文字が含まれる項目は、近世以降の開発である可能性が高い「新田」項目では、かなりの確率で、開発年との関連が考えられる。しかし、それ以外の項目では、必ずしも開発年を表しているとはいえない……。
今回の「酉」の字が含まれる項目めぐりでも、新田村では開発年次にかかわっていることが多く、それ以外の寺社項目では干支の「酉」とは違う意味で用いられていました。昨年の結論が少しばかり裏付けられたといってもいいようです。
(この稿終わり)