日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
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第57回 海辺の中津、渓谷の中津川(3)

2011年10月14日

前回はJK版「日本歴史地名大系」の個別検索機能を活用して「中津」地名の特色を探ってみました。その結果、「中津」地名は河口部・海岸部に多くみられ、津=港に関連する地名と考えるのが妥当……という穏当な結論が得られました。

そこで、今回は「中津川」地名の考察です。検索方法は前回の「中津」と同様の方法をとりますから、入力キーワードは「中津川村」となります。また、これも前回と同じく上・中・下の中津川村や東・西・南・北の中津川村も見逃さないように、検索条件は「後方一致」として見出し検索をかけますと、22件がヒット(読みは「なかつがわ」が17件、「なかつかわ」と清音が5件)。22件のうち2件は同一地区の中津川地名ですので、これらをまとめて20件(20箇所)の立地状況などを一覧表にして下に掲げました。ほとんどが近世の村落名ですが、※印を付した鹿児島県さつま町の「中津川名・中津川村」は中世地名でした。

項目名現在の地名
(大字・町名)
地内を流れる川
(《 》内は所属水系)
川の上・中・下流など立地状況
中津川村福島県郡山市中田町中津川黒石川
《阿武隈川》
中流部山地
小中津川村・
下中津川村
福島県昭和村
小中津川・下中津川
野尻川・折橋川
《阿賀(野)川》
上流部山地
中津川村茨城県石岡市中津川恋瀬川
《(霞ヶ浦)》
下流部台地
中津川村埼玉県秩父市中津川中津川
《荒川》
最上流部山地・峡谷
中津川村福井県大野市中津川清滝川・赤根川
《九頭竜川》
中流部盆地
中津川村岐阜県中津川市本町・新町・宮前町ほか中津川
《木曾川》
中流部台地・丘陵地
中津川村京都市北区雲ヶ畑中津川町中津川・雲ヶ畑川
《淀川》
上流部山地
中津川村兵庫県洲本市中津川組中津川・立川
《中津川》
全流域段丘
中津川村奈良県野迫川村中津川川原樋川・池津川
《熊野川》
最上流部山地・峡谷
中津川村和歌山県紀の川市中津川中津川
《紀ノ川》
中流部丘陵地・山地
中津川村和歌山県日高川町中津川中津川
《日高川》
中流部山地
中津川村徳島県三好市池田町中津川漆川谷川支流
《吉野川》
上流部山地・峡谷
中津川村愛媛県八幡浜市中津川中津大川
《千丈川》
上流部丘陵地・山地
中津川村愛媛県西予市城川町古市中津川・三滝川
《肱川》
上流部山地
中津川村高知県四万十町窪川中津川四万十川
《四万十川》
上流部山地
中津川村高知県四万十町大正中津川中津川
《四万十川》
上流部山地・峡谷
中津川村高知県中土佐町大野見萩中萩中川(中津川)
《四万十川》
最上流部山地・峡谷
中津川名・
中津川村(※)
鹿児島県さつま町中津川北方川・南方川
《川内川》
中流部丘陵地
中津川村鹿児島県湧水町中津川川内川
《川内川》
上流部平地・丘陵地
上中津川村・
下中津川村
鹿児島県霧島市牧園町地区の
上中津川・下中津川・高千穂
中津川
《天降川》
上流部山地

*上・中・下流域は水系全体からみた上・中・下流域です。
*平地・丘陵地・山地等の立地状況は、JK版「日本歴史地名大系」の該当項目の記述等を参照しました。

 

一覧表を見ていただければおわかりのことと思いますが、海岸部に多い「中津」地名とは一転して、「中津川」地名は丘陵・山地・峡谷に多い、といえるでしょう。そこで、全国の「中津川」地名のなかでは最も著名と思われる岐阜県中津川市を例として、JK版「日本歴史地名大系」の記述を参照しながら、「中津川」地名の傾向性について探ってみます。「歴史地名」の岐阜県「中津川市」項目は、次のように書き出しています。

県東端に位置し、中央アルプスに連なる標高二一八九・八メートルの恵那山を主峰とする山々に囲まれる。木曾川が市域を貫流し、中津川・落合おちあい川・阿木あぎ川などが木曾川に合流する。市域の最低標高は二七〇メートル。河成段丘による台地や丘陵、扇状地が広い面積を占め沖積地は狭く、南東に高く北西が低くなっている。……(中略)……市名の中津川は大和田重清日記(米沢市立図書館蔵)文禄二年(一五九三)九月二六日条に宿場名としてみえるが、その成立がどの時代までさかのぼるかは不明。中津川が宿名として明確に記録されるのは、江戸幕府の伝馬制が確立してからである。

中津川市の市名は江戸時代の「中津川宿」を継承していることが判明しました。そこで今度は「中津川宿」項目を覗いてみましょう。

西は木曾川に合流する川上かおれ川(中津川)、東は上金うえがねの台地を形成する河成段丘が宿並を囲んでいる。慶長六年(一六〇一)江戸幕府の伝馬制が定められる以前からの宿場で、文禄二年(一五九三)常陸国佐竹家の家臣大和田重清が、中津川宿の通過を記述している(「大和田重清日記」米沢市立図書館蔵)。……(中略)……宿内は四ッ目よつめ川を境に東西に分れ、西に問屋場二ヵ所、本陣・脇本陣各一軒のある宿場の中心の本町、東に商家の多い新町、淀川、茶屋坂と町並が続いた。……(中略)……高札場は東の町並はずれ茶屋ちやや坂にあり、この付近から飛騨街道(南北街道)が分岐していた。……(後略)……

ここまでの記述から「中津川」地名の特色として「川の合流点」「交通の要衝」という2つのキーワードが浮かび上がってきたと思います。じつは、先の一覧表に掲げた「中津川」地名(20箇所)について「歴史地名」を確認しますと、過半とはいえないまでも、「川の合流点」と「交通の要衝」というキーワードに関連する記述が散見します。

岐阜県中津川市街は木曾川合流点付近の中津川右岸に開けた交通の要衝

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ここからは、筆者の臆測となりますが、アルファベットの「Y」の字の上部を下流方向とみなすと、Yの字地形は川の河口部=デルタ地帯となり、「中津」地名に合致します。一方、「Y」の字の上部を上流方向とみなすと、Yの字地形は山間部の峡谷地帯となり、「中津川」地名に合致するといえます。

しかし、川の合流点ならば上流・中流・下流を問わないのではないか? との反論が聞こえてきそうです。もちろん、これも筆者の臆測なのですが、本流筋は下流に行けばゆくほど川幅が広くなって、合流する支流と川の規模(流量)の差が大きくなり、Yの字地形となる機会が減ります。反対に上流部になればなるほど、合流する2つの河川の規模に差がつかず、Yの字地形になりやすい、といえそうです。だから、Yの字地形は山間部に多く、山間部にあるYの字地形は、(かつての交通路は尾根伝い、あるいは沢沿いが基本ということで)交通の要衝となることも多かったのではないでしょうか。

つまり、Yの字地形を仲介として「中津」地名と「中津川」地名は結ばれており、Yの字の上部が下流ならば「中津」地名、上流ならば「中津川」地名、というのが臆測に臆測を重ねて出した筆者の結論ということになります。

最後に付け足りを一つ。これまで「中津」地名と「中津川」地名を比較しながら考察してきましたので、河川名としての「中津川」についても探ってみることにします。JK版「日本歴史地名大系」の個別検索で「中津川」と入力、「見出し」「完全一致」の条件では7件がヒットします。いずれも河川の項目で、うち3件は、これまで言及してきた大分県の中津川、大阪府の中津川、岐阜県の(木曾川の支流としての)中津川です。

この3件を除くと、岩手県の中津川(北上川支流)、埼玉県の中津川(荒川支流)、神奈川県の中津川(相模川支流)、長野県・新潟県の中津川(信濃川支流)の4件で、この4件には「紅葉の名所」という共通点があるのです。

岩手県の中津川中流域には綱取ダムがあり、ダム湖の周辺は紅葉の名所として知られます。埼玉県の中津川には滝沢ダムがあり、ダム湖は「奥秩父もみじ湖」とよばれ、その上流の中津峡、下流の中津川渓谷ともども紅葉の名所。神奈川県の中津川は、かつて宮ヶ瀬渓谷とよばれて、首都圏近郊では有数の紅葉スポットでした。現在は宮ヶ瀬ダムができたため水没しましたが、宮ヶ瀬湖一帯は今も紅葉の名所となっています。長野県・新潟県の中津川は鈴木牧之の『北越雪譜』で名高い秋山郷を貫流する河川で、一帯は中津川渓谷とよばれ、これも紅葉の名所です。

このほか、福島県磐梯高原の秋元湖に注ぐ中津川も中津川渓谷として、知る人ぞ知る紅葉の名所ですし、全国各地には、「歴史地名」では立項されなかった「紅葉の中津川」が、まだまだたくさんあることでしょう。

ところで、この稿は大分県の中津川が流れる中津(市)の地名について『「中津」が先か? 「中津川」が先か?』という命題から始まり、これについては「河口部の中津」に由来する、と考えるのが有力ではないか、というのが一応の結論でした。しかし、この中津川(山国川)の上流部にあたる「耶馬渓」は、全国でも指折りの紅葉の名所として知られていますから、山国川は中津川とよばれる資格が充分に備わっている、といえます。おやおや、『「中津」が先か? 「中津川」が先か?』の結論は、また振り出しに戻ってしまいました。

(この稿終わり)

かつての宮ヶ瀬渓谷。現在は宮ヶ瀬湖となったが、今でも一帯は紅葉の名所

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