前回は、「狩場」「狩倉」といった鳥獣の狩猟場に関連する地名について言及しました。今回は魚の漁場である「網代」の付く地名について考察します。
網代には漁場のほかにもいくつかの意味があり、ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」は【網代】の語釈として以下の9つをあげています(用例文は省略)。
(1)漁網を打つべき場所。漁場。建場。
(2)川の瀬に設ける魚とりの設備。数百の杙(くい)を網を引く形に打ち並べ、その杙に経緯を入れ、その終端に筌(うけ)などを備えた簗(やな)のようなもの。冬、京都の宇治川で、氷魚(ひお)を捕えるのに用いたので、古来有名。あむしろ。あんしろ。《季・冬》
(3)((1)から転じて)魚類が多く集まって、漁に好適の場所。
(4)官名。御厨子所(みずしどころ)の膳部に属し、天皇の食事用などの魚類をとる者。
(5)檜皮(ひはだ)、竹、葦(あし)などを薄く細く削り、交差させながら編んだもの。垣、屏風、天井、車、輿(こし)、団扇(うちわ)、笠などに用いる。
(6)(5)にかたどった模様。
(7)近世、漁業の漁獲高分配法の一つ。漁網に対して配当される収益。
(8)「あじろぐるま(網代車)」の略。
(9)「あじろかご(網代駕籠)」の略。
(2)に「冬、京都の宇治川で、氷魚を捕えるのに用いたので、古来有名」とありますが、「小倉百人一首」に選ばれる権中納言定頼(藤原定頼)の
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれ渡る 瀬々のあじろ木
の歌はよく知られていますね。それはさておき、少し整理しますと、
主に海の漁場に関連する……(1)(3)(7)
川の漁場に関連する……(2)(4)
漁場に仕掛けるものに関連する……(5)(6)(8)(9)
と分けられるかと思います。(4)は、海・川とも判断しかねますが、後述の理由で川としておきます。
さて、ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択して読みの「あじろ」を入力、見出し(部分一致)検索をかけますと20件がヒットします。漢字表記では「網代」のほかに「安代」「足代」もあります。
この20件のうち、海に面しているのは、
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の12項目です。「網代浦」「網代浜」といった、いかにも漁村らしい名称も多くみえます。いずれも「漁網を打つべき場所」であり、「漁に好適の場所」だったのでしょう。なお、佐賀県白石町の【網代村】は現在、田圃のど真ん中に位置しています。しかし、「この村は奈良時代頃までは有明海の海岸にあり、当時の有明海の海岸線は
三瓶湾に面した海の網代、「有網代村」
次に、川に面していたのは
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の4項目。これらの地域では、かつて川漁を生業としていたのかもしれません。
多摩川の支流、秋川の右岸に位置する川の網代、あきる野市「網代村」
「川の網代」4項目のうち、【谷上浜・田上網代】は古代の地名で、次のような記述があります。
宇治川の上流部にあたる瀬田川と
「あじろ」でヒットした20件のうち残るのは、海にも川にも面していない「あじろ」で、次の4件です。
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4件のうち、大阪府の東西の足代村は中世の足代庄の地に誕生した近世村落と考えられます。その西足代村の項目に「当郡(河内国
ここで残ったのは足助町の【安代村】となります。同村の立地は「美濃街道が中央を通り、集落は小起伏面上の山麓に点在。安代城跡が美濃街道沿いにある」と記され、海にも川にも面していません。かてて加えて「漁場に仕掛けるもの」と関連するような記述もみられません。「あじろ」の読みでヒットした20 項目のうち、19項目の地名は「日本国語大辞典」の【網代】の語釈にかなった地名由来が想定できましたが、足助町の【安代村】は例外となりました。あるいは、漢字表記「網代」に通じる「あじろ」ではない、別の由来が隠されているのかもしれません。
(この稿終わり)