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第52回 東京都の区名あれこれ(1)

2011年06月24日

東京23区(特別区)のなかには、平成24年(2012)に誕生80周年を迎える区が数多くあります。昭和7年(1931)、それまでの東京市をドーナツ状に取り囲んでいた(東京湾に面した南東部は切れていますが)82ヵ町村(南葛飾・南足立・北豊島・豊多摩・荏原えばらの5郡に所属)が東京市に組み込まれて20区に編成され、東京市は15区体制から35区体制となりました。このときに生まれた新20区の一部が来年80周年を迎えるのです。なお、従来の15区は明治11年(1878)の郡区町村編制法で誕生した区で、旧15区の範囲は、ほぼ江戸時代の江戸市中=御府内に相当します。

ところで、新20区を加えて35区体制が発足した東京市の人口は、580万人を超えてニューヨークに次ぐ世界第2の都市となり、当時は「大東京だいとうきょう」の呼称が広く用いられました。これは大正12年(1923)の関東大震災によって、それまで200万人を超えていた東京市(旧15区)の人口が200万人を下回ったのに対して、大正14年に東成ひがしなり・西成の2郡を編入した大阪市の人口は210万人を超えて日本一の大都市となり、しばしば「大大阪だいおおさか」と称したことに呼応しています。

第2次世界大戦中の昭和18年7月1日、東京は都制を施行。敗戦後の昭和22年3月、東京都は35区体制から22区体制に変換、同年8月に22区の1区であった板橋区から練馬区が分離・独立し、現在に続く23区体制が確立します。

35区体制から22区体制への変換の折に、旧15区と新20区のうちの3区を合わせた18区は8区に再編されました。また、新20区の残る17区のうちの6区は、2区ずつ合併して3区となりましたから、昭和7年に誕生して現在に続く区は、17-6=11で、11区という勘定になります。列挙すれば、葛飾・江戸川・足立・荒川・豊島・板橋・中野・杉並・渋谷・目黒・世田谷の11区です。

ただし、新20区のうちの6区が合併して3区となった際、品川区と荏原区は合併して品川区となっていますから、現在の品川区の誕生を昭和7年に溯らせることも可能で、そうであれば来年、誕生80周年を迎える区は全部で12区ということになります。

こうしてみますと、現在の東京都23区を誕生の経緯で分類すれば、昭和7年に誕生し、現在に引き継がれる11区(品川区ははずしました)、昭和22年の22区体制成立の際に合併で誕生した11区(品川区はここに入れます)と練馬区に区分できます。

さらに、22区体制成立の際に合併で誕生した11区は、旧15区に属する区だけで再編した5区(千代田・中央・港・文京・台東)と、旧15区に属する区と新20区に属する区の合併で誕生した3区(江東・墨田・新宿)、新20区同士の合併で誕生した3区(北・大田・品川)に細分できます。

次回は区誕生の経緯の違いによって、区名にどんな傾向性がみられるかを探ってみます。

 

(この稿続く)

現在の品川区の西半は、昭和7年から22年まで「荏原区」と称していました

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