日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
地名の由来、歴史、風土に至るまで、JK版「日本歴史地名大系」を駆使して解説します。
さらに、その地名の場所をGoogleマップを使って探索してみましょう。

第79回 過ぎし日の繁栄を物語る「千軒」地名(2)

2014年09月12日

前回は、ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択し、「千軒」のキーワードで全文検索をかけると355件がヒットするので、この355件の「千軒」地名について検討しましょう、というところで話は終わりました。

355件すべてを検討するわけにはいきませんが、検索結果画面(向かって左側)で地方別の件数がわかります。それによりますと、

北海道・東北地方が67件、関東地方が26件、
中部地方が57件、近畿地方が99件、中国地方が54件、
四国地方が19件、九州・沖縄地方が33件

といった分布状況です。もっとも多いのは近畿地方の99件。そこで、今度は絞り込み機能(ファセット機能)を使って、近畿地方にチェックを入れ、改めて検索をかけますと、近畿地方における府県別の件数が判明します。その結果は、

三重県が8件、滋賀県が8件、大阪府が20件、
京都府(京都市の件数を含む)が17件、
兵庫県が24件、奈良県が15件、和歌山県が7件

となり、近畿地方のなかでは兵庫県がもっとも多いという結果が得られました(これは、兵庫県の総項目数自体が多いことも一因ではありますが)。そこで、次は兵庫県にだけチェックを入れて全文検索をかけ、検索結果のスニペット表示を眺めながら、筆者なりに「千軒」地名を分類してみました。

大雑把な分け方ですが、兵庫県の「千軒」地名24件の内訳は、鉱山関連が5件、宗教関連が5件、流通・商業関連(都市的な集落を含む)3件、生産・工業関連2件、重複あるいはいわゆる「千軒」地名でないもの9件となりました。「千軒」地名でないものとは、三原みはら南淡なんだん町(現南あわじ市)の【福良浦ふくらうら】の項目に、「慈眼寺は市坊中央にあり檀家一千軒を数えた淡路有数の大寺」とあって、「檀家一千軒」の「千軒」がヒットしたような場合です。

もっともヒット件数の多い地方(近畿)のなかで、さらに、もっとも多い県(兵庫)を標準にするという、かなりいい加減なサンプリング調査ですが、大体の傾向性は把握できるのではないでしょうか。

この兵庫県で得られた結果を基準に、今度はザッとですが、全国355件のスニペット表示を眺めながら、地方ごとの傾向性を探ってみました(これもかなりいい加減な斜め読みですが)。

そうしますと、北海道・東北地方では、鉱山関連の「千軒」地名が多いこと、関東地方、中国地方、四国地方、九州・沖縄地方では流通・商業関連(一般的な都市を含む)が多いこと、中部地方では宗教関連が比較的少ないこと、といった傾向性があるように筆者には思われました。

355件のなかには、いわゆる一般的な「千軒」地名に含めるべきか、判断に迷うものもありました。たとえば、兵庫県高砂市の【小松原村こまつばらむら】の項目には「江戸時代後期には当村は糸屋千軒いとやせんげんと称されるほど綿業が盛んで、木綿仲買久右衛門や篠巻職源兵衛らがいた(天保九年「長束木綿仲買人願書」・慶応三年「御国産篠巻名前帳」穂積家文書)」という記述があります。また、大阪市淀川区の【加島村かしまむら】の項目には次のような記述がありました。

当地は古くから鍛冶師が多く住んだ地で「摂津名所図会」に「むかし加島鍛冶千軒とて、加島一村ことごとく鍛冶戸なり、今僅一両軒のみあり」とある。その隆盛は「曲江随筆」所収の元弘三年(一三三三)一月七日付大塔宮令旨の宛名に「加島鍛冶衆」とあることにうかがわれるが、さらに古くは「延喜式」(木工寮)にみえる「摂津国五十八烟」の鍛冶戸に加島の鍛冶も含まれていたと推定されている。江戸時代後期には前述のごとく衰退しているが、この加島鍛冶の伝統は元文三年(一七三八)当地に置かれた銭座に受継がれた。

大阪市淀川区の加島地区は、かつて「加島鍛冶千軒」とよばれるほど鍛冶職人が集住

高砂市小松原村の場合なら「小松原千軒」、同じく淀川区加島村の場合なら「加島千軒」であったならば、立派な「千軒」地名なのですが、「糸屋千軒」「鍛冶千軒」となると、判断は微妙となります。しかし、今回は「千軒」地名を幅広く捉えて、小松原村、加島村いずれの場合も、いわゆる「千軒」地名にカウントしたいと思います(小松原村の「糸屋千軒」は兵庫県の「生産・工業関連2件」のなかの1件にカウントされています)。

ところで、標題は「過ぎし日の繁栄を物語る『千軒』地名」としましたが、ということは、当然のこととして、その後に「没落」「荒廃」が訪れた、ということになります。次回は、「千軒の衰退」について探りを入れようと思います。

(この稿続く)