日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第69回 大分水界のグレーゾーン(2)

2012年10月12日

先回は地域の観光スポットとなっている大分水界を何箇所か紹介しました。そして、こうした大分水界観光スポットでは、地上に降った雨水は、(用水路の)分流点を通過しないうちは、太平洋側の水系に入るのか? 日本海側の水系に入るのか? を判断できない=黒白はっきりしない、いわばグレーゾーンとなっている、と記しました。

今回はもっと規模の大きい大分水界グレーゾーンを紹介しましょう。それは、福島県中央部のやや西寄りに位置する猪苗代いなわしろ湖と安積疏水あさかそすいによってつくり出されたグレーゾーンです。

安積疏水は、明治初年に困窮士族授産を主目的とする安積郡諸原野開拓が企画された際、その用水を確保するために開削された用水路。猪苗代湖から取り入れて、安積原野を潤したのち、阿武隈あぶくま川水系に落水する経路をたどります。明治12年(1879)に着工され、同15年に竣工しました。JK版「日本歴史地名大系」(福島県>郡山市>【安積疏水】の項目)は次のように記します。

有史以来猪苗代湖の水は西に流出して会津盆地に出、近世には戸ノ口堰と布藤ふとう堰も設けられ、会津盆地を潤し、日本海に注いで来たこの湖の水を東に流し、安積盆地はもちろん安達郡・岩瀬郡に至るまでを灌漑し、流末は阿武隈川に入り、太平洋と日本海を結んだのが安積疏水である。

安積疏水の開削以前、猪苗代湖の湖水は、湖の北西端、銚子ノ口から日橋にっぱし川となって流れ出し、やがて大川と合流して阿賀野あがの川(福島県内では「阿賀川」と表記)となり、只見ただみ川を合わせて新潟県域に入り、新潟市内で日本海に注ぎました。

一方、安積疏水は、猪苗代湖のほぼ北東端に位置する猪苗代町山潟やまがた上戸じょうこ取水口で湖水を取り入れ、中山なかやま峠の下を隧道で抜けて阿武隈川支流の五百ごひゃく川に落水、しばらく同川を流下したのち再び取り入れられて幹線水路となり、やがて多くの分水路に分かれて安積郡を中心に広がる原野(現在の郡山市から北の本宮もとみや市、南の須賀川すかがわ市に及ぶ)を灌漑しました。

その後、役目を終えた用水は阿武隈川水系の幾つかの枝川に落ち、これら落水は阿武隈川本流に集まり、北流して宮城県域に入り、北東方から東方へと流れの向きを変え、亘理わたり郡亘理町と岩沼市の境で太平洋に注ぎます。

つまり、吾妻あづま連峰の最東部に位置する一切経いっさいきょう山(1949メートル)から南へ、東吾妻山(1978メートル)、安達太良あだたら連峰、中山峠、笠ヶ森かさがもり山(1013メートル)と結ぶ大分水界ラインより西側に降った雨水はいったん猪苗代湖に入り、日橋川→(阿賀川)→阿賀野川→日本海とたどっていたのですが、安積疏水開削後は、一部の湖水は安積疏水→阿武隈川の枝川→阿武隈川本流→太平洋という道筋をたどることになりました。

猪苗代湖の湖圏域は約880平方キロといいます(平成16年「一級河川阿賀野川水系猪苗代湖圏域河川整備計画」福島県)。もちろん、880平方キロのすべてではないのですが(湖圏域には猪苗代湖から流れ出た日橋川の流域も一部含まれています)、たとえば、猪苗代湖に注ぐ諸河川のうち、最大の河川である長瀬ながせ川(流域面積約440平方キロ)の河口部は、前述の上戸取水口とはわずか4キロメートルほどしか離れていませんから、湖圏域のかなりの地域がグレーゾーンになると推測されます。

安積疏水の取水口は上戸駅の北西方、湖岸のトンネル(国道49号)のすぐ東側にある

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この猪苗代湖・安積疏水の関係と似たような例が、同じ福島県内にあります。それは羽鳥はとり湖(岩瀬いわせ天栄てんえい村)と隈戸くまど川の関係です。羽鳥湖は猪苗代湖の南端部から20キロほど南に位置する人造湖。阿賀野川水系の鶴沼つるぬま川を堰き止める羽鳥ダム(昭和31年竣工)によって誕生しました。羽鳥湖の湖水は隧道で大分水界を潜り抜け、阿武隈川水系の隈戸川に導水され、福島県の須賀川市、白河市、および岩瀬・西白河2郡の2町3村の耕地を灌漑しています。

この用水路完成以前、鶴沼川の水源部にあたる鎌房かまぶさ山(1510メートル)の北東面一帯に降った雨は、鶴沼川→大川→(阿賀川)→阿賀野川→日本海のルートをたどりましたが、用水路完成後、一部の雨水は、隈戸川→釈迦堂しゃかどう川→阿武隈川→太平洋と流下するようになったのです。立派なグレーゾーンの誕生です。

福島県では、北の山形県境から南の栃木県境まで、県域のほぼ中央部を縦断している大分水界の西側(日本海側)に、その幅はまちまちですが、帯状のグレーゾーンが存在している、ということができるでしょう。

おまけにもう一つ、揚水発電所のグレーゾーンを紹介しましょう。JK版「ニッポニカ」は「揚水発電」について次のように記しています。

深夜あるいは週末などの軽負荷時に下部貯水池の貯留水をポンプによって揚水して上部貯水池に貯水しておき、重負荷(ピーク負荷)時に上部貯水池の水を放水して水車によって発電する方式をいう。揚水発電所は普通の水力発電設備のほかに揚水設備を備えている。上部貯水池は軽負荷時に火力・原子力発電所で発生した電気エネルギーを一時的に水の位置エネルギーとして貯蔵する池である。したがって揚水発電所は、火力・原子力発電所のエネルギーをピーク負荷時に電気エネルギーに再変換する電気の貯蔵所ともいえる。

言い換えれば下部貯水池に蓄えた水を、電力需要の少ない夜間や週末の余剰電力を利用して上部貯水池に揚水し、電力需要が増大する昼間や平日に放流して発電する……いわば大きな蓄電池の役目を果たしている水力発電施設といえます。

ところで、この下部貯水池と上部貯水地が同一河川、あるいは同じ水系に属する河川に設けられている場合、さほど問題とはなりません(ほとんどの揚水発電所は同一水系でやりくりしています)。しかし、違う水系、しかも大分水界をまたいだ異なる水系に下部・上部の貯水池が設置されると、グレーゾーンが発生します。具体例をみてみましょう。

群馬県多野たの上野うえの村と長野県南佐久みなみさく南相木みなみあいき村にまたがる神流かんな川発電所です。この発電所の下部貯水池は、利根川水系の神流川を上野ダムで堰き止めて誕生したダム湖の神流湖(上野村、標高約850メートル)、一方、上部貯水池は、信濃川水系の南相木川を南相木ダムで堰き止めて誕生したダム湖の奥三川おくみかわ湖(南相木村、標高約1530メートル)です。

神流川発電所は平成9年(1997)に着工、同17年に発電開始。現在は2基が稼働して出力は94万キロワット、発電所全体が完成した暁には、6基が稼働して出力は282万キロワットとなります。神流、奥三川の両ダム湖の間は地下を走る水圧管路(勾配48度、有効落差約650メートル)で結ばれており、中程にある発電施設も地下500メートルに設置されています。ですから、大分水界はトンネルで通過しています。

発電所一帯には、荒船あらふね山(1423メートル)から三国みくに山(1834メートル)を経て甲武信こぶし岳(2475メートル)に至る大分水界が走っているのですが、発電所の運用開始以前は、三国山から北西方向に伸びる尾根の北東面に降った雨は神流川→利根川→太平洋、南西面に降った雨は南相木川→相木川→千曲ちくま川→信濃川→日本海と流れていました。

しかし、運用開始後はこのルートが逆転する可能性も出てきたのです。つまり、本来なら神流川から太平洋に向かうはずの雨水が、揚水されて奥三川湖に入り、そこから南相木川→日本海のルートをたどったり、その逆に、南相木川から日本海に向かうはずの雨水が、奥三川湖からの放流によって神流湖に入り、太平洋に流れ下る場合もでてきたのです。グレーゾーンが生まれました。

ただし、この揚水式発電所で生まれるグレーゾーンは、先に述べた福島県のグレーゾーンと異なった点があることに留意する必要があります。つまり、猪苗代湖・安積疏水や羽鳥湖・隈戸川の場合、大分水界の片側(福島県では西側=日本海側)がグレーゾーンとなるのに対して、揚水式発電所で発生するグレーゾーンは大分水界の両側に誕生する、という点です。場合によっては、下部貯水池と上部貯水池の間を何回も往き来しているうちに蒸発してしまう雨水があるかもしれません。

なお、このように大分水界を跨ぐ揚水式発電所は、神流川発電所のほかにも兵庫県朝来あさご市にある奥多々良木おくたたらぎ発電所、岡山県と鳥取県に跨る俣野川またのがわ発電所などがあります。

ちなみに、奥多々良木発電所の下部貯水池は朝来市の多々良木ダム(日本海側円山まるやま川水系多々良木川)、上部貯水池は同市黒川くろかわダム(太平洋側市川水系本流)、俣野川発電所の下部貯水池は鳥取県日野郡江府こうふ町の俣野川ダム(猿飛さるとび湖、日本海側日野ひの川水系俣野川)、上部貯水池は岡山県真庭まにわ新庄しんじょう村の土用どようダム(太平洋側旭川水系土用川)となっています。

(この稿終わり)

神流川発電所の下部貯水池、上野ダム。その西南方にみえるのが奥三川湖

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