日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
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第111回 洪積台地の開発

2015年12月11日

先回は、近世の耕地開発の中心が、それまで(中世)の洪積台地から沖積平野へ転換したという話をしました。では、(中世の)洪積台地の開発とはどういうものだったのでしょうか。

一般には小河川(支流)が洪積台地を開析して形成された谷(小さい谷)を湧水や溜池を利用しながら開発するのが主体だったといわれます。小谷(特にその上流部・源流部)を関東地方ではヤト(谷戸)とかヤツ(谷津)、西日本ではサコ(迫・佐古)とよび、そして、開発された田地は谷戸田・谷津田・迫田(佐古田)とよばれることになります。

東北地方ではヤト・ヤツに通じる言葉としてヤチ・ヤジ(谷地)がありますが、ヤチ・ヤジは湿地や荒地(野地)をさすのが本義のようです。また、北陸地方(新潟県を含む)のヤチ(谷内)は、関東地方のヤト・ヤツ(小さい谷)と東北地方のヤチ・ヤジ(湿地・野地)の双方の意味合に用いられているように思えます。

小谷の山際に位置する石川県津幡町「谷内」(やち)地区

ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」で、「谷戸」と入力して見出し検索(部分一致)をかけますと、21件がヒット。都道府県別の内訳は群馬2・埼玉9・東京3・神奈川4・山梨2・静岡1でした。同じく「谷津」では22件で、内訳は福島2・茨城2・栃木1・群馬1・埼玉3・千葉8・神奈川5・静岡2。

「迫」の場合は1字検索となりますので、読みの「さこ」も加えてAND検索をかけますと(東日本では「はさま」と読んで、谷筋を含む狭隘な地をいうことが多いので、これを避けることも考慮)、ヒット数は69件で、内訳は京都(府)1・奈良2・島根2・広島10・山口2・福岡4・熊本14・大分29・宮崎3・鹿児島2。

同じく表記「佐古」と読み「さこ」のAND検索では26件、内訳は千葉1・福井1・長野1・岐阜1・愛知1・京都(府)1 ・和歌山1・岡山4・徳島8・愛媛1・高知4・大分2となりました。

谷戸・谷津は関東地方が中心、迫・佐古は西日本が中心で、「迫」の用字は中国地方・九州地方、「佐古」は四国地方に多いことが改めて確認できました。

ところで、谷戸・谷津の検索でヒットした計43件のうち、「△△貝塚」「○○遺跡」「◇◇古墳」といった考古学関連の項目数は15件にのぼり、全ヒット項目数の3分の1以上を占めています。同様に迫・佐古(+読み「さこ」)の計95件のうち、考古学関連項目(石造遺物も含む)は24件で、これも4分の1以上の高率になっています。

1年以上前のことですが(2014年10月24日更新)、このコーナーでは「みのわ」(箕輪、三ノ輪、蓑輪、箕和など)地名を取り上げました。そこで「みのわ」と仮名で入力して(用字が多種あるため)、見出し検索(部分一致)をかけますと57件がヒットします。ただし、うち3件は「みのわ地名」とは無関係なので、残る54件をチェックしますと、考古学関連項目は4件。1割に満たず、谷戸・谷津、迫・佐古と比べると非常に低い数値となりました。

「日本歴史地名大系」が取り上げる考古学関連項目は、全項目数(約14万5000項目)の1割前後と思われます。これは「跡」と入力して見出し・後方一致検索をかけると1万2185件がヒットし、ここに「古墳」や「貝塚」は含まれませんが、逆に「城跡」「館跡」などは含まれている、といった出入りを考慮してはじき出した概数です。

そうしますと「ミノワ」の1割弱というのは標準の数値で、「ヤツ」「ヤト」の3分の1位以上、「サコ」の4分の1以上というのは非常に高い数値、ということになります。

これまで繰り返し述べてきましたが、「日本歴史地名大系」の立項項目の基本は近世(江戸時代)の町と村(現在の町名・大字に相当)。これに対して考古遺跡の名称は、町名・大字と比較すると、もう少し範囲の狭い地名(より詳細な地名)を冠するのが通例で、一般には字・小字とよばれている地名にあたります。

つまり、「ヤト」「ヤツ」「サコ」地名というのは、近世に一つの村落(大字)を形成するような規模ではなく、もう少し小さい、遺跡の名称に冠されるような字・小字規模の範囲を指し示す地名に多くみられる、といっていいのではないでしょうか。

中世に洪積台地の小谷の耕地開発を進めるにあたって主力になったのは、主家筋の傍流にあたる中小領主たち(いわゆる土豪層)であったといれています。そして、その開発(とりわけ田地)は村の一部(字・小字)を構成するほどの開発であったのではないか、と筆者は推測する次第です。

傍証ではないのですが、「谷戸田」や「谷津田」で一村が構成されているような「谷戸田村」や「谷津田村」を、「日本歴史地名大系」の見出し検索(部分一致)で探しますと、「谷戸田村」はゼロヒット、「谷津田村」は1件のみのヒットです。これに対して「みのわだむら」(箕輪田・三ノ輪田・蓑輪田・箕和田と用字が多種あるので仮名で入力)は5件もヒットしました。

ちなみに、合わせて95件もヒットした迫・佐古地名でいえば、「迫田」「佐古田」の田地で一村を構成するような「迫田村」「佐古田村」というのは、見出し検索(部分一致)によると、「佐古田村」が2件で「迫田村」はゼロヒット。いかにも有りそうな村名と思われる「迫田村」という近世村落は、じつは、全国どこを探しても存在しなかった――何か不思議な気がしますが、皆さんはいかがでしょうか。

(この稿終わり)