日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第161回 「ねごや」城跡

2019年12月06日

「ねごや」(漢字では「根小屋」「根古屋」「根古谷」などと記します)は、山城(詰城)の麓に形成された将兵たちの居住区域をいい、関東を中心に多くみられる地名です。

鏡味完二・鏡味明克の「地名の語源」(1977年、角川小辞典13)では、「戦国山城時代の城下の村。南奥~関東に分布」とあり、表記としては「根子屋・根小屋・根古屋・根古谷・根木屋・城下(ネゴヤ)・似虎谷(ネコヤ)」をあげています。

また、ジャパンナレッジ「国史大辞典」の【根小屋】の項目は次のように記します。

戦国時代に山城の麓に置かれた城兵の居住区域ないし集落をいう。地名としては根古屋・根子屋と書くこともあり、根古谷・根古山・猫山・猫も根小屋の転訛とされる。日本の中世城郭は在地領主層の居所(館)の城塞化に始まり、南北朝の内乱を主要な契機として合戦に備え居館の近辺の山に砦(詰城)を設けるようになった。しかしこのころの山城は戦時にのみ使用され将兵の長期滞在を想定した施設を置くことはなかった。戦国時代になり敵対勢力間の紛争状態が続き合戦自体も長期化するようになると、敵対勢力が互いの勢力分岐点近くに自己領域の抑えと敵方の監視のために比較的大規模な城を築き、将兵を長期在城させるようになり城兵の居住地である根小屋が形成されるようになった。

ちなみに、ジャパンナレッジ「鎌倉遺文」の全文検索で、「ねごや」「ねこや」「根小屋」「根古屋」「根古谷」をそれぞれ入力して検索してみましたが、いずれもゼロヒットでした。少なくとも鎌倉時代には「根小屋」の概念はなく、楠木正成の千早・赤坂城(現大阪府千早赤阪村)や奥州南部の南朝方拠点宇津峰うづみね城(「うつみね」とも。現福島県須賀川市など)など、南北朝時代の名だたる山城にも根小屋集落は誕生していなかったと考えられます。

「国史大辞典」の【根小屋】の項目は、さらに続けて次のように記します。

現在地名ないし城名として残る根小屋の分布を見ると東日本に偏在しており、西日本に多い山下(さんげ)と対比される。しかも関東平野の北縁から西縁にかけて濃密に分布することから、上野・武蔵・相模・甲斐・駿河など戦国時代に武田・上杉・後北条諸氏が覇権と領地を争った地域の境目の城に根小屋が特に設けられたことが知られる。後北条氏の場合、武蔵八王子城・同松山城の根小屋は文献史料にも登場するが、前者については「八王寺御根小屋ニ候之間」「当根小屋八王子」(『新編武州古文書』)とみえ、根小屋があたかも根城と同義に用いられている。後北条氏にあっては根小屋城は単なる境目の城にとどまらず領域支配の要たる支城に発展していったといえる。(後略)

「ねごや」は「関東を中心に多くみられる地名」と、はじめに記しました。「国史大辞典」の【根小屋】の項目も「東日本に偏在」と記していますが、実際にそうなのか、ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」で確かめてみましょう。

詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択し、検索ボックスに「ねごや」と入力(漢字表記はさまざまですから)、見出し・部分一致で検索を掛けると、29件がヒットします。

地域別では、北海道・東北が4件、関東が16件、中部が8件、中国が1件で、近畿、四国、九州・沖縄はゼロヒットでした。たしかに「関東を中心に」「東日本に偏在」していることが確認できます。

中国地方の1件は、備中松山城の城主居館の跡地である【御根小屋おねごや跡】(岡山県高梁市)がヒットしたもので、「地名」とはいえません。残る28件の内訳は地名19件、城跡5件、遺跡名4件でした。

4件ヒットした遺跡は、いずれも縄文~弥生時代の遺跡で、「山麓と平地が接するところ」という「ねごや」の立地環境は、太古から居住適地であったことが伺えます。

地名19件のうち、1件は根小屋沢ねごやさわ村(青森市)、1件は秋田城下の根小屋町(秋田市)、1件は根小屋新田(茨城県里美さとみ村、現小美玉市)、残る16件が江戸時代の「ねごや」村(「ねごや」の漢字表記はさまざま)で、ほとんどが近くに所在する山城の根小屋集落に由来するものでした。

戦国期に北条氏の武田氏に対する城だった津久井城と根小屋地区(左下)

問題は5件の「城跡」です。といいますのも、「ねごや」地名の誕生は、近くの山城の根小屋集落に由来することは理解できたと思いますが、「ねごや」地名を生み出した城の名が「ねごや」という矛盾に突き当たります。

【「ねごや」城跡】の各項目を読んでみますと、おおよそ次のような流れが思い浮かんできました。

まず、名称が判然としない山城が築城され、麓に根小屋集落が形成される。根小屋地区は「ねごや」の地名(現在の大字や小字に相当)でよばれる。その後、くだんの山城が再び活用されたり、調査された折に、その所在地から「ねごや」城の名が付され、やがて定着する――大雑把にいえば、こんな経緯で「ねごや」城が誕生したという考察です。

また、「ねごや」城と同様、矛盾する城名として「城山城」(読みは「じょうやま」もしくは「しろやま」)もありそうな城名です。

「日本歴史地名大系」で「城山城跡」と入力し(「日本歴史地名大系」ではほとんどの城郭が「~城跡」の名称で立項されています)、見出し・完全一致で検索すると2件がヒットしました。

うち、兵庫県新宮しんぐう町(現たつの市)の「城山城きのやまじょう跡」は、「木山城などとも記され、「きやま」ともよばれる」とありますので、「じょうやま」「しろやま」の類ではありませんでした。

残る1件は兵庫県美方みかた町(現香美かみ町)の「城山城じょうやまじょう跡」です。項目をみると、はじめに「その後の名称が判然としない山城が築城され」、城の所在する山が城山と名付けられ、のち、城郭自体を城山城とよぶようになった可能性が読み取れます。所在地は大谷おおたに村ですが、古く同村は、北に接する城山じょうやま村の支村だったとの記述もあり、地名「ねごや」に所在する「ねごや城」と同じく、地名「城山」に所在した「城山城」であった可能性が高いといえるでしょう。

(この稿終わり)