先回は「表と裏の地名」と題し、「裏」の字が付く地名と、これと対になる「表」の字が付く地名について考察しました。ところで、「裏」の字が付く地名と似通っている地名に「奥」の字が付く地名があります。
「奥」の字が付く地名は、文字通り「奥まったところ」の意で、一般には「(川の上流域で)山深い地域」や「(交通の便がよくない)辺鄙な地域」を指し示すことが多く、「裏」の字が付く地名と似通った地域性があるといえるでしょう。しかし、「裏」の字が付く地名と比べると、マイナスのイメージは少ないようです。
一例を挙げれば、全国で「裏」の字が付く市町村名は一つもないのに対して、奥多摩町(東京都)や奥出雲町(島根県)など、「奥まったところ」の意で「奥」を用いている市町村名が存在します(北海道の奥尻町や岩手県の奥州市はカウントしませんでした)。
少し脱線しますが、「奥義」と「裏技」では「奥義」のほうが正規の手続きを踏んでいる感じがしますし、奥女中として奉公することを表す「
ところで、「裏」の字が付く地名と対になるのは「表」の字が付く地名でしたが、「奥」の字が付く地名では「口」の字が付く地名が対になることが多いようです。
「奥」と「口」のセット地名で筆者がすぐに思いつくのは、石川県の能登半島(旧能登国)を「奥能登」と「口能登」に区分する言い方です。ジャパンナレッジ「世界大百科事典」の【能登半島】の項目には、
半島基部から
とみえますが、かつての能登国の郡名でいえば、
この「奥」と「口」のセットはさまざまな広さでみられます。「さまざまな広さ」というのは、前に挙げた能登国のように、旧国(六十余州)を範囲とするレベルから、少し狭い旧郡を単位とした範囲、この郡単位より狭い、江戸時代の村や町(現在の大字や町名に相当)を幾つか集めたほどの地域、現在の大字や町名の範囲、大字や町名よりさらに狭い小字レベルまで、さまざまなシチュエーションで「奥」と「口」がセットとなった地名が確認できます。
この「奥」「口」のセット地名は、それこそ枚挙にいとまがないほど数多く存在しますが、はじめに、京都府
京都府南部、南山城地域の東部に位置する山間の盆地で、(中略)古代には大和と近江を結ぶ交通の要衝であったが、山間の盆地であるだけに隠れ里的性格をもち、栗・柿・茶などを産する静かな山間村として知られる。
といった地勢を有します。宇治川に注ぐ田原川が東から西に流れ、同川の流域に形成された狭小な平地、および田原川に注ぐ小河川によって開析された支谷に集落が発達しています。
宇治田原町のほぼ中央部、田原川の流域に位置する岩山地区は、江戸時代には
岩山地区には田原川に注ぐ幾つかの支谷が形成されていますが、その支谷の下流部に「口
また、岩山地区の東南方に位置する宇治田原町
宇治田原町岩山地区の口筒井谷と奥筒井谷
こうしてみますと、「口」「奥」のセット地名は、盆地の小谷といった地域によくある地名であること、さらに、ある地域に集中して存在するといえるのではないでしょうか。
「ある地域に集中して存在する」は、大字レベルでみても確認できます。
たとえば、京都府
さらに、島根県出雲市には
出雲市口宇賀町と奥宇賀町(西田簡易郵便局のあたりから西方一帯)。下流・上流関係ばかりではない
大字に準じるような地名(集落名や通称地名など)をも含めて、大字・町名の「口」「奥」セット地名が出現する傾向性を市町村単位でみた場合、単独で存在するケースより、複数存在することのほうが多いように感じます。
「口」「奥」地名の名付け方に地域的な偏りがみられるためのなのか、あるいは、似たような地形構造が連続するためなのか、原因は定かではありませんが……。
次に大字・町名より広い(大字や町名を幾つか集めた)範囲の「口」「奥」セット地名をみてみましょう。福井県の小浜市から
(この稿続く)