京都
心光寺の前身は法城寺といい、陰陽家
大略、以上のような記述です。なお『雍州府志』によると、「法城寺」の寺名は、「氵(水)」を「去」り、「土」と「成」すの義といいます。
五条橋中島(中嶋)とは、かつて(中世以前)の五条通(現在の
中世史家、
同稿は、「清水観音に詣でる信仰の道の起点であり、鳥辺野に向かう死者の道の始まりでもあった」中世の五条橋中島は、「そうしたきわめて宗教性の強い橋の中ほどにある中島が、これまた京の死命をも制しかねない鴨川洪水の平穏を祈る地であったことからすると、この島は中世人が特別な信仰を寄せた聖地であった感さえしてくる」とも記します。
さて、「氵(水)」を「去」り、「土」と「成」す、という願いが秘められた「法城寺」という寺名は、仏法を護持する砦(城)というイメージも喚起され、寺名にふさわしい感があります。ところが、JK版「日本歴史地名大系」の見出し検索(完全一致)に「ほうじょうじ」の仮名読みを入力、ヒットした8件の内訳をみると、「法常寺」2件、あとは「法定寺」「法成寺」「法盛寺」「宝城寺」「宝乗寺」「北条寺」が各1件で、「法城寺」はありません。法城寺の表記は、観音寺・西方寺・浄土寺・蓮華寺といったような、寺院の名称にいかにもピッタリというものではないようです。
いっぽう、「部分一致」の条件設定で、見出し検索に「法城寺」と漢字入力すると、山梨県甲府市の「法城寺跡」1件だけがヒットします(「跡」があるため「完全一致」ではヒットしませんでした)。この甲府市の法城寺(跡)は昭和20年(1945)の空襲で焼失した臨済宗妙心寺派の寺院で、その縁起は、JK版「日本歴史地名大系」によれば、以下のようです。
かつて甲斐国一国がまるまる湖であったとき、法城寺の本尊地蔵菩薩によって甲府盆地南部の山が開かれ、盆地の水は富士川に落ちて引き、甲斐国に大地が現れた。このため、法城寺の本尊は国生みの地蔵として深い信仰を集め、法城寺が破れると甲州は水害で衰微するので、甲州を支配する武将は同寺を護持するよう努めた。また法城寺の名称は「水去りて土と成る」の意である、というもので、五条橋中島の法城寺の創建譚と、きわめて類似しています。
そこで、独立した項目にはなっていないが、ほかにも「法城寺」に関する記述がないか、JK版「日本歴史地名大系」で調べてみました。全文検索で「法城寺」と入力すると、35件がヒットします。このうち、地名など寺院以外の法城寺や重複記述を除くと、寺院「法城寺」の記述は次表の12件でした。
「法城寺」の記述が ある項目名 | 発刊時の 所属自治体 | 現在の所属自治体 | 寺の創建譚と 治水との関連 | 近隣を流れる 河川 |
北海道 | むかわ町 | 記載なし | ||
茨城県 | 記載あり | |||
埼玉県 | 記載なし | |||
山梨県 | 記載なし | |||
静岡県静岡市 | 記載なし | |||
滋賀県 | 記載なし | |||
大阪府 | 記載なし | |||
兵庫県 | 記載なし | 出石川・ | ||
鳥取県 | 記載なし | |||
香川県 | 記載なし | |||
香川県 | 記載なし | |||
高知県 | 記載なし |
創建譚に治水事業が関連する「法城寺」は、茨城県結城市の「結城寺跡」の項目で言及される「法城寺」のみでした。結城市
結城寺は、
この結城市にかつて所在した「法城寺」以外、残る11件の「法城寺」では、創建と治水事業がかかわったという記載は確認できません。しかし、11ヶ寺のうち幾つかの寺は、川の近隣に建立されていました。川越市の法城寺は
確たる史料が残されていないかったためか、「日本歴史地名大系」では、これら川沿いに建てられた法城寺の来歴に、治水事業にまつわる記述を載せていません。しかし、これら「法城寺」のうちの幾つかは、流域の人々が、川の流れが穏やかであること、たとえ氾濫したとしても、その被害が軽微であること、できれば二度と氾濫を繰り返さないことを願って建立し、「水を去り、土と成す」ことへの期待を込めて「法城寺」と命名した可能性があるのではないでしょうか。