地球温暖化の影響でしょうか、今年も暖冬の予想が出されました。しかし、東京地方では昨年よりも3日早く、10月24日に木枯らし1号が観測されており、冬のおとずれを告げる木枯らしは、しっかり吹いていたようです。
ところで、ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」で「木枯」 と入力し、見出し検索(部分一致)をかけると、何かヒットするでしょうか? じつは、静岡県静岡市の【木枯森(こがらしのもり)】と京都市右京区の【木枯神社(こがらしじんじゃ)】の2件がヒットします。【木枯森】について「日本歴史地名大系」は次のように記します。
現在の
静岡市街の西方、安倍川の支流、藁科川の中洲にある「木枯森」
一方、【木枯神社】については、次のように記します。
〔木枯杜〕木枯神社のもとあった辺りの森をいい、歌枕として多くの歌が残る。「能因歌枕」にあげられるが、駿河にもあり、駿河として詠む歌もある。
木枯しの森の下草風はやみ人のなげきはおひそひにけり 読人知らず(後撰集)
(後略)
なお「大酒神社」は京都太秦
現在は大酒神社の境内に祀られる「木枯神社」の、かつての社叢を「木枯杜」とよんでいた
>平安時代中期の歌学書である「能因歌枕」では、「木枯森」の所在地を駿河国と山城国の2か国で採用しています。ですから、その後の詠歌で、駿河国の歌枕として詠み込まれていても、山城国に所在する森として詠まれていても、どちらも誤りではありません。そうなると、「木枯森」(木枯杜)にあてられる森(杜)が静岡市と京都市の2か所に所在していても、これまた不都合ではないことになります。
ところで、「木枯森」は「枕草子」にも記載があるようです。ジャパンナレッジ「日本古典文学全集」の「枕草子」では、第194段の「森は」に次のように出てきます(なお、「森は」は、第108段にも重出していますが、そこでは「木枯森」をあげていないので、検討対象からはずしました)。
森は うえ木の森。
よこたての森といふが耳とまるこそあやしけれ。森などいふべくもあらず、ただ
そして、「日本古典文学全集」の頭注は、各森の所在地を以下のように比定しています。
「うへ木の森」=所在地未詳。
「石田の森」=京都市伏見区にある。「山科の石田の杜に
「木枯しの森」=静岡市羽鳥にある。京都市右京区にもあった。
「うたた寝の森」=福島県にあったか。
「岩瀬の森」=奈良県生駒郡か。
「大荒木の森」=京都市伏見区。
「たれその森」=三重県上野市の
「くるべきの森」=所在地未詳。「来るべき」に通じる。
「立聞きの森」=所在地未詳。「立聞き」に通じる。
「よこたての森」=所在地未詳。諸本に異同が多い。マ本(前田家本)「ようたて」(世が嘆かわしい、一説夜立て)に従うべきか。「ようたて」は『蜻蛉日記』に見える。
「所在地未詳」の森が意外と多いことに驚かされます。そこで、何かヒントになるものはないかと、「所在地未詳」とされる「うへ木の森」「くるべきの森」「立聞きの森」「よこたての森」について、詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択、それぞれの名称を入力して「全文検索」をかけましたが、いずれもヒットはしませんでした。
ただし、「奈良県生駒郡か」とある「岩瀬の森」について全文検索をかけると、奈良県生駒郡
「磐瀬の森」は「大字
「森」は生き物であり、その消長もまた激しく、1000年以上前に取り上げられたものが、現在まで生き延びているということ自体、稀有なことなのでしょう。
ところで、webで「木枯森」「木枯杜」を検索しますと、両方ともに全てといっていいほど、上位には静岡市の「木枯森」が並びます。実際に森が残されていることや県の指定名勝であることなどのアドバンテージもあり、京都市右京区の「木枯杜」を大きく引き離しているのでしょう。しかし、「枕草子」にあげられた森の半分前後は「所在地未詳」であったり、「所在は諸説があって定まらない」というのが現状です。ですから、現在はその姿形が残されていないとはいえ、右京区の「木枯杜」も静岡市の「木枯森」に何ら遜色のない、「枕草子」のあげる「木枯し森」の有力候補地だ、と筆者は思うのですが。いかがでしょうか。
(この稿終わり)