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第163回 旧国名を名乗る市町村(1)

2020年02月07日

平成の大合併の動きが沈静化してから10年以上の月日が経ちました。

新しく誕生した市町村の名称については、さまざまな批判もあります。とりわけ多かったのは、大仙だいせん市(秋田県)・小美玉おみたま市(茨城県)・愛荘あいしょう町(滋賀県)など、合併前の郡町村名から一字ずつとって新名称としたケース、みどり市(群馬県)・南アルプス市(山梨県)・みやま市(福岡県)などのひらがな・カタカナの市町村名、また、甲州市(山梨県)・伊豆の国市(静岡県)・さぬき市(香川県)など旧国名を採用したケース、という3つに対してだったように思えます。

(以下の記述はジャパンナレッジの「日本歴史地名大系」「角川日本地名大辞典」を参照しました)

たとえば大仙市の場合は、平成17年(2005)3月に秋田県大曲おおまがり市と旧仙北せんぼく郡の7町村が合併して誕生しました。その4か月前には仙北郡の3町村が合併して美郷みさと町が成立し、大仙市誕生の6か月後には残る仙北郡の3町村が合併して仙北市が成立しています。ただし、秋田県外の人々にとって、「大仙」が旧大曲市と旧仙北郡の合成であることを思い浮かべることは難しいのではないでしょうか。

同じく、小美玉市は平成18年3月に茨城県東茨城郡小川おがわ町・美野里みのり町、新治にいはり玉里たまり村が合併して、愛荘町は同年2月に滋賀県愛知えち秦荘はたしょう町と愛知川えちがわ町が合併して成立しました。この小美玉市や愛荘町の場合、県内に居住している人々でも、合併前の旧町村名を正確に言い当てることは難しいのではないでしょうか。

合併前の町村名から一字ずつを採用して合成することは、今に始まったことではありません。近代以降の話になりますが、明治22年(1889)の市制町村制施行に伴った合併(いわゆる明治の大合併)では、それこそ数え切れないくらい多くの「合併前の町村名から一字ずつを採用して合成した地名」が誕生しています。

ただし、こうした新地名の最大の欠点は、旧地名が持っていた意味合いが全くと言っていいほど、消滅してしまうことでしょう。

たとえば、現在の福岡県行橋ゆくはし市の前身にあたる行橋村は、明治22年に行事ぎょうじ大橋おおはし宮市みやいちの3か村が合併したときに、行事村の「行」と大橋村の「橋」を組み合わせて命名したものです。同じく愛知県蒲郡がまごおり市の前身である蒲郡村は、明治の大合併以前の明治9年に、宝飯ほい蒲形がまがた村と西郡にしのこおり村が合併、蒲形村の「蒲」と西郡村の「郡」から採用された地名です。「行橋」も「蒲郡」も誕生してから100年以上が経過しており、筆者も今回の調査で初めて合成地名であることを知りました。

「行事」の地名は交差点の名称などで残されている

蒲形村が「吾妻鏡」にも見える蒲形庄の系譜を引いていること、小倉藩屈指の豪商として知られた飴屋が「行事飴屋」とよばれていたこと、こうした歴史を知るきっかけとなる「蒲形」、「行事」の地名を「蒲郡」、「行橋」から思い浮かべることは、とても困難なことではないでしょうか。

ひらがな・カタカナ地名も古くから存在していました。たとえば、長野県茅野ちの市の前身にあたる「ちの町」は昭和23年(1948)にそれまでの諏訪すわ永明えいめい村(明治7年成立)が町制施行と同時に改称して成立しました。その後、昭和30年に「ちの町」と近隣の諏訪郡宮川みやがわ村(明治7年成立)など8か村が合併した際に「茅野町」と改称します。

ここからは、筆者の想像ですが……現在の茅野市中心部一帯は「ちの」とよばれていた。……旧「ちの町」地内の上原うえはら城は、戦国時代に武田信玄に攻略され、その後、城付の家臣団は「諏訪五十騎衆」「千野同心衆」などに編成されている。……一方、「茅野」と表記する字(江戸時代の茅野村)は旧宮川村にあった。……明治38年に中央本線が開通し、永明村内に茅野駅が開設される。

「ちの町」誕生当時、「ちの」の地名表記は「千野」と「茅野」が併存しており、永明村内は「千野」の表記、宮川村内は「茅野」の表記が優勢であった。……そこで、永明村の町制施行にあたっては「ちの町」を採用した。……昭和30年に宮川村などを合わせたことで、「茅野」も「ちの町」地内となり、加えて、「茅野駅」の所在も考慮し「茅野町」と改称した……という流れではないでしょうか。

昭和30年、滋賀県高島たかしま海津かいづ村・剣熊けんくま村・西庄にししよう村・百瀬ももせ村の4か村が合併して「マキノ町」が誕生しました(平成17年、近隣の町村と合併して高島市となった)。カタカナ表記の自治体名の嚆矢です。新町名の由来は、旧西庄村牧野に所在したマキノスキー場(関西で最も早く開設されたスキー場。現在はマキノ高原)に由来します。

カタカナ自治体名の嚆矢「マキノ町」はスキー場名から採用した

ひらがな・カタカナ市町村名の比較的早期の例をあげましたが、筆者が素直に受け入れることができないのは、近年の合併では、ひらがな・かたかな市町村名を採用した自治体の多くが、「親しみやすい」「わかりやすい」ことをその理由にあげている点です。

平成16年に高知県吾川あがわ郡の伊野いの町、吾北ごほく村と土佐郡本川ほんかわ村が合併して吾川郡「いの町」が誕生しました。合併の中核となったのは「伊野」地区で、「伊野」の地名は江戸時代以前から続く由緒があり、普通に読めば「いの」で、誤読の恐れはないはずです。あるいは、合併相手に遠慮したのでしょうか。筆者には、ひらがな表記にしたから譲ったことになるとは思えないのですが。

兵庫県龍野市も、平成17年に近隣3町と合併した際に、「たつの市」と改めました。しかし、「龍」の字は、画数は多いのですが(16画)、馴染みの薄い漢字ではありません。小学校低学年の児童でも「龍」の凧揚げなどで知っているでしょう(最近は「凧揚げ」自体が廃れている?)。明治・大正期に活躍した詩人、三木露風は「龍野」出身であり、醤油や「そうめん」も「龍野」の特産品です。「たつの生まれ」とか「たつのの醤油」「たつののそうめん」といわれてもピンとこないのではないでしょうか。

旧国名を自治体名に採用することも早くから行われていました。明治の大合併では出羽村(山形県・現山形市)、尾張村(愛知県・現小牧市)、河内村(大阪府・現河南町)、紀伊村(和歌山県・現和歌山市)・周防村(山口県・現光市)などが誕生しています。ただし、それ以前から伊豆村(東京都・現三宅村)、河内村(大阪府・現東大阪市)が存在していました。ただし、伊豆村は伊豆国というより伊豆諸島の意味合いでしょうし、現東大阪市の河内村は、明治の大合併に際して北里村となって消滅しました。

ここから先は「旧国名を名乗る市町村」についての検討に入りますが、それは次回に……。

(この稿続く)