平成の大合併の動きが沈静化してから10年以上の月日が経ちました。
新しく誕生した市町村の名称については、さまざまな批判もあります。とりわけ多かったのは、
(以下の記述はジャパンナレッジの「日本歴史地名大系」「角川日本地名大辞典」を参照しました)
たとえば大仙市の場合は、平成17年(2005)3月に秋田県
同じく、小美玉市は平成18年3月に茨城県東茨城郡
合併前の町村名から一字ずつを採用して合成することは、今に始まったことではありません。近代以降の話になりますが、明治22年(1889)の市制町村制施行に伴った合併(いわゆる明治の大合併)では、それこそ数え切れないくらい多くの「合併前の町村名から一字ずつを採用して合成した地名」が誕生しています。
ただし、こうした新地名の最大の欠点は、旧地名が持っていた意味合いが全くと言っていいほど、消滅してしまうことでしょう。
たとえば、現在の福岡県
「行事」の地名は交差点の名称などで残されている
蒲形村が「吾妻鏡」にも見える蒲形庄の系譜を引いていること、小倉藩屈指の豪商として知られた飴屋が「行事飴屋」とよばれていたこと、こうした歴史を知るきっかけとなる「蒲形」、「行事」の地名を「蒲郡」、「行橋」から思い浮かべることは、とても困難なことではないでしょうか。
ひらがな・カタカナ地名も古くから存在していました。たとえば、長野県
ここからは、筆者の想像ですが……現在の茅野市中心部一帯は「ちの」とよばれていた。……旧「ちの町」地内の
「ちの町」誕生当時、「ちの」の地名表記は「千野」と「茅野」が併存しており、永明村内は「千野」の表記、宮川村内は「茅野」の表記が優勢であった。……そこで、永明村の町制施行にあたっては「ちの町」を採用した。……昭和30年に宮川村などを合わせたことで、「茅野」も「ちの町」地内となり、加えて、「茅野駅」の所在も考慮し「茅野町」と改称した……という流れではないでしょうか。
昭和30年、滋賀県
カタカナ自治体名の嚆矢「マキノ町」はスキー場名から採用した
ひらがな・カタカナ市町村名の比較的早期の例をあげましたが、筆者が素直に受け入れることができないのは、近年の合併では、ひらがな・かたかな市町村名を採用した自治体の多くが、「親しみやすい」「わかりやすい」ことをその理由にあげている点です。
平成16年に高知県
兵庫県龍野市も、平成17年に近隣3町と合併した際に、「たつの市」と改めました。しかし、「龍」の字は、画数は多いのですが(16画)、馴染みの薄い漢字ではありません。小学校低学年の児童でも「龍」の凧揚げなどで知っているでしょう(最近は「凧揚げ」自体が廃れている?)。明治・大正期に活躍した詩人、三木露風は「龍野」出身であり、醤油や「そうめん」も「龍野」の特産品です。「たつの生まれ」とか「たつのの醤油」「たつののそうめん」といわれてもピンとこないのではないでしょうか。
旧国名を自治体名に採用することも早くから行われていました。明治の大合併では出羽村(山形県・現山形市)、尾張村(愛知県・現小牧市)、河内村(大阪府・現河南町)、紀伊村(和歌山県・現和歌山市)・周防村(山口県・現光市)などが誕生しています。ただし、それ以前から伊豆村(東京都・現三宅村)、河内村(大阪府・現東大阪市)が存在していました。ただし、伊豆村は伊豆国というより伊豆諸島の意味合いでしょうし、現東大阪市の河内村は、明治の大合併に際して北里村となって消滅しました。
ここから先は「旧国名を名乗る市町村」についての検討に入りますが、それは次回に……。
(この稿続く)