先回は文京区側の姿勢に問題あり、という指摘で話は終わった。ところで、小日向のように、地域呼称(大字・町名)の歴史的な読み方(その地域に住んでいる人たちが、日常的に用いることで伝えてきた発音)とは違う読み方が、第三者によって付けられ、そのことが、少なからず地域に波紋を広げたという例は、数多い。
たとえば、滋賀県の米原である。米原は江戸時代の初期に、琵琶湖の入江内湖である
しかし、明治22年(1889)に現在のJR東海道本線と同北陸本線との接続駅として、鉄道駅(米原駅)が設けられた折、駅名の読みは「まいばら」(濁音)とされた。以後、幹線鉄道の分岐点として「まいばら」の名は全国に知られるようになる。さらに、昭和39年(1964)に東海道新幹線が開通し、米原駅が新幹線の停車駅となると、濁音「まいばら」の定着に拍車がかかる。たぶん、今の時点で「滋賀県の米原は何と読みますか?」という質問を全国的に行ったら、99.9パーセントの人が「まいばら」と答えるのではないだろうか。
さて、平成17年(2005)2月に、それまでの
だが、しかしである。じつは新しい米原市の中心市街である米原地区(江戸時代に賑わいをみせた米原湊や米原宿の地)の地域呼称は清音の「まいはら」のまま残されたのである。米原駅によって対外的に広く知られた「まいばら」の読みを市名として採用する一方で、伝統的な地域の呼称である「まいはら」の読みも温存した。筆者は、いたずらに整合性を求めない、ダブル・スタンダード気味なこの行政の措置を、とても粋なはからいだと思っている。
翻って「小日向」である。地域に住む人々にとって一番大切な地名である大字・町名を、第三者(「小日向」の場合でいえば文京区)が登録、あるいは改称するような場合、そこに住んでいる人々が長く用いてきた呼称をまず考慮し、問題がなければ、これを追認するのが基本である。先に(この稿の第2回目に)、筆者は「こびなた」が「こひなた」になってしまったのは誤植が原因ではないか、という推理・仮説を立てた。もし、この推理が正しいとするならば、今からでも遅くはない。文京区は住居表示「小日向」の読みが「こひなた」だということを定着させようと、あの手この手と策を弄するのではなく、住居表示に登録されている読みを、地域住民が長く用いてきた「こびなた」に戻したらどうであろう。もちろん、経費は生じるであろうが、「地名の読み」という文化遺産は、一度消えてしまうと、復元は非常に困難なのだから。それに今となっては、「こひなた」という誤った読み方が、どうして登録されてしまったのか? について責任を追及されるような部署もなくなっているだろうから。
ところで、「小日向」という地名は、意外に知られた地名である。夏目漱石の小説『坊っちゃん』に登場する地名として、見覚え、聞き覚えのある人が多いのだ。『坊っちゃん』の最後は「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」という文章で終わっている。筆者は漱石に対して、とても音に敏感な作家、という感想を抱いている。かりに当時、小日向の読みが「こひなた」であったならば、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る。」主人公の坊っちゃんのことが、理屈なしで大好きな清の墓を、気の抜けた「こひなた」などという発音を有する地には設定しなかったのではないか、と筆者は秘かに思うのである。その場合は、漱石先生の実家がある
なお、養源寺のモデルとなったのは、夏目家の菩提寺であった
(この稿終わり)