先回、この欄で取り上げた〈
今回取り上げる〈五条天神社〉は、現在の松原通(中世以前の五条通)を今度は西方に進み、
五条天神社には、〈
一般に〈天神様〉といえば、菅原道真の御霊を祀る神社。しかし、この五条天神社の祭神は
神話の世界では、少彦名命は大己貴命(大国主神)と協力して国づくりに活躍しますが、一般には医薬の神様、農耕の神様、温泉開発の神様などとして広く祀られました。とくに薬の神様としての信仰は顕著で、大阪(大坂)の薬問屋街
室町‐江戸期の京都では、節分の夜に五条天神社から授かった陰干しにしたオケラ(白朮)の根を焚いて邪気を祓い、同じく五条天神社から受けた白い餠(「おけら餠」といいます)を食べて悪病を除くまじないとする風習がありました。現在も節分や5月の例大祭には、厄除け祈願の参詣者で賑わいます。ただし、今日の節分祭で参詣者に配られるのは、縁起物の宝船図ですが。
また、『義経記』では、一条堀川に住む
この五条天神社について、『徒然草』には次のような記述がみえます。「勅勘の所に靫かくる作法、今はたえて知れる人なし。主上の御悩、大方、世中の騒がしき時は、五条の天神に靫をかけらる。鞍馬にゆぎの明神といふも、靫かけられたりける神なり」(第203段)。五条天神社は、
さらに、応永28年(1421)には、この年流行した疫病退散のため、五条天神社を流罪とする宣下が祇園社に下されました(「看聞日記」同年4月23日条)。このことについてJK版「日本歴史地名大系」の「五条天神社」の項には、従来は「これを契機に五条天神の疫神としての地位が低下し、祇園信仰に席をゆずっていったという見解」がありましたが、「流罪宣下は『徒然草』が記す靫を懸けるということと本質的には同じで、五条天神は穢や罪を一身に背負いこみ、天皇から罰をうける特異な神であり、その裏には勅免による復活の儀礼を伴っていたとする説」が提出されている、とあります。
じつは、この新見解を提示されたのは、先回も登場いただいた瀬田勝哉氏。瀬田氏の論考「五条天神と祇園社」(『洛中洛外の群像』1994年、平凡社ライブラリー『[増補]洛中洛外の群像』2009年に所収)は、五条天神社が祇園社の末社となっていた時期があったことを指摘しつつ(だから〈流罪宣下〉が祇園社に下された)、流罪宣下が下された室町時代の五条天神社と祇園社の関係について、以下のように記します。
「そこからは両者の拮抗、勢力交替といった姿ではなく、むしろ両者の連携による周到な演出の匂いさえ感じとることができる。そもそもこのような神の流罪の原型が、天つ罪・国つ罪といった罪・穢を一身に背負って放逐される、
ところで、JK版「日本歴史地名大系」では、立項項目のうちで、五条天神社と同じように少彦名命を祀る神社がどのくらいあるか、新しいJKの検索機能を活用して調べてみました。「日本歴史地名大系」の個別検索画面で、見出し検索(後方一致)に「神社」と「宮」をor検索で入力、これに加えて今度は全文検索で「少彦名」をand検索で入力します(この方法で、条件にかなう神社のすべてを見つけることはできませんが、おおよその傾向性はつかめます)。結果は183件がヒット。〈分布図〉機能を利用すると、やや東日本・北日本に厚い分布を示しますが、ほぼ全国に展開していることもわかります。ちなみに、県別ベストテンは下表になります。
順 位 | 府県名 | ヒット件数 | 順 位 | 府県名 | ヒット件数 |
1位 | 茨城県 | 15件 | 5位 | 青森県 | 8件 |
2位 | 鳥取県 | 10件 | 8位 | 愛知県 | 7件 |
2位 | 岩手県 | 10件 | 8位 | 長野県 | 7件 |
4位 | 京都府 | 9件 | 10位 | 山形県 | 6件 |
5位 | 兵庫県 | 8件 | 10位 | 宮崎県 | 6件 |
5位 | 大阪府 | 8件 | 10位 | 奈良県 | 6件 |
第4位の京都府のうち、京都市内は5件。五条天神社のほか、先に五条天神社と同様に靫をかけられる神社として登場した鞍馬の由岐神社や、『義経記』では、義経と五条天神境内で闘う印地大将湛海が住した北白川の鎮守、北白川天神宮も少彦名命を祀る神社でした。
京の人々が都の平穏を願って執り行う祇園祭(祇園
ところで、先ほど提示した県別ベストテンで第1位となった茨城県には、たいへん興味深い神社があります。それは、、
碩学西郷信綱氏は「古代的
「……だがスクナヒコナと薬師如来との結びつきは、たんにクスリシである点だけにとどまらない。例えば常陸国鹿島郡の式内社・大洗
古代・中世に生きた私たちの祖先は、身に降りかかる災禍をできうるかぎり小さくしようと、さまざまな工夫を凝らしました。御霊信仰・天神信仰や薬師信仰、そして大祓なども、こうした工夫が生み出した信仰・儀礼の一つといえるでしょう。少彦名命への信仰は、ある地域では薬師菩薩神社に、またある地域では天神社・天神宮となって、それぞれの信仰世界の一翼を担ってきました。
今回取り上げた五条天神社も、都に降りかかる災禍が最小限であることを願うさまざまな人々に支えられ、祇園社や由岐神社・北白川天神宮などとともに、京都の祭礼・行事の世界〈コスモス〉において確たる役割を果たしてきたのだと思います。