江戸時代の都市(城下町・門前町・宿場町・在郷町・湊町など)において、都市内の町名に出羽・尾張・加賀・長門・阿波・豊後といった六十余州の国名を用いた町(近代に入って旧武家地に付けられた町名を含みます)はどのくらいあるのでしょうか?
たとえば、「市街整備の折に役夫を出した国名をとって名付けられたという」(ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」)江戸城下の尾張町とか、「豊臣時代には浅野幸長邸があり、幸長が紀伊守であったところから町名が生じたといわれる」(同上)大坂三郷の
金沢市近江町(上近江町・下近江町)の近江市場は「市民の台所」として全国に知られる。
そこで、ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択、入力欄に「各国の国名」+「町」を入力、ともに見出し検索でAND検索をかけて調査したところ、約130件が見つかりました。ただし、大坂三郷の備後町と備後町一丁目~六丁目や江戸城下の四谷伊賀町・四谷北伊賀町・四谷南伊賀町など、同一都市にある複数の同一国名の町は、これらをあわせて1件と数えました。
その結果、都市内に国名を用いた町名が最も多かったのは大坂三郷で、大和・摂津・河内・和泉・伊勢・尾張・駿河・伊賀・近江・信濃・越後・佐渡・播磨・備前・備後・周防・丹波・紀伊・淡路・阿波・讃岐・備後・肥後・日向の24か国の町名がありました。そのなかには
「薩摩阿波堀町」についていえば、二つの国名が用いられていますが、これは2件とカウントしました。町名の由来は、薩摩堀川と阿波堀川に挟まれていたからで、薩摩堀川についてジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」は次のように記します。
開削の中心人物は薩摩屋仁兵衛で、寛永五年(一六二八)に着工し同七年完成した(大阪市史)。開発当初は
一方、阿波堀川は、近くの阿波座に由来し、この阿波座については「名称の由来は阿波蜂須賀家の屋敷があり、阿波の商人が群居していたことによるという(大阪市史)。一説には阿波屋太郎助が豊臣秀吉から拝領した土地であったためともいう」(ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」)といいます。
「薩摩屋」「阿波屋」など、所縁のある国名を屋号としたと思われる商人が関係していることなど、商都・大坂らしさも現れているといえるでしょう。
大坂三郷に次いで多かったのは京都で、大和・山城・和泉・伊勢・尾張・甲斐・常陸・美濃・飛騨・信濃・加賀・越後・備前・備後・長門・丹波・因幡・豊後の18か国を数えました。
飛騨殿町は聚楽第が盛んであった頃に蒲生飛騨守氏郷の邸地があったことが町名の由来という。
将軍家のお膝元、江戸城下は大和・山城・和泉・伊賀・伊勢・尾張・三河・駿河・信濃・越中・加賀・備前・丹波・丹後・因幡・出雲・淡路の17か国で僅差の3位。
江戸城下に続いたのは加賀前田家百万石の城下町金沢。河内・尾張・安房・近江・出羽・越中・備中・長門・讃岐・大隅の10か国で、
以下、名古屋城下が4か国(大和・和泉・伊勢・駿河)、
長崎市の筑後町は、一説によれば筑後国出身者が集住していたことが町名の由来という。
「1か国のみ」といっても「国名を冠した町名」を有する都市は40か所前後あり、北は
(この稿続く)