「三田」と書いて何と読みますか? と尋ねてみると、首都圏在住の人たちは、「ミタ」と読む方が多いと思います。東京都港区の中央東寄りを占める
一方で、関西圏在住の人たちにとっては「サンダ」の読みのほうが聞き馴れているのではないでしょうか。兵庫県の東南部、武庫川の中流域に
兵庫県の三田市。江戸時代には三田藩の城下町として繁栄しました
では、全国的にみると「三田」の地名は何とよばれているのでしょうか。今まで何度も記してきましたが、「日本歴史地名大系」の項目の中心は江戸時代の村(および町)、この江戸時代の村名(町名)が、現在の大字(および町名)に通じています。
そこで、ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で、「日本歴史地名大系」を選択、「三田村」と入力して検索(見出し・部分一致)をかけると、18件がヒットしました。石川県能都町と岡山県勝山町(現真庭市)で「サンデン(ムラ)」が各1件、岡山県で「ミツダ(ムラ)」が2件(岡山市と倉敷市)ヒットしましたが、それ以外の15件は「ミタ」(9件)か「サンダ」(5件)でした。
地域分布をみると、「ミタ」は、
関東地方 1
中部地方 2
近畿地方 5
中国地方 1
と、近畿地方に多く、一方、「サンダ」は、
関東地方 2
中部地方 2
近畿地方 1
という分布になっています。「ミタ」の読みは近畿に多く、「サンダ」の読みは関東・中部に多いといえると思います。
はじめに、「三田」の読みは、首都圏では「ミタ」、関西圏では「サンダ」が広く知られた読み方だ、と記しました。しかし、一般的な地名としての「三田」は、広く知られた地名とは逆に、首都圏(中部地方も含めて)では「サンダ」、関西圏では「ミタ」が優勢であることが判明しました。
また、「三田」は全国どこにでもある地名のように思えますが、少なくとも江戸時代の村名(現在の大字に相当)レベルでいえば、北海道・東北地方、四国地方、九州・沖縄地方では全くみられない、というのも驚きです。
次に、「三田」の表記ではなく、「ミタ」と「サンダ」の読み方の面からも調べてみましょう。先程と同じく、ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択し、「みたむら」と入力。「とみたむら」などがヒットしないように見出し・完全一致の条件で検索をかけると、12件がヒット。「実田村」(北海道浜益村、現石狩市)、「見田村」(奈良県菟田野町、現宇陀市)、「美田村」(島根県西ノ島町)の各1件を除いた9件が「三田村」でした。
同様に「さんだむら」で検索をかけると、6件がヒット。「散田村」(東京都八王子市)1件を除いた5件が「三田村」でした。
「ミタムラ」も「サンダムラ」も、表記のうえで考えると、「三田」が主流であることがわかります。
東京都八王子市の散田地区。「散田」と記して「さんだ」と読みます
鏡味完二・鏡味明克の「地名の語源」(1977年、角川小辞典13)によると、「ミタ」の語源として、(1)神社所属の田、(2)苗代田に対しての本田、(3)ムタ(湿地、泥田の意。表記は「牟田」など)の転訛をあげています。実際、前出の港区「三田」をはじめ、多くの「ミタ」地名に、かつて神領であったという伝承があります。
ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」によると「ミタ」(表記は「御田」「屯田」)には、「令制以前、大王の地位に付属する供御料田」や「官司所属の直営田。令制の官田」の意味合いがあり、神領以外にも供御料田や官田に由来する「ミタ」地名もあるでしょう。
一方、「サンダ」は「地名の語源」によれば、
(1)本来の姿を失った田地。また、あるべき姿でない田地。具体的には、荒廃田、損田、川成田や無主田。公田に対する私有田、坪内に散在する田地。
(2)荘園で、請作人に割り当てて請作(うけさく)させ、地子を取ること。また、その田地。荘園領主が所有する。
(3)荒廃した悪田。
(4)江戸時代、農民の死亡、逃散、犯罪などによって無主となった田地。
といった意味があります。前出の石川県と岡山県でヒットした、「三田村」と記して「サンデンムラ」と読む(江戸時代の)村も、「散田」由来の村名かも知れません。
ここまでの検討でいえば、どちらかといえば官田(公田)の意味合いが強い「御田」や「屯田」に由来する「ミタ」地名と、(公田に対して)私有田の意味合いが強い「散田」に由来する「サンダ」地名という、互いに相反する意味合いを有する地名が、のちの表記の変遷で、どちらも同じ「三田」の表記になってしまった、という可能性もあるのではないでしょうか。
地名の考察は、その「表記」より「読み方」が重要、ということを改めて確認した次第となりました。
(この稿終わり)