日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
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第36回 「小日向」は「こ・び・な・た」だの巻(1)

2010年02月05日

日曜日の朝、NHK(総合テレビ)に『課外授業ようこそ先輩』という番組がある。筆者はあまり熱心な視聴者ではなく、先日(2009年12月6日)もチャンネルは合わせていたのだが、いわゆる「ながら見」をしていた。ところが、放送が始まって間もなく、アナウンサーの発した言葉に強烈な違和感を覚えた。その回のゲスト(先輩)であった上野動物園園長小宮輝之氏の出身校(東京都)文京区立小日向台町小学校を紹介する際、「ぶんきょうくりつ『こ・ひ・な・た』だいまちしょうがっこう」と発音したのが耳に障ったのである。

小日向=コビナタは東京都文京区の南西部に位置する。北東側を千川せんかわ通り(かつては小石川こいしかわ〈千川用水〉の流路であった)、南側を神田川かんだがわに画され、北西-南東方向に延びる小日向こびなた台地(武蔵野むさしの台地の東部にあたるやま台地の部分名称)の南部を占める地域である。台地の南斜面にあたり、字面のとおり、日当たりのよい地域である。現在は閑静な住宅街となっていて、かつての神田上水(現在の巻石まきいし通り)の北側には寺院街も形成されている。

東京の中心部は、近世に発展した江戸(江戸城下)を骨格とする都市である。こうした東京の中心部にあって、小日向は中世の史料で確認できる数少ない地名の一つ。JK版「日本歴史地名大系」の「小日向」(読みは「こびなた」)の項目は次のように記している。

『(前略)応永二七年(一四二〇)五月九日の江戸名字書立(米良文書)には「こひなたとの」とあり、年未詳の豊島名字書立(同文書)には「在こひなた たんしやう殿」とある。(中略)天正一八年(一五九〇)徳川家康が江戸に入った頃、小日向辺り一帯は沼・池が多い低地で、赤城あかぎ明神(現新宿区)の辺りから目白不動堂(関口村)辺りまですべて田野で人家はまれだったという。承応―万治年中(一六五二―六一)浅草川から江戸城牛込門まで仙台藩伊達家の手伝普請で新堀(神田堀)が開削され、この時の揚げ土や、築土つくど山(現新宿区)の御殿ごてん山やうし天神の山を崩した土を利用して、当地や小石川の低地に敷き、こうしてできた平地は中・下級武家の屋敷にあてられたという。その後町屋も起立されるようになり人家も増えていったとされる。』

上記引用の最後に「その後町屋も起立されるようになり人家も増えていったとされる」とあるが、江戸時代、小日向の一帯には小日向町のほか、小日向東古川町ひがしふるかわまち、小日向第六天前町だいろくてんまえまち、小日向水道町すいどうちょう、小日向五軒町ごけんちょうなど、「小日向」を冠する町が20町ほど誕生する。もちろん、冠称「小日向」の読みはすべて「こびなた」であった。残りは中・下級武家の屋敷地や寺院・神社の境内地となっていた。明治維新後、江戸時代に正式呼称がなかった江戸城下の武家地や寺社地にも町名が付される。小日向一帯も町の整理が行われ、内務省地理局が編纂した『地名索引』(明治18年刊行)や『地方行政区画便覧』(同20年刊行)によると、小日向町および小日向東古川町ひがしふるかわまち、小日向西古川町、小日向松ヶ枝町まつがえちょう、小日向水道町すいどうちょう、小日向武島町たけじまちょう、小日向水道端すいどうばた、小日向第六天町だいろくてんまち、小日向茗荷谷町みょうがだにまち、小日向台町だいまち、小日向三軒町さんげんちょう、小日向清水谷町しみずだにまちの12町(当時の所属は小石川区)に整理されている。もちろん、冠称の「小日向」の読みはすべて「こびなた」で、1丁目・2丁目も独立した一つの町と考えれば、小日向町を含み小日向を冠した町の総計は15町であった。

その後、明治末期になって小日向町および小日向水道町、小日向台町を除く町は「小日向」の冠名をはずし、それぞれ小石川区武島町、小石川区日東古川町、小石川区松ヶ枝町、小石川区第六天町などとなった。台町・水道町に小日向の冠名が残ったのは、同じ小石川区内の関口せきぐち地区(音羽おとわの通りを境に小日向地区の西に隣接する地区)に水道町(関口水道町)・台町(関口台町)という同名の町があったからである。

第二次世界大戦後の昭和37年(1962)に新住居表示法が施行されると、文京区でも翌38年から42年にかけて住居表示の整備が行われた。小日向地区では昭和41年に、 それまでの小日向町=コビナタマチ、小日向水道町=コビナタスイドウチョウ、小日向台町=コビナタダイマチと、かつては小日向=コビナタの冠称を有していた第六天町、松ヶ枝町、三軒町など9町の計12町に周辺地区の一部をあわせて、文京区小日向(読みは「こひなた」)1-4丁目および水道1-2 丁目に再編された。一方、旧小日向地区の一部は隣接する文京区音羽(1丁目)、同春日(2丁目)、同関口(1-2丁目)の各一部となった。

ところで、小日向町=コビナタマチや小日向=コビナタを冠する町と、かつて小日向=コビナタを冠していた町が集まってできた新しい町の名が、どうして「こひなた」になったのだろうか。

(この稿次回に続く)

閑静な住宅街を形成する小日向地区

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