日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第68回 大分水界のグレーゾーン(1)

2012年09月28日

分水界とは「地上に降った雨が二つ以上の水系に分かれる境界」(JK版「日本国語大辞典」)のことをいいます。富士山、立山と並んで日本三霊山の一つに数えられる白山を例にとれば、その東側に降った雨は、まず大白水おおしらみず谷や小白水谷の谷水となります。これらの谷水を集めた大白おおしら川は、やがてしょう川となって日本海に注ぎます。一方、西側に降った雨は、たに川、中ノ川などの渓流となり、やがて手取てどり川となって、同じく日本海に注いでいます。

つまり、白山は庄川水系と手取川水系の分水界にあたります。白山の例でみたように、日本では山の尾根が分水界となることが多いので、分水界よりも分水嶺といったほうが一般的かもしれません。

北海道の知床半島の山並はオホーツク海に注ぐ水系と太平洋に注ぐ水系とを分ける、伊豆半島の山並は相模湾に注ぐ水系と駿河湾に注ぐ水系とを分ける、紀伊半島の山並は熊野灘に注ぐ水系と紀伊水道に注ぐ水系とを分ける、それぞれ分水界(分水嶺)といえます。こうした、数多ある分水界のなかで、日本海側に注ぐ水系と太平洋側(瀬戸内海を含める)に注ぐ水系とに大きく2分する分水界を大分水界(大分水嶺)、あるいは中央分水界とよびます。

大分水界は北海道から九州まで連なっていますが、「国道180本と鉄道61路線」が横断しているといいますから(堀公俊著「日本の分水嶺」2000年、山と渓谷社刊)、皆さんも知らず知らずのうちに、大分水界を通過していることでしょう。

もっとも、近年は土木技術が発達、田沢湖線(秋田新幹線)仙岩せんがんトンネル(岩手県雫石町-秋田県仙北市)、国道108号鬼首おにこうべトンネル(宮城県大崎市-秋田県湯沢市)、関越自動車道関越トンネル(群馬県みなかみ町-新潟県湯沢町)、長野新幹線碓井峠うすいとうげトンネル(群馬県安中市-長野県軽井沢町)、安房峠あぼうとうげ道路(国道158号バイパス)安房トンネル(長野県松本市-岐阜県高山市)、北陸本線深坂ふかさかトンネル(滋賀県長浜市-福井県敦賀市)、智頭急行志戸坂しどざかトンネル(岡山県西粟倉村-鳥取県智頭町)、米子自動車道三平山みひらやまトンネル(岡山県真庭市-鳥取県江府町)等々、多くの幹線交通路がトンネルで大分水界を越えているため、実際には大分水界をその目で確かめることなく通り過ぎてしまった場合も多いかもしれません。

ところで、この大分水界が観光スポットとなっている地域もあります。兵庫県丹波たんば市の《水分みわかれ公園》、岐阜県郡上ぐじょう市の《分水嶺公園》、山形県最上もがみ町の《堺田さかいだ分水嶺》などが、代表的な大分水界観光スポットでしょうか。

丹波市の水分れ公園は、本州でもっとも低い中央分水界を謳い文句にしている丹波市氷上町石生ひかみちょういそう地区にあります。同所は標高100メートル内外の大分水界が東西に走り、大分水界のすぐ南側を高谷たかたに川が西に流れています。《水分れ公園》は、この大分水界の東はずれに位置し、水分れ資料館が併設されています。むかい山の西南麓を水源とする高谷川の流路は公園内で整備され、北へ分岐する水路が設けられています。この分水路へ導かれた水流は黒井くろい川-竹田たけだ川-土師はぜ川を経て由良ゆら川となって日本海に、一方、直進する高谷川の本流は加古かこ川となり、瀬戸内海に注いでいます。

本州で一番低い大分水界は、地図の中央付近を東西に走っている

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郡上市の《分水嶺公園》は、大日ヶ岳(1708.9メートル)の東麓、ひるがの高原(標高約900メートル)にあります。大日ヶ岳東麓の水を水源とする公園内の水路は南北2流に分かれ、北への流れは御手洗みたらい川-庄川となって日本海へ、南への流れは長良川となって太平洋へと注ぐことになります。

最上町の《堺田分水嶺》は、JR陸羽東線堺田駅前にあり(標高約340メートル)、駅の北側に広がる田地を南へと流れる用水路が駅前で東西2流に分かれます。東の流れは、大谷おおや川-江合えあい川-旧北上川となって太平洋へ、西の流れは明神みょうじん川-小国おぐに川-最上川となって日本海へ入ります。

「堺田」については、JK版「日本歴史地名大系」に次のような記述があります(山形県>最上郡>最上町>「堺田村」の項目)。

近世は(出羽国)最上郡(新庄藩領)と陸奥国玉造たまつくり郡(仙台藩領)の境界にあたり、新庄城下や羽州街道舟形ふながた宿(現舟形町)と仙台藩領の村々を結ぶ最上小国街道(中山越)が東西に走る。境田とも記した。(中略)新田本村鑑によれば新庄・仙台両藩境が不分明の頃、江戸から下った役人が藩境とされる付近の小沢の名を当地の住人に聞き、せき沢と答えたためこれを藩境と定めたといい、関沢など三ヵ所に分杭の炭塚が打たれた。

近代以前に分水界をもって村境、郡境、藩境、国境とするケースはよくみられますが、堺田分水嶺は分水界が不分明で境界を見極めることが難しかったようで、少しだけ新庄藩に有利に(東方=陸奥国仙台藩領側に入り込んで)藩境が決められたようです。「関沢」は現在の大谷川最上流域の渓谷にあたると考えられます。なお、元禄2年(1689)「おくのほそ道」の旅に出た松尾芭蕉は、同年5月、この堺田分水嶺を越えており、前掲「堺田村」の項目は次のように記します。

東方の鳴子なるこ尿前しとまえ宿(現宮城県玉造郡鳴子町)を出立し中山なかやま宿(現同上)を経て中山越で当地に入った松尾芭蕉は「おくのほそ道」に「大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す」と記し、「蚤虱馬の尿する枕もと」の句を詠じた。この「封人の家」は当村庄屋有路家であったとされ、旧有路家住宅は現在、解体・復原され国指定重要文化財となっている。

「封人」とは「国境を守る役人。また、くにざかいに住む人」のこと(JK版「日本国語大辞典」)。有路家は堺田村の庄屋家で、最上小国街道の「問屋的性格も兼ね備えて」いました(前掲「堺田村」の項目)。

今まで紹介してきた分水界観光スポットは比較的平坦な地に設けられていて、一筋の水流が二手に分かれる場面を見ることができます。仮に二手に分かれる前の流れに笹舟を浮かべたとすれば、その先どちらに向かうのか(太平洋か日本海か)、笹舟が分流点を通過するまでは不明といえます。

「日本では山の尾根が分水界となることが多い」と先述しましたが、いわゆる大分水嶺をもって日本列島を日本海側と太平洋側に黒白2色で色分けした場合、先に掲げた分水界観光スポットはグレーゾーンとなります。ただし、グレーに塗られる地域は、向山の西南麓(氷上市)、大日ヶ岳の東麓(郡上市)、堺田駅前の田地(最上町)といった具合に、ごく限られた地域です。

次回は、もっと広い範囲に展開する「大分水界のグレーゾーン」を御紹介しましょう。

(この稿続く)

ひるがの高原の水は北部の緩傾斜地を経て日本海へ、南部の急崖を経て太平洋へ

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