日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第37回 「小日向」は「こ・び・な・た」だの巻(2)

2010年03月05日

前回は『小日向町=コビナタマチや小日向=コビナタを冠する町と、かつて小日向=コビナタを冠していた町が集まってできた新しい町の名が、どうして「こひなた」になったのだろうか』というところで話は終わった。では、どういう事情でそうなったのか? じつのところ、今となってはその理由がよくわからないのだ。ただし、筆者には1つの推理・仮説がある……。それは「誤植」である。

住居表示に関する法律(いわゆる新住居表示法)では、新たに住居表示を付す場合は、あらかじめ当該街区の住民に新住居表示を公示し、異議を受け付け、異議があった場合は公聴会を開き、当該地区住民の意見を聞いたあとでなければ議決できない、と定めている。そして、こうした手続きを経て議案が可決されれば、新住居表示の告示という運びとなる。

小日向地区の地元では、住居表示変更以降、町内会の会長や副会長が、小日向の行政呼称を「こひなた」から「こびなた」へ戻すように、何度も文京区に働きかけている。しかし、そのたびごと区側にこれを拒否されている。読みは「こひなた」ではなく「こびなた」だ、と主張する住民が今もって多く住んでいる小日向地区で、昭和41年の新住居表示設定の折に「こひなた」を看過したとは思えないのである。そこで、筆者は公示、議決、告示のどこかで「こひなた」の誤植が発生したと推理するのである。
では、なぜ小日向地区の住民は「こひなた」の誤植に気付かなかったのか。先回記したように、昭和41年に小日向地区の一部は、音羽や春日や関口に変更されている。由緒をもつ小日向地区の住民にとって、自分の住所が従来どおり小日向に留まるのか、はたまた音羽・春日・関口になるのかが当時の重大関心事であって、(読みは「こびなた」以外に思いもよらないので)小さな活字で記された「こひなた」を見過ごしてしまった、というのが筆者の仮説である。
しかし、時を経て、信号板に「Kohinata」のローマ字表記が書き加えられ、自分の出身校である「こびなただいまち」小学校の校歌で、孫たちが「こひなただいまち」と歌うよう指導されている、ということを知った古くからの住民は、「誤植」を見逃した事の重大さに気づき、「こびなた」復興を区側へ働きかけたのではないか、と筆者はさらに想像するのである。

 

このあたりは江戸時代には小日向東古川町・小日向西古川町と称し、
れっきとした小日向地区であったのだが、昭和41年に関口1丁目となった

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文京区の公式ホーム・ページでは、区議会の議事録が、トップ・ページ>文京区議会>区議会会議録の手順で閲覧できる(平成14年分以降)。この会議録をみると、平成14年には10月7日の決算審査特別委員会、11月21日の本会議、12月3日の総務区民委員会で、それぞれ「小日向問題」が取り上げられている。
このうち、12月3日の総務区民委員会では、小日向地区を地盤にしていると思われる区会議員(委員)が、小日向地区の町会から行政地名を「こびなた」に戻せないかとの要望があるが、区の対応はいかに? という質問を行い、学務課長、区民課長、区長がそれぞれ答弁している。
区側3人のそれぞれの答弁の一部を前述のホーム・ページから引いて、ここに掲載する。

学務課長の答弁=『私どもがいろいろ調査をいたしまして、創立時に「ひ」に濁点を打ってたのは事実として確認がされたわけですけれども、やはり今区民課長からお答えありましたけれども、40年代だったと思いますけれども住居表示の一斉の確認があったわけですけれども、そのとき以降「こひなた」という呼び方が定着をしてきて、慣行として学校現場は「こひなただいまち小学校」というふうに呼んでいるんだと。ですから、「こびなた」か「こひなた」かというのは、どちらが正しいかということは確認はできないと。ただ慣行として、小学校の現場の方では「こひなた」と呼ぶことが定着しているんですということで御理解いただきたいという御説明を口頭でいたしました。』

区民課長の答弁=『私どもは法律の成立に伴いまして昭和39年8月から42年1月にかけての時期に住居表示の改正を行いましたから、もうこの形で住居表示の法律が施行されて、そのもとで文京区としても改正したんですから、住居表示の改正はされているんですよという話はもうそこでしました。これはルビを振った「こひなた」という形で議会でも御承認いただいているんだという話で説明して、その上でなおかつ旧町名の表示については古い町、歴史的な町ということで要望があるものですから、改正に伴って同時に法律の中にあります9条2項によって、旧町名の表示の保存ということで、旧町名案内板で設置してございますということで、そこまで説明して、それもわかっていただいておりますので。ただ地域の方がその呼称を日常お使いになることについて行政としてそれはいかんという形では申し上げてございませんということで説明してございます。御理解いただいたと思っています。』

区長の答弁=『問題の提起は昭和61年でした。「こひなただいまち」の当時町会長さんから「こびなただいまち」町会と呼んでいたし、「こびなたすいどうちょう」という町も現在でもあります。したがって、「こひなた」一丁目から四丁目という住居表示ではなく、「こびなた」一丁目から四丁目とすべきが至当なのではないか。これは歴史的背景を踏まえてのことだと、こういう御指摘でございました。その後、つい最近になりまして同様の形で「こびなただいまち」町会だし、学校もしたがって「こびなただいまち小学校」と呼称すべきだ。「こびなた幼稚園」というべきが至当なのではないかというのが町の大方の意向のようであります。したがって、区側にそういう問い合わせ、要望等があるわけですが、これは申し上げた昭和61年当時、いろいろと私も調べた経緯がありますが、昭和40年住居表示の協議会が開かれたときに、この町名付番をする際に「こひなた」にすべきか「こびなた」と濁るべきか、当時の議会でいろいろ協議をされた跡があります。しかし、呼び方としては「こひなた」とする方が一般的であろうということで、当時の議会では濁りのない「こひなた」に住居表示は指定されています。(中略)ですから、いろいろな呼称の仕方、音便等があったでありましょう、濁りがついたりつかなかったりということがあったでありましょうから、歴史的背景はあるわけです。そういう中で昭和40年当時の住居表示協議会及び議会の協議を経て「こひなた」と呼称することに条例上も規定してあるわけで、その辺のいきさつは十分地元の方々にそれぞれから説明をしているところです。』

3人の答弁は以上のようなものである。それぞれの答弁に筆者は「異議あり」なのだが、具体的な異議については、また次回。

(この稿次回に続く)