日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
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第21回 難読地名~草木編(1)

2008年10月24日

〈鳥獣編〉〈虫類編〉〈十二支編〉と続いた難読地名が復活です。今シリーズは〈草木編〉、その第一回目。〈草木〉といってもいささか幅が広すぎるようなので、〈くさかんむり〉〈きへん〉〈のぎへん〉〈たけかんむり〉といった、草木にかかわる偏(ヘン)、旁(ツクリ)を用いた漢字を含む地名を対象としました。

今回は難読といっても、あっと驚くような読み方ではなく、同じ表記なのに読み方がバラエティに富んだ地名を取り上げてみました。

(問題文をクリックすると答えがご覧いただけます)

菅谷と記す地名は、「スガヤ」あるいは「スガタニ」と読むのが一般的でしょうか。福島県田村(たむら)滝根町(たきねまち)地区の菅谷や茨城県筑西(ちくせい)市の菅谷、埼玉県比企(ひき)嵐山(らんざん)町の菅谷、福井県福井市の菅谷などは、いずれも「スガヤ」と読み、新潟県新発田(しばた)市の菅谷、石川県加賀市山中温泉(やまなかおんせん)地区の菅谷町、兵庫県相生(あいおい)矢野町(やのちょう)地区の菅谷は「スガタニ」です。

土浦市の菅谷町は市の東端、かすみがうら市との境に位置します。霞ヶ浦に舌状に突き出た半島の台地部に広がる田園地帯です。

穴水町菅谷は、能登(のと)半島中央部の山間にあり、平家の落人が開いたところとの伝説があります。平成15年(2003)当地を含み、穴水町、能登町、輪島市にわたる地に能登空港が開港しました。

洞戸地区の菅谷は、長良(ながら)川に流れ込む板取(いたどり)川の支流、菅谷川の流域山間にあります。江戸時代には、美濃和紙の生産が盛んでした。

次は「楮」の字を含む地名です。楮(コウゾ)は、クワ科の落葉低木で、古くから和紙の原料として用いられました。岡山県美作(みまさか)市の楮地区は、そのものズバリ「コウゾ」と読みます。

弘前市の楮町は、江戸時代には弘前城下の城下町。「楮町」の町割りは弘前藩から「紙漉(かみすき)町喜兵衛が、楮畑と楮作人二〇人分の屋敷地と材木を給されて行われた」(JK版「日本歴史地名大系」)といいますから、本来は「こうぞまち」だったかもしれません。南東に接して「新楮町」もありました。

南砺波市の楮は、(しょう)川右岸の段丘台地上に開けた地区。江戸時代には〈籠渡し〉を使用して、対岸の西赤尾町(にしあかおまち)村に渡りました。現在は楮橋が架かっています。

南関町の楮原地区は、福岡・熊本県境で有明海に注ぐ諏訪(すわ)川(熊本県では関川といいます)の支流、楮原川の最上流部に位置し、江戸時代には楮原村といいました。明治9年(1876)関東村に合併しました。

芦北町の楮ヶ迫地区は、八代(やつしろ)海に注ぐ佐敷(さしき)川の支流、田川(たがわ)川の上流山間に位置し、江戸時代には楮ヶ迫村といいました。明治8年(1875)に近隣の長崎(ながさき)村などと合併して丸山村となりました。

最後は「柞原」です。〈柞〉の字は、音は「さく」、訓は「ははそ」で、「ははそ」は「ミズナラなどのナラ類およびクヌギの総称」(日国オンライン)といいます。京都府相楽(そうらく)精華(せいか)町にある祝園(ほうその)神社の柞森(ははそのもり)は、歌枕として知られます。

甲賀市の柞原は、市の南西端、信楽谷と通称される山間の地にあります。当地を含む一帯は、中世には柞原郷とよばれ、江戸時代になると柞原郷は〈柞原下村〉、〈柞原中野村〉、〈杉山(すぎやま)村〉(柞原上之村ともいった)の3村に分かれました。現在の「柞原」は江戸時代の〈柞原下村〉の地にあたります。

丸亀市の柞原町は、丸亀平野の中央部に位置します。地内にある柞原神社は、歌人西行が再興したとの縁起を伝えます。

大分市の柞原八幡宮は、ニホンザルの生息地で名高い高崎(たかさき)山の南東山間に鎮座します。9世紀の創建と伝える由緒ある神社で、かつては豊後国の一宮であったといいます。ただし、同じ大分市内にある西寒多(ささむた)神社が豊後国一宮であったとする説もあります。

「豊後国一宮柞原八幡宮」

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「米」の字にベイ、マイの音、コメ、ヨネの訓があるように、日本語の漢字の読み方は多種多様で、多層的。地名も同様に、その読み方は千変万化といえるでしょう。