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第66回 旧国名、別称の法則(2)

2012年07月20日

先回は武蔵国を武州(ぶしゅう)、摂津国を摂州(せっしゅう)などとよぶ、旧国名の別称(異称・略称)について

【法則1】他の国の使用文字と重複しない場合、2字の国名表記の「頭字+州」というのが基本となる。
【法則2】頭字が他国の頭字と重複する場合は、2字の国名表記の「第2字(次の文字)+州」とする。
【法則3】備前・備中・備後、あるいは筑前・筑後、豊前・豊後など、前・(中)・後で区分けされる国の場合、備州(びしゅう)、筑州(ちくしゅう)、豊州(ほうしゅう)など、総称としての別称はあるが、個々の国ごとの別称はない。

という法則が成り立つことを述べ、「法則には例外が付きものです。次回はこの例外の考察をします。」との言で結びました。さっそく、例外を調べてみましょう。

六十余州のうち、【法則1】からはずれるのは、近江国・周防国・和泉国の3ヵ国です。この3ヵ国はそれぞれの頭字である「近」「周」「和」の字が、他国の頭字と重複していないのに、【法則2】の「第2字(次の文字)+州」の形式を採用しています。つまり、近江国は近州ではなく江州(ごうしゅう)、周防国は周州ではなく防州(ぼうしゅう)、和泉国は和州ではなく泉州(せんしゅう)となっています。

はじめに近江国(現在の滋賀県)について検証します。近江の読み「おうみ」は「淡水のうみ」(=湖水)の意である淡海(あわうみ)の変化したもので(JK版「日本国語大辞典」)、ここでいう「淡水のうみ」とは、いうまでもなく琵琶湖を指しています。また、近江国のペアともいうべき遠江国(現在の静岡県西部)についてJK版「日本歴史地名大系」(『静岡県の地名』>遠江国>古代>国名の由来)は次のように記しています。

国名は琵琶びわ湖=近淡海ちかつおうみに対して、浜名湖を遠淡海とおつおうみとよんだことによるとするのが一般的である。しかし遠江国の中心は現在の磐田市を中心とする磐田郡であって、浜名湖は遠江国の西の端であることから、磐田郡などのある磐田原台地の南に広がっていたおおの浦(現磐田市・福田町)という潟湖が遠淡海とよばれたとする説も有力である。

「遠淡海」が浜名湖ではなく、磐田市(2005年に福田町は磐田市に合併)の南部に位置していた大の浦という潟湖(現在の大池はその名残といわれます)を指すという説も有力、という話を筆者は知りませんでしたが……それはさておき、近江国の別称が江州、遠江国の別称が遠州となった経緯について筆者は次のように推定します。

古代、畿内の人々は現在の滋賀県域に相当する地域を、琵琶湖に由来して「淡海」とよんでいた。ところが、現在の静岡県西部にあたる地域に畿内政権の力が及ぶようになると、その地域を「遠淡海」とよび、一方で今まで単に「淡海」とよんでいた地域を「近淡海」とよんで、二つの地域を区別した。さらに国名表記を2字に統一する際、「淡海」(湖)の意をとって「江」の1字にまとめ、「近淡海」は「近江」、「遠淡海」は「遠江」の2字表記とした……。
さらに、当時の畿内人にとって、近江国は「淡海」(琵琶湖。近江の2字表記では「江」の部分)がこの地域を特色づける第一義と認識されていたのに対し、遠江国の場合は「遠い」(遠江の2字表記では「遠」に相当する部分)ということに重きを置いて、この地域を認識していた。そのため、別称を考案する段になって、近江国は江州とし、遠江国を遠州とした……。

以上の筆者推測をもって近江国の検証を終了します。次は周防国の考察です。

JK版「日本歴史地名大系」(『山口県の地名』>周防国>古代>国の成立)によりますと、周防は古くは「周芳」とも記しました。ただし、「周芳」を「すは」と読んだのか、あるいは「すはう」と読んだのかは判然としないといいます。しかし、「周防」「周芳」の表記で共通するのは「周」の字ですから、この地域の特徴を示す字は「周」(あるいは「す」という音)であったと推測されます。近江のように、第2字(「江」。周防でいえば「防」)に地域の特徴を表す意が込められた可能性は低いと考えられます。では、なぜ第2字を使用して別称を「防州」としたのでしょうか?

筆者の推測は単純明快です。周州=「しゅうしゅう」(シューシュー)という気の抜けたような発音を嫌った……。以上をもって周防国の考察を終了します。次いで和泉国の検証に入ります。

「和」が頭字に来る国名は和泉国しかありません。【法則1】が適用されれば、和泉国の別称は「和州」で決定! のはずです。なお、近江の「近」、周防の「周」の字は、頭字だけでなく、第2字を含めても他国と重複しないのですが、和泉の場合は違います。第2字もあわせて検証しますと、大和国の「和」と重複しています。一方で、大和国は大隅国と頭字「大」が重複していますから、【法則2】に従って、大和国は「和州(わしゅう)」大隅国は「隅州(ぐうしゅう)」の別称が定着しています。しかし、【法則1】が適用されて和泉国の別称が「和州」となっていたら、大和=和州、大隅=大州は成立しなかったことになります。

和泉国は霊亀2年(716)に河内国のうちから和泉・日根ひねの2郡を割いて珍努宮ちぬのみやに供し、同年大鳥おおとり郡を加えて和泉監(「監」は離宮の経営・維持を目的とする行政単位)を設置したのが始まりです。天平12年(740)和泉監は廃されて、和泉・日根・大鳥の3郡は河内国に復帰しましたが、天平宝字元年(757)改めて前述3郡をもって和泉国が建置されました(以上、JK版「日本歴史地名大系」)。

ところで、和泉国の国名は国の中核であった和泉郡を採用しています。この和泉郡は、近世には「泉郡」と記されることが多いことからもわかるように、本来の意味は泉(出水)。これが地名の漢字2字政策によって、「和+泉」=「和泉」の表記となったと考えられます。前出の大和国も「和(倭=やまと)」1字が本意であったものが、漢字2字政策で「大+和」=「大和」になったと考えられます。

これらの状況を総合しますと、和泉国の別称を「和州」としても問題はないのですが、「大」字が重複する大和・大隅の両国と「和」の字が重複する和泉国の3国をセットとして捉えた場合、和泉を泉州、大和を和州、大隅を隅州とする組み合わせが、3国の地域イメージを喚起しやすい別称であり、最もバランスがとれる(和泉を和州とすれば、大和は大州、大隅は隅州となります)、と当時(国名の別称が成立・定着した時代)の畿内の官人達は感じ取っていたのではないでしょうか。

以上が和泉=泉州問題の筆者の推論となります。次回は【法則3】の例外についての考察です。

(この稿続く)

周防国は今の山口県東部に相当。【法則1】を適用すれば、別称は「シューシュー」

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