新合併特例法による市町村合併の督励(いわゆる平成の大合併)の動きも一段落したという感があります。現在、全国に市町村(地方公共団体)がどのくらいあるかご存じですか? 少し古い数字ですが、2007年(平成19)10月1日段階では1800(782市・823町・105村。東京都の特別区23区を除く)となっています(平成19年度『全国市町村要覧』市町村自治研究会編集)。
地方行政単位の制度改革(結果として市町村合併の促進)は明治以降たびたび行われました。そのなかでも特に大きな変動をもたらしたものは1889年(明治22)の市制町村制施行に伴う合併(いわゆる明治の大合併)と、第二次世界大戦後の町村合併促進法に基づく合併(いわゆる昭和の大合併)で、〈平成の大合併〉は、これらに続く大きな変動ということになります。
〈明治の大合併〉といわれる市制町村制が施行される以前の1886年(明治19)1月には全国に約7万の町村(12537町・58719村)がありました(明治20年10月刊『地方行政区画便覧』内務省地理局編纂。ただし沖縄を除く)。じつは、この町村数は江戸時代とあまり変わっていません。江戸時代後期の村や町を項目の基本とするJK版「日本歴史地名大系」の〈見出し検索〉で町村数を調べてみますと、町(後方一致)で13210件、村(同上)で67842件がヒットします。合計は8万余ですが、ヒット件数には古代・中世の町・村や、書籍刊行時の自治体名等々も含まれていますので、これらを勘案すると江戸時代後期の町村数は7万余と考えて誤りはないようです(明治の町・村とはとらえ方に若干相違がありますが)。
さて、明治22年の市制町村制の施行によって全国7万余の町村は1万5859の市町村に再編されました。激減です。さらに
1898年(明治31)には1万4289(48市・1173町・1万3068村)、
1908年(明治41)には1万2448(61市・1167町・1万1220村)、
1922年(大正11)には1万2315(91市・1242町・1万982村)、
1930年(昭和5)には1万1929(109市・1528町・1万292村)、
1940年(昭和15)には1万1498(178市・1706町・9614村)、
と、市町村数は少しずつ減少していきます(数値はいずれも前掲『全国市町村要覧』)。これに続く第二次世界大戦後の市町村数の変遷を次表にまとめました。
年月 | 市 | 町 | 村 | 合計 | 備考 |
1945(昭和20)10月 | 205 | 1797 | 8518 | 10520 | 第二次世界大戦後 |
1948(昭和28)10月 | 286 | 1966 | 7616 | 9868 | 町村合併促進法施行 |
1956(昭和31)9月 | 498 | 1903 | 1574 | 3975 | 町村合併促進法失効 |
1972(昭和47)10月 | 643 | 1967 | 677 | 3287 | この年の5月に沖縄復帰 |
1979(昭和54)4月 | 646 | 1984 | 625 | 3255 | 1979~84年は自治体の総数に変化がない |
1984(昭和59)4月 | 651 | 1997 | 607 | 3255 | 1979~84年は自治体の総数に変化がない |
1994(平成6)4月 | 663 | 1993 | 579 | 3235 | 1984年の10年後 |
2004(平成16)4月 | 695 | 1872 | 533 | 3100 | 1994年の10年後 |
2005(平成17)4月 | 739 | 1317 | 339 | 2395 | 新合併特例法施行 |
2007(平成19)10月 | 782 | 823 | 195 | 1800 |
市町村数は減少の一途をたどっていることがわかります。2007年10月の市町村数1800(782市・823町・195村)は、明治前期の町村数7万余と比べると〈大激減〉といえるでしょう。しかし、この市町村数を市町数(都市化が進んだ地域)と村数(農村地域)に区分してみると、どうなるのでしょうか。前掲の各年次の町村数からいくつかをピックアップして表にしてみました。
年次 | 市数+町数 | 比率(%) | 村数 | 比率(%) |
江戸後期 | 13210 | 16.3 | 67842 | 83.7 |
1886年 | 12537 | 17.6 | 58719 | 82.4 |
1898年 | 1221 | 8.5 | 13068 | 91.5 |
1908年 | 1228 | 9.9 | 11220 | 90.1 |
1922年 | 1333 | 10.8 | 10982 | 89.2 |
1930年 | 1637 | 13.7 | 10292 | 86.3 |
1940年 | 1884 | 16.4 | 9614 | 83.6 |
1948年 | 2252 | 22.8 | 7616 | 77.2 |
1956年 | 2401 | 60.4 | 1574 | 39.6 |
1972年 | 2610 | 79.4 | 677 | 20.6 |
1984年 | 2648 | 81.4 | 607 | 18.6 |
2004年 | 2567 | 82.8 | 533 | 17.2 |
2007年 | 1605 | 89.2 | 195 | 10.8 |
江戸後期や市制町村制施行前の1886年(明治19)の数値はともかくとして、市制町村制施行後は、市数+町数は増加を続け、〈平成の大合併〉によって、少し減少します。しかし、比率でみれば増加傾向に変化はありません。一方、〈村〉は総数、比率ともに、ひたすら減少を続けているといえます。
都道府県別でみても、2007年(平成19)10月1日段階で、〈村数0〉が栃木・石川・福井・静岡・三重・滋賀・兵庫・広島・山口・香川・愛媛・佐賀・長崎の13県、村数3以下も19府県あります。一方、村数が2桁にのるのは北海道・福島・群馬・長野・奈良・沖縄の6道県だけですから、〈村〉はすでに〈レッドデータブック〉に記載され、数十年後には、日本列島から消滅しているかもしれません。
江戸時代後期から明治期まで、市町村数からみれば、日本は農村がほぼ9割、都市がほぼ1割であったものが、第二次世界大戦後、急激に都市化が進んで(農業社会から非農業社会に変貌して)、その比率は逆転、現在は都市部がほぼ9割、農村がほぼ1割になったといえます。2005年の国勢調査における産業(大分類)別就業者数の比率は第一次産業が5.1%、第二次産業が29.2%、第三次産業が64.5%、分類不能1.2%ですから、ほぼ見合った数値といえるでしょうか。
しかし、この市町村数(および比率)を地域別に検証してみると、必ずしも日本の産業構造と見合った数値とはいえないようです。たとえば日本の人口の約3分の1が集中する関東地方における〈村〉占有率は8%、滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山の近畿地方では7.3%であるのに対して、中・四国地方の〈村〉は5.3%となっています。
これまで検討の基準としてきた〈市〉〈町〉を都市部、〈村〉を農村部とする分類方法は、正しい分類方法とはいえませんし、むしろ乱暴のきらいがあります。しかし、中・四国地方の〈村〉の比率が関東圏や近畿圏の比率より低くなっているという現状は、〈平成の大合併〉が、必ずしも地域の実状を反映した形で進められたとは限らないことを表しているのではないでしょうか。