今年11月、「
文化庁の報道発表によりますと、2011年、石州半紙とは別に「本美濃紙」の登録をユネスコに提案しましたが、石州半紙との類似性を指摘され、登録は見送られました。そこで、2013年には石州半紙・本美濃紙・細川紙をグループとし、名称も「和紙」に変更して「原料に『楮』のみを用いる等、伝統的な製法による手漉和紙の製作技術」を伝統的工芸技術として再提案、これが今年のユネスコ無形文化遺産保護条約第9回政府間委員会で正式に認められました。
石州半紙・本美濃紙・細川紙は、それぞれがすでに「手漉和紙」として国の重要無形文化財に指定されており、保持団体も認定されていました。ちなみに各保持団体は、石州半紙が石州半紙技術者会(島根県浜田市)、本美濃紙は本美濃紙保存会(岐阜県美濃市)、細川紙は細川紙技術者協会(埼玉県比企郡小川町と秩父郡東秩父村)となっています。
文化庁の国指定文化財等データベースによれば、石州半紙・本美濃紙・細川紙のほかにも「
越前奉書以下3件が今回の申請リストから漏れたのは、技術伝承の環境が整っていない、と国に判定されたのではないかと思われます。
生産量や製造技術の点でいえば、無形文化遺産に記載された3件に少しも引けをとらない越前奉書(越前和紙)の産地である福井県の県議会では、今回、越前和紙が登録されなかったことについての質疑応答があり、県知事は「技術保存団体を整備し、継承活動の実績を重ね(国指定重要無形文化財の保持団体指定を受け)、ユネスコの無形文化遺産への追加登録を目指す」旨を答弁しています(福井新聞オンライン)。
越前和紙のふるさと、福井県越前市の旧今立町岡本地区
「越前奉書」や「土佐典具帖紙」がユネスコの無形文化遺産に追加登録されるのは、そう遠い日のことではないのかもしれません。ただし、雁皮が主原料である「名塩雁皮紙」についていえば、先に挙げた「原料に『楮』のみを用いる等,伝統的な製法による手漉和紙の製作技術」という定義に抵触しますので、定義自体の見直しが必要ですが……。
ところで、「和紙」とは近代に入って洋紙(西洋紙)の製造技術が移入された後に使われだした言葉だと思いますが、ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」には「日本で昔からすいている手漉き紙をいう。主に
そこで、ジャパンナレッジの「詳細(個別)検索」で「日本歴史地名大系」を選択、「日本歴史地名大系」の基本項目である江戸時代の「町」と「村」のうち、紙漉きは村方の産業と考えて、「村」を「見出し・後方一致」の条件で入力、さらに「楮」を「全文検索」の条件で加えてand検索をかけますと、2390件がヒットしました。
予想以上のヒット数で、地方別でいえば、北海道・東北地方から九州・沖縄地方まで万遍なく分布しています。ただし、都道府県別でみると、北海道、滋賀県、沖縄県がゼロヒット。北海道と沖縄県はある程度納得できますが(両地域で紙の生産がまったく行われていなかった訳ではないのでしょうが、少なくとも特筆すべき産品とはなっていなかったことが窺えます)、滋賀県のゼロヒットは驚きでした。
次いで「三椏」(全文)と「村」(見出し・後方一致)でand検索をかけると60件がヒット。「楮」に比べると極端に少なくなります。地方別では、北海道・東北、関東はゼロヒット。中部(36件)がもっとも多く、中国(12件)、四国(9件)がこれに続いています。同様に「雁皮」では29件がヒット。地方別では四国(18件)がもっとも多く、中国(4件)、近畿、中部(各3件)と続き、北海道・東北、関東は「三椏」と同じくゼロヒットでした。
江戸期には圧倒的に楮紙の生産が盛んであったこと、学校教育などでは「コウゾ・ミツマタ」とセットで習った覚えがありますが、楮と比べると三椏の影は薄く(雁皮にいたっては、さらにその半分)、また、三椏および雁皮は主に中部地方以西で用いられたことなども垣間見えたのではないかと思います。
「楮」でゼロヒットだった滋賀県では、大津市の【
桐生の産業として今に伝わるものに雁皮紙がある。天明期(一七八一―八九)
現在も大津市
江州雁皮紙を作り続けている滋賀県大津市上田上桐生町地区
次回も「日本歴史地名大系」を道連れに「和紙の里をめぐる旅」を続けたいと思います。
(この稿続く)