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第135回 偏在には訳がある?(3)

2017年10月06日

「偏在」探しの旅シリーズの最終回は「大山祇(おおやまづみ・おおやまつみ)」の偏在です。

大山祇神(日本書紀)は、愛媛県今治市の大三島に鎮座する大山祇神社(伊予国一宮)や静岡県三島市の三嶋大社(伊豆国一宮)の祭神として知られます。

今治市の大山祇神社は海の神および武神(河野水軍や村上水軍の守護神)として、三島市の三嶋大社は農業神、また、源頼朝や鎌倉幕府の尊崇が厚かったことから武神としても信仰を集めました。ジャパンナレッジ「日本大百科全書」の【大山祇神】の項目には次のようにみえます。

記紀神話で、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子、また磐長姫(いわながひめ)・木花開耶姫(このはなさくやひめ)の父として語られる神。『古事記』で大山津見神、『伊予国風土記(ふどき)』逸文で大山積神と記す。本居宣長(もとおりのりなが)は『古事記伝』のなかで、山津見とは山津持(やまつもち)、すなわち山を持ち、つかさどる神のことであるという賀茂真淵(かもまぶち)の説を紹介している。

元来、「大山祇神」は山の神(田の神、農業神)であった可能性が高いと考えられます。「日本大百科全書」は、さらに続けて、

『伊予国風土記』逸文で、仁徳(にんとく)天皇のとき百済(くだら)国より渡来、初め摂津国御島(みしま)(大阪府三島)に座し、のち伊予国御島(愛媛県今治(いまばり)市大三島(おおみしま)町)に移り、現在の大山祇(おおやまづみ)神社に祀(まつ)られたと記し、『釈日本紀』に現在の静岡県三島市大宮町の三嶋(みしま)大社の祭神としても記している。なお、現在各地の神社に祀られている大山祇神は、それらの神話と関係なく、山の神として一般に信仰されてきた神である。

と記します。「摂津国御島(みしま)(大阪府三島)」とは現在の大阪府高槻市の淀川に面した三島江みしまえを含む一帯にあたり、この伝承から「大山祇神社」と「三島神社(御島神社)」の名称の親縁性がうかがえます。それはさておき、元来、山の神(農業神)であったと考えられる「大山祇神」が、どうして海の神や武神の側面を有するようになったのでしょうか? 

ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」の愛媛県越智郡大三島町(現今治市)の【大山祇神社】の項目にはつぎのような記述がみえます。

山神である大山祇神が、なぜ海の守護神として絶大な崇敬を受けるようになったかの過程は、資料では明らかでない。越智氏(のちの河野氏)が海上に活躍するようになり、同族の氏神として大山祇神を祭祀したことは史上に明らかであって、越智氏の発展につれて、武の神・海上の神として広く信仰されるようになった。

愛媛県今治市の大三島に鎮座する大山祇神社

越智氏の流れを汲む河野水軍の活躍によって、大山祇神社の武神・海神としての側面が強調されるようになったことがわかります。「日本歴史地名大系」は、さらに続けて、

また当社祭祀の風雨雷霆をつかさどる高靇神が庶民に厚く信仰された結果、越智氏がこの神を奉祀し、やがて神社自体が海に関係すると解されるようになったとも考えられる。ことに海に関する伝承をもつ越智氏の勢力圏が海上に確立するにしたがい、大山祇神を氏神として祭祀したため、この両者が習合されるに至ったと思われる。古代には血縁関係のない神を祖神として奉祀した例は多く、越智氏が饒速日命から出た物部氏系でありながら、大山祇神を氏神としたことは不当ではない。大山祇神が海の守護神・武の神であるとの信仰は古代末期には弘通し、当社に平安初期から鎌倉・室町・戦国・江戸の各時代を通じ、著名な武将から奉納された鎧兜・太刀などが多数あるのも、この現れである。

と記します。いずれにしても、瀬戸内海水軍の守護神であった今治市の大山祇神社や源頼朝や鎌倉幕府の尊崇が厚かった三島市の三嶋大社と、農業神として大山祇神を祀る一般諸社とは分別して考察したほうがよいかもしれません。

本題である「大山祇」の偏在に戻ります。ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択、「大山祇」と入力して「全文検索」をかけますと、883件がヒット。県別ベスト10は以下のようになりました。

新潟県=85件
愛媛県=63件
青森県=54件
高知県=44件
鳥取県=36件
佐賀県=36件
茨城県=33件
千葉県=29件
大分県=28件
奈良県=25件

伊予国一宮大山祇神社のお膝元である愛媛県や、これに隣接する高知県が上位にきていることは理解できます。伊豆国一宮三嶋大社の静岡県は番外(ヒット件数7)ですが、「三島神社」のキーワードで全文検索をかけると、1位は愛媛県の101件、静岡県は38件で、愛媛県に次いで2位となっており、納得のゆく数値といえるでしょう。

問題は新潟県と青森県(とりわけ新潟県)の突出です。スニペット表示で確認すると、新潟県では下越地方(県北東部)、青森県では津軽地方(県西部)に多いことが判明します。

青森県に関しては、津軽地方に多いことから、筆者は岩木山いわきさん神社(津軽地方の霊峰岩木山を神体山とする神社)に着目しました。「日本歴史地名大系」の【岩木山神社】の項目によれば、同社の祭神(5柱)のなかに大山祇神も含まれており、このことを一応の解答と考えました。

青森県弘前市百沢(旧中津軽郡岩木町百沢)の岩木山神社は大山祇神も祀っている

最後に新潟県の突出です。じつは、酒造業者の信仰を集める京都市右京区梅津うめづ梅宮うめのみや大社の祭神のなかに酒解神さかとけのかみが含まれていますが、同神は大山祇神と同一神とされていますから(神社新報社「日本神名辞典」など)、大山祇神は酒造王国である新潟県にふさわしいのではないかとの考えも浮かびました。

しかし、新潟県の酒造業は中越地方と下越地方が中心で、下越地方に重心を置く「大山祇」の分布とは若干の齟齬があり、しかも蔵元の所在地と「大山祇」を奉祭する神社の所在地も合致しません。

また、隣県福島県の西会津町野沢のざわに鎮座する大山祇神社の信仰圏が、広く下越地方に及んでいることも検討してみました。しかし、西会津町の大山祇神社は「日本歴史地名大系」では独立した項目として扱っていません。つまり、歴史的に特記すべき事象が少ないわけですから、「日本歴史地名大系」を基とした分布偏在に強く関与していたとは考えにくいのです。

古代から中世にかけて、下越地方に勢力を扶植した城氏・本庄氏・中条氏などの有力一族と大山祇神との関連もあたってみましたが、これといった繋がりは発見できませんでした。

結局のところ、新潟県における「大山祇」の偏在要因は見つけることができず、中越(とりわけ魚沼)地方、下越地方で盛んであった一般的な山の神信仰の一柱として「大山祇神」を奉祀していたことが主因ではないか、との推定にとどまりました。

「偏在には訳がある?」シリーズの最終回は、「偏在の訳が見つからない」で幕を引きますが、皆さんも何かしら「キーワード」を探し、「日本歴史地名大系」の偏在探しの旅に出てみてはいかがでしょうか。

(この稿終わり)