先回は、西国三十三所や坂東三十三所の観音札所巡礼の道筋が、大きく見て時計回り(右回り)であることを確認しました。巡礼道の総延長が1000kmを越える西国三十三所や坂東三十三所と比べると、総延長約80kmとスケールはかなり小さくなるのですが、秩父三十三所(三十四所)にも寄り道をしてみましょう。【秩父巡礼道】について、ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」は次のように記します。
秩父盆地に点在する三四ヵ所の観音霊場を巡る全長約八〇キロの巡礼道で、一部は秩父往還・秩父甲州往還などを利用する。秩父三十四所は秩父三十四所観音霊場とも称され、西国三十三所と坂東三十三所の観音霊場を合せ日本百観音霊場を構成する。西国一番の和歌山県那智町(現那智勝浦町)の熊野青岸渡寺から始まり、秩父三四番の皆野町水潜寺で結願する。(中略)長享二年(一四八八)の秩父札所番付では、霊場は三三ヵ所で、巡礼道は妙見宮(現秩父市秩父神社)を取巻くように構成された地域的なものであった。同番付では一番の定林寺(現秩父市)から始まり、三三番の水潜寺で終わっている。三三ヵ所の霊場が三四ヵ所になり、百観音に組込まれた時期は一六世紀から一七世紀初頭と思われる。現三〇番の荒川村(現秩父市)法雲寺に伝わる天文五年(一五三六)三月の納札には「西国・坂東・秩父百ケ所順礼」とあるが、同寺の同二四年三月一八日の納札には「秩父三十三度」とみえる。また現両神村(現小鹿野町)薄薬師堂の天正七年(一五七九)九月の秩父巡礼納札にも「秩父三十三所順礼」とあり、まだこの時期には三四ヵ所が定着していなかったことがうかがえる。しかし、寛永七年(一六三〇)の秩父三十四番水潜寺観音縁起(水潜寺蔵)では水潜寺が秩父三四番の結願所となったことが確認でき、順路が現在のように確定したのは一七世紀初頭であるといえる。旧来の三十三所に現秩父市真福寺(三十四所では第二番)が加わったことで巡礼道も変更された。変更後の順路は、従来秩父大宮郷(現秩父市)・妙見宮を中心としたものから、江戸からの道順を優先した経路となり、粥新田峠を越えた最初の四萬部寺(現秩父市)が一番となった。(中略)江戸から秩父盆地に入る道筋は粥新田峠越のほかにも幾筋かあり、釜伏峠越の場合は粥新田峠越と同じく一番四萬部寺から、正丸峠越(江戸秩父道)の場合は八番西善寺(現横瀬町)から、信州・上州からは三四番水潜寺から巡礼を始めている。(後略)
元来は秩父三十三所だったのですが一つ加えて三十四所とし、西国・坂東の三十三所とあわせ、きりのいい百観音としたようです。筆者は訪れたことはないのですが、長野県佐久市にある岩尾城跡の大永5年(1525)銘の石碑には秩父三十四番、西国三十三番、坂東三十三番と刻まれているそうですから、戦国時代、すでに「日本百観音」を巡礼する人間もいたのでしょう。
秩父三十四所の巡礼道は秩父盆地を大きく時計回りに巡る。
秩父札所の順番も当初は変遷したようですが(逆回りもあったみたいです)、17世紀以降は確定します。第1番の四萬部寺(秩父市栃谷)から第19番の龍石寺(秩父市大畑町)までは荒川の右岸を時計回りに巡ります。第20番の岩之上堂(秩父市寺尾)で荒川を渡り、第25番の久昌寺(秩父市久那)まで荒川左岸を南下、第26番の円融寺(秩父市下影森)で荒川を渡り返すと、第30番法雲寺(秩父市荒川白久)までは右岸を東から西に進み、第31番の観音院(秩父郡小鹿野町飯田)で再び左岸に出て、今度は反時計回り(左回り)に結願寺の第34番水潜寺(秩父郡皆野町下日野沢)を目指します。
31番の観音院から34番(結願寺)水潜寺までは反時計回りと記しましたし、また、第13番慈眼寺(秩父市東町)から第24番法泉寺(秩父市別所)までの部分を切り取ってみると、これも反時計回りとなります。しかし、札所の全体を大きな視点に立って点検すると、やはり時計回りに配置されているといえるでしょう。
手近に資料が確認できる、岐阜県の飛騨三十三観音、山形県の最上三十三観音・庄内三十三観音・置賜三十三観音(最上・庄内・置賜の各三十三観音に番外をあわせ「出羽百観音」巡拝も行われています)の各巡拝図を見ますと、庄内三十三観音と置賜三十三観音は順不同、飛騨三十三観音と最上三十三観音は(一部で錯綜する部分はあるものの)おおむね時計回りの巡礼道といえそうです。
寄り道ついでに先回掲げたジャパンナレッジ「国史大辞典」の【巡礼】の項目に「江戸や大坂では、六阿弥陀詣や七福神詣が行われた」とみえますから、江戸六阿弥陀巡り・大坂(大阪)七福神巡りについても確認してみます。江戸六阿弥陀の第1番は豊島村西福寺(現北区豊島)、第6番の亀戸村常光寺(現江東区亀戸)までの巡拝路は折れ線状の直線で(5番の調布市常楽院は旧地の下谷広小路=台東区で考察)、周回はしていません。大坂七福神は第何番、第何番という順番自体が付いていませんので、順不同といえます。
付け足りで京六地蔵、江戸六地蔵の巡礼道もみてみましょう。地蔵盆(現在は8月23日・24日に行われる)に家内安全・無病息災を祈願して巡る風習が残される京六地蔵は、伏見地蔵(伏見六地蔵、伏見区桃山町西町・大善寺)、鳥羽地蔵(南区上鳥羽岩ノ本町・ 浄禅寺)、桂地蔵(西京区桂春日町・地蔵寺)、常盤地蔵(右京区常盤馬塚町 ・源光寺)、鞍馬口地蔵(深泥池地蔵、北区鞍馬口通寺町東入ル上善寺門前町・上善寺)、山科地蔵(山科区四ノ宮泉水町 ・徳林庵)をいい、一般には、上記掲載順に巡拝しますが(時計回り)、どこから始めてもよく、また、逆回り(反時計回り)でも構わないようです。
地蔵坊正元が発願した江戸六地蔵は第1番品川寺(品川区南品川)、第2番東禅寺(台東区東浅草)、第3番太宗寺(新宿区新宿)、第4番真性寺(豊島区巣鴨)、第5番霊巌寺(江東区白河)、第6番永代寺(廃仏毀釈で廃寺、江東区富岡)と造立年代順に順番が付けられているのですが、巡拝の順序は別で、1番品川寺⇒2番太宗寺⇒3番真性寺⇒4番東禅寺⇒5番第霊巌寺⇒(6番永代寺)と時計回りに巡ることが定着しています。
(この稿続く)