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第143回 県内の分け方(2)

2018年06月01日

前回は、都道府県を幾つかに区分する方法として、旧国による分け方や気象庁が予報を出す地域単位=一次細分区域について考察しました。

今回は、行政的な区分を取り上げ、あわせて前回言及した旧国による区分や一次細分区域、さらに気象庁が警報や注意報を出す際に用いるより狭い区域=二次細分区域といいます=との関係などについても考察します。

ここでいう行政的区分とは、都道府県において地域庁舎を置く単位であったり、地域振興策を策定する際の単位であったりと、都道府県によってまちまちなのですが(置いていないところもあります)、北海道では総合振興局・振興局(かつて「支庁」とよんでいた機関)、岩手県では広域振興局、埼玉県では地域振興センター、静岡県では地域局、岡山県では県民局、徳島県では総合県民局……等々の名称で存在します。

この行政的区分は、都道府県内の区分方法として一定の存在感をもっている場合も多いのですが、次に述べる埼玉県のように、県民に深く浸透しているとはいえないような場合もあります。

埼玉県の場合(地域振興センター)は、県内を次の9地域に区分けしています。南部、南西部、東部、県央、川越比企かわごえひき(松山事務所管轄地域を含む)、西部、利根、北部(本庄事務所管轄地域を含む)、秩父ちちぶの9地域です。

一方、気象庁の一次細分区域では北部、南部、秩父の3区分、さらに細かな二次細分区域では、北部を東・西2地域に、南部を東・中・西の3地域にわけ、秩父はそのままで、全体を6地域にわけています。

このなかで、「秩父」地域振興センターの管轄下の地域と気象庁の「秩父地方」は合致しています。しかし、それ以外の地域では県の各地域振興センターの管轄地域と気象庁の二次細分区域の間に関連性を見出すことはできせません。

たとえば埼玉県の中央部、やや東寄りに位置する北本きたもと市の場合、県の地域振興センターの区分けでは、県央に区分され、気象庁の二次細分区域では南中部に区分されます。北本市の南西に接する川島かわしま町の場合、地域振興センターの区分けでは、川越比企に区分され、二次細分区域では北本市と同様に南中部に区分されます。

また、県の区分では南西部地域振興センターの管轄下となる朝霞あさか市、志木しき市、和光わこう市、新座にいざ市、富士見市、ふじみ野市、三芳みよし町の6市1町は、位置からいえば南西部ではなく、県南部の中央やや東寄りに位置しています。そして、気象庁の二次細分区域では6市1町すべてが北本市と同じ県南中部に属しています。

このように、埼玉県の地域振興センターの管轄地域と気象庁の二次細分区域との間の関連性は薄いことが確認できました。ただし、両者が合致している秩父地方は、郷土意識が希薄な埼玉県にあっては、郷土意識がすぐれて高い地域とされています。

埼玉県民のなかで、自分の地域が9つの地域振興センターのどの管轄下にあり、気象庁の二次細分区域ではどの地域に属しているか、二つをともに正確にあてることのできる県民は、秩父地方を除けば、きわめて少ないのではないでしょうか。

北本市は県央、川島町は川越比企で南中部。吉見町は川越比企で北西部。

埼玉県を例に取り上げて、行政的区分が県民にあまり浸透していない場合をみてきました。次に、静岡県を例にあげて、広く県民に浸透している行政的区分と旧国呼称や一次細分区域と比較してみましょう。

静岡県の場合、かつての国郡でいえば東から伊豆国・駿河国・遠江国の3か国から成り立っています。一方で、県の地域区分では東から東部・中部・西部の3区分が一般的です。

静岡県の行政的区分でいう東部は、旧伊豆国全域と旧駿河国のうち富士川以東のかつての富士郡・駿東すんとう郡を加えた地域になります。中部は旧駿河国のうち、富士川以西の5郡に旧遠江国のうち榛原はいばら郡(大井川流域から牧之原台地)を加えた地域にあたります。西部は榛原郡を除いた旧遠江国全域に相当します。

気象庁の一次細分区域では、東部が東部と伊豆に2分されて、伊豆・東部・中部・西部の4区分が採用されています。県の地域局の管轄区分でいうと、旧伊豆国の南半分を管轄下に置く賀茂かも地域局と東部・中部・西部の各地域局の4区分となっています。伊豆と東部の線引に若干違いがありますが、それを除けば東部(伊豆を含む)・中部・西部の大きな括りははっきりしており、県民にも広く浸透している分け方です。

筆者は静岡市に数年間居住していた経験があり、その経験からいいますと、伊豆出身者は自分の帰属意識は静岡県東部であると同時に旧伊豆国である、という意識をもっています。また、伊豆の南半出身者は賀茂地域局であるという意識は低く、むしろ旧伊豆国の場合、東伊豆と西伊豆という東西に二分して考える場合が多いような気がします。

御殿場市や富士市(旧駿河国で東部)出身者は静岡県東部である意識はありますが、駿河国という属性意識は希薄といえるでしょう。県中部をみますと、旧駿河国出身者は駿河国と県中部の意識が半々くらいで、やや中部の意識が強いといえるでしょうか。ただし、同じ県中部でも旧遠江国榛原郡出身者は遠江国という意識は低く、県中部の属性意識が高いといえます。

西部出身者は県西部という属性意識と旧遠江国という属性意識が双方ともに高いといえるでしょうか。ただし、あくまでも筆者の感想の域を出ていませんのでご了解ください。

静岡県では旧3か国をまとめて駿遠豆すんえんずとよぶ慣わしがあり、駿河がトップにきています。駿河が一番であり、中心であり、駿河出身者にとっては静岡県=駿河という意識も垣間見えます。遠州出身者は、この意識に反発して、自己の帰属意識として県西部であると同時に遠州だという意識を強くもっているといえるかもしれません。

次に、福岡県の場合を見てみましょう。福岡県はかつての筑前国(全郡)と筑後国(全郡)と豊前国(8郡中の6郡。2郡は大分県)の3か国から成り立っています。しかし、県内の地域区分では北九州地域、筑豊地域、福岡地域、筑後地域の4つにわけるのが一般的です。

北九州地域は北九州市とその周辺をまとめた地域で、江戸時代の国郡でいえば、筑前国遠賀おんが郡と豊前国企救きく郡・京都みやこ郡・仲津なかつ郡・築城ついき郡・上毛こうげ郡におおむね該当します(仲津郡はのちに京都郡に吸収され、築城郡・上毛郡はのちに築上ちくじょう郡となります)。

筑豊地域はかつての筑豊炭田地帯にあたり、江戸時代の国郡でいえば、豊前国田川郡と筑前国鞍手くらて郡・嘉麻かま郡・穂波ほなみ郡に該当します(嘉麻郡・穂波郡はのちに嘉穂かほ郡となります)。

福岡地域と筑後地域は県による地域区分と気象庁の一次細分区域とでは若干相違がみられます。県の地域区分ではかつての筑前国のうち、北九州地域と筑豊地域に含まれた4郡を除いた11郡が福岡地域で、旧筑後国全域が筑後地域になります。

しかし、気象庁の一次細分区域でいう筑後地域には旧筑前国のうちの上座じょうざ郡・下座げざ郡・夜須やす郡(のちに3郡を合わせて朝倉あさくら郡となる)を加えて筑後地域とし、福岡地域はこの3郡を除いた旧筑前国8郡がその範囲となっています。

福岡県の場合、のちに北九州市となる小倉・門司(旧豊前国)、戸畑・若松・八幡(旧筑前国)の一体感が強く(北九州工業地帯→北九州地域)、また、いずれも遠賀川の上流域に位置し、かつ産炭地域でもあった田川郡(旧豊前国)、鞍手郡・嘉穂郡(旧筑前国)の結び付きも強かった(筑豊地域)ことが、旧国をまたいでの地域分けが早くから根付いた原因といえるでしょう。

豊前(田川郡)と筑前(鞍手郡・嘉麻郡)の2国からなる筑豊地域。

ところで、2005年(平成17)に朝倉郡夜須町と三輪みわ町が合併して筑前町が誕生しました。筑前町の皆さんは、自身が居住している地域が、県の地域わけでは福岡地域に含まれているものの、天気予報の一次細分区域では筑後地域に含まれていることをご存知なのでしょうか。

行政的区分でいえば、近頃、面白い動きを見せた県もあります。それは岡山県です。岡山県は旧備前国・美作国・備中国の3か国からなります。気象庁の一次細分区域では北部(旧美作国+旧備中国の北部)と南部(旧備前国+旧備中国の南部)の2区分に分けられます。

これが二次細分区域になると、北部が勝英しょうえい地域、津山地域、真庭まにわ地域(以上、旧美作国)、新見にいみ地域(旧備中国)の4地域、南部は東備とうび地域、岡山地域(以上、旧備前国)、倉敷地域、井笠いかさ地域、高梁たかはし地域(以上、旧備中国)の5地域、計9地域に区分されます。

この9区分は、2005年(平成17)までの県の地方振興局の区分とおおむね合致していました。ただし、新見地域は阿新あしん地方振興局(阿哲郡と新見市)という名称でした。同年、新見市と阿哲郡の4町が合併して新たな新見市が誕生しており、二次細分地域の名称も2005年までは阿新地域、合併後は新見地域となった可能性が高いと思われます。

ところで、岡山県は2005年に地方振興局を再編し、旧国を踏襲した美作(津山に本局+勝英+真庭)、備前(岡山に本局+東備)、備中(倉敷に本局+新見+高梁+井笠)の3県民局を置くことを決めました。ただし、旧地方振興局は支局(地域事務所)として残していて、地域事務所(阿新地方振興局は新見地域事務所に名称変更)を含めると9区分体制も継承しています。いろいろと調査を重ねたうえでの決定でしょうが、旧国の繋がりが今もって続いている一例といえるかもしれません。

岡山県備中県民局新見地域事務所。

最後に山形県の場合を考察します。山形県は旧国でいえば出羽一国の南半分に相当します。内陸部を北から最上もがみ・村山・置賜おきたまの3地域に、日本海側を庄内しょうないとし、合わせて4地域に区分するのが一般的です。気象庁の一次細分区域もこの4区分で、県が置く総合支庁もこの4区分です。今まで確認してきたように、県内の区分にはさまざまな区分法があるにもかかわらず、すべてが合致している珍しい例といえるかもしれません。

最上地域は江戸時代の最上郡、村山地域は同村山郡、置賜地域は同置賜郡にあたり、庄内地域は江戸時代の田川郡と飽海あくみ郡に相当します。4区分の地域分けが江戸時代の郡域と同じというだけでなく(庄内は2郡)、江戸時代に置かれた環境も4地域でそれぞれ特色がありました。

最上郡は全域が新庄藩戸沢氏領、村山郡は江戸時代の初期は山形藩最上氏領という大藩の支配をうけましたが、幕末には山形藩(5万石)ほか天童藩(2万石)などの小藩領や幕府領が入り混じった地域でした。置賜郡は一部が幕府領や他藩領であった時期もありますが、おおむね米沢藩上杉氏領(または同藩の預地)、庄内地方は一部で幕府領もありましたが、大部分は鶴岡藩酒井氏領かあるいは同藩の支藩領(松山藩領など)でした。

新庄、米沢、鶴岡の各藩は、江戸時代前期から支配が続いており、そのことが、各地域の特色が今に色濃く残される原因かもしれませんし、この4区分が今もって有効であることの要因かもしれません。

ところで、庄内地方だけは、田川郡と飽海郡の2郡で構成されていると先にいいましたが、田川郡の中心は鶴岡市(城下町)、飽海郡の中心は酒田市(商都)です。じつは、この2市は意外と仲が悪く、ことあるごとに「酒田モンがああした」、「鶴岡モンがこうした」と角を突き合わせることも多いのです。

同じ庄内だからこそ、角を付き合わせる酒田と鶴岡。

しかし、いったん他の地域との競争、とりわけ村山地域との競争になりますと、庄内連合という強いスクラムを組んで立ち向かいます。庄内地方という小さい単位でみれば、風土の違いが目立つ鶴岡と酒田ですが、他の地域と比較すると、その共通性に気がつく、といったところでしょうか。

ここまで、都道府県のさまざまな区分方法をみてきました。どのような視点にたって区分けするか、それによって区分方法も違ってきます。歴史的風土に基づいた旧国郡による区分、気候的・地理的要素を重視する一次細分区域・二次細分区域、住民にとっての利便性が問われている行政的区分、皆さんも一度、自分の居住地がどこに属しているか、確認してみてはいかがでしょうか。

(この稿終わり)