日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
地名の由来、歴史、風土に至るまで、JK版「日本歴史地名大系」を駆使して解説します。
さらに、その地名の場所をGoogleマップを使って探索してみましょう。

第116回 梅をめぐって(2)

2016年03月04日

先回は「梅」の字がつく地名から「梅林」の2字を用いた地名(寺院名を含む)に注目しました。「梅林」があるなら「梅森」はあるか? さっそく、ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」の見出し検索(部分一致)で「梅森」を探してみましょう。……ありました。愛知県愛知郡日進にっしん町(現日進市)の「梅森うめもり村」と同所にある「梅森城跡」の2件がヒット。

梅森村の項目には「村名の起源は、村内に古くから梅林に囲まれた天神社があり、鎌倉時代頃から梅森天神(現八幡社)として親しまれたためと伝えられ」との記述がみえます。村内には梅林があって、また、天神さんとも関連が深い地名ということがわかります。

現在は住宅開発が進む日進市の梅森地区

「林」「森」とチェックしましたので、ものはついで「木」ではどうでしょうか。そこで、「梅木」と入力し、検索(見出し・部分一致)をかけますと、13件がヒット。読みは「うめき」「うめぎ」「うめのき」の3種がありました。

このうち、長野県上水内かみみのち中条なかじょう村(現長野市)の【梅木村うめきむら】の項目には「村名となった梅木は鬼無里きなさ村(現鬼無里村)へ越える岩井堂いわいどう峠下にある」との記述がみえます(鬼無里村は現長野市)。ほかのヒット項目では、特段、梅の木に関する記述はないのですが、長野市の梅木村と同様に、「梅の木」に由来する地名も含まれているのではないでしょうか。

先回記したように「梅」1字のヒット件数は223。その223件のスニペット表示などを頼りに、「梅」の字を含む2字の組み合わせをみると、ここまで取り上げた「梅林」(15件)、「梅森」(2件)、「梅木」(13件)を除くと、「梅田」の19件がダントツの1位。ほかでは「梅原」(9件)、「青梅」(8件)、「梅沢」(7件)、「梅本」(5件)、「黄梅」(5件)といったあたりがヒット数の多い項目(地名)でした。

ただし、悉皆で調べたわけではありませんので、見落としがあるかもしれません。また、「青梅」は8件のうち6件は【青梅街道】をはじめとして東京都青梅おうめ市の「青梅」地区に関連する項目、「黄梅」の5件はすべて寺院、あるいは寺院に関連する項目でした。

また、風雅な感じがする地名として「紅梅」(4件)、「梅香」(3件)、「梅園」(3件)なども目につき、2字ではないのですが「梅ヶ枝」(4件)も同様の地名といえるでしょう。

(2字の組み合わせで)もっともヒット数の多かった「梅田」といえば、多くの人々(とくに近畿圏の人々)が、真っ先に思い浮かべるのは大阪市の「梅田うめだ」ではないでしょうか。正確には大阪市北区梅田で、現在は1丁目から3丁目まであります。ジャパンナレッジ「世界大百科事典」の【梅田】の項目は下記のように記します。

大阪市北区のJR大阪駅付近の交通ターミナルを中心とする地区名。18世紀初めに大坂三郷の北端に曾根崎新地が置かれて〈キタ〉と呼ばれるようになったが,1874年大阪駅が開設された時は,西成郡曾根崎村の水田地帯であった。その後城東線(現,大阪環状線),阪神電鉄,阪急電鉄,御堂筋,地下鉄御堂筋線,路面電車などが相ついで開通して,一大ターミナルへと成長した。阪急,阪神の両ターミナル百貨店,中央郵便局,曾根崎センター街,北新地などの商店,飲食店,映画館,劇場などで構成されていた梅田の町並みは,近年急速に変化をみせている。JR大阪駅前地区における市街地改造事業が進展して,高層ビルが林立するとともに,地下商店街,地下鉄谷町線東梅田駅,四つ橋線西梅田駅が新設された。この結果,ターミナル機能の強化,ショッピング街の再編成,ビジネス・中枢管理機能の増強が進んで,都心地区としての地位を一段と飛躍させた。(以下省略)

〈ミナミ〉(難波)と並んで大阪の中心繁華街として成長し続ける「梅田」(キタ)ですが、近世以前の様子については、「日本歴史地名大系」の【梅田】の項目に記されています。

江戸時代の曾根崎そねさき村の一部をいう。江戸時代の大坂三郷曾根崎新地より北方一帯は下原したはらとよばれた低湿地で、この泥土を埋立てたので埋田といい、字面が悪いので梅田になったという。しかし寛正二年(一四六一)一二月二六日の中島崇禅寺領目録(崇禅寺文書)には「曾禰崎 平田分」のなかに「埋田之内角田」三〇〇歩がみえる。この地名が直接現在につながるとの確証はないが、角田かくだ町もあり、ここに記しておく。近松門左衛門の浄瑠璃「心中天の網島」の橋づくし、同じく「曾根崎心中」にもしじみ川に架かる梅田橋がみえる。同橋辺りの蜆川堤は梅田堤とよばれ(曾根崎心中)、同橋東方に架かるみどり橋辺りから北に向かう井路川沿いに梅田道が通った。(以下省略)

ミナミ・難波と並んで、大阪を代表する繁華街に成長したキタ・梅田の界隈。

「梅田」では19件がヒットしました。この梅田に「村」をつけて「梅田村」とし、近世村落に絞り込んだ検索をかけますと13件がヒット。ヒットした13件の村落のほとんどは、その立地などから推測すると、大阪市の「梅田」が「低湿地で、この泥土を埋立てたので埋田といい、字面が悪いので梅田になったという」と記されるのと同じように、川沿いなどの低湿地を埋め立てて成立した村落ではないかと考えられます。

あるいは、先に掲げた「梅沢」「梅原」などの地名も、低湿地の「沢」を埋め立てた、「原」を埋め立てたことに由来する可能性も十分に考えられます。

ここまで「梅」の字のつく地名の周辺を探ってきました。その結果、樹木としての梅に関連する地名(梅の林、梅の森も含めて)はもちろんですが、「埋める」が転じた地名も多いことがわかりました。また、「梅の木」「梅の林」「梅の森」が「天神さん(天神社や天満宮)の杜」に淵源することがままみられることもわかりました。

「梅」の字がつく地名と天神さんの強い結びつき……そういえば、「埋める」地名の代表選手である大阪市の「梅田」ですが、「埋め田」のもととなった湿地が所在したのは曾根崎村。その曾根崎村の産土は「露天神社つゆのてんじんしゃ」。あの「曾根崎心中」の題材となったお初・徳兵衛心中の舞台となり、「お初天神」の俗称もあります。これも「ウメ」と「天神さん」との何かの縁といえる、というのは少し強引でしょうか。

(この稿終わり)