日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
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さらに、その地名の場所をGoogleマップを使って探索してみましょう。

第74回 クルソンとカショウ

2014年07月04日

現在の山口県下関市の中央北部、旧豊浦とようら豊田とよた町と同郡豊北ほうほく町の境界に標高616.3メートルの霊峰、狗留孫くるそん山がそびえています。一名を御嶽おたけ(「おだけ」とも)といい、弥山みせんとよぶ頂上からの響灘や日本海の眺望は素晴らしく、山域は豊田県立自然公園に、山頂やその一帯は国の名勝に指定されています。

「くるそん」とは耳慣れない名称ですが、仏教の「拘留孫仏」(「狗」と「拘」、用字は両用)に由来する山名。「拘留孫」は梵語krakucchandhaの訳語で、「拘留孫仏」は「過去七仏の第四。また現代を含む賢劫(げんごう)の時代に出現するという千仏の第一仏。姓は迦葉(かしょう)、父は祀得、母は善枝、子は上勝といい、尸利沙樹下で成仏したと伝えられる。出世の時期は人寿四万歳とも五万歳とも六万歳ともいわれ、定説はない。一度の説法で解脱させた衆生の数は四万人という」といいます(以上、ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)。

西に響灘を望む山口県下関市の狗留孫山

狗留孫山の南東方8合目付近に修験の寺として名高い古刹、狗留孫山修禅しゅぜん寺があります。現在は修験当山派の流れをくむ真言宗醍醐派の別格本山。かつては狗留孫山観世音かんぜおん寺と号して、古くから観音霊場としても名を馳せ、地元長門国はもちろん、遠く筑前国や豊前国からも多くの参詣者が訪れたといいます。臨済宗を開いたことで有名な栄西ようさいが中興開山。本堂に接して観音岩とよぶ巨岩があり、同寺の縁起によれば、この観音岩は、その昔、沙羯羅しゃがら龍王(「しゃかつら」ともいい、仏法の守護神。八大龍王の一)が拘留孫仏に希って立てた塔婆の頭で、観音菩薩の化身といわれます。このあたりが「狗留孫山」の由来でしょうか。

先に「耳慣れない名称」と記しましたが、ジャパンナレッジの「詳細(個別)検索」で「日本歴史地名大系」を選択、「くるそん」と仮名入力して全文検索をかけると33件がヒットします。もちろん「全文検索」ですから重複が多いのですが、下関市のほかにも岩手県宮古市、山口県山口市(旧佐波さば徳地とくじ町)、宮崎県えびの市などの「狗留孫山」が確認でき、思ったより一般的な山名であることがわかります。奈良・三重の県境にそびえる室生むろう火山群の主峰倶留尊くろそ山の別称も「くるそん」。異称・別称を含めれば、まだほかにも多くの「くるそん」地名があるでしょう。

なお、下関市の狗留孫山を仮に「長門狗留孫」とよぶとすれば、同じ山口県の山口市徳地地区にある狗留孫山は「周防狗留孫」とよべるでしょうか。また、えびの市の狗留孫山を水源の一つとして流下する川内せんだい川の渓谷「狗留孫峡」は景勝地として広く知られています。ところで、えびの市狗留孫山の中腹岩上に鎮座する旧狗留孫山権現(現在は羽山積はやまつみ神社)の別当寺であった端山はやま寺(羽山寺とも。現在は廃寺)の縁起には次のようにあります(ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」宮崎県えびの市「羽山積神社」の項目より)。

太古、健盤竜王・娑竭羅竜王の二竜王がおり、健盤竜王は過去七仏の一である狗留孫仏に請うて石卒都婆を狗留孫山に建て大般若経を書し、狗留孫仏の石体とした。これがのち卒都婆石とよばれるようになった。また娑竭羅竜王は観音大士に請うて石卒都婆を建て法華経を書し、これがのち観音石とよばれるようになった。宋から帰国後の栄西は観音大士の導きで狗留孫山に至って石率都婆を拝し、山嶺に一祠を建立して熊野三所権現を勧請、端山寺を創建した。

娑竭羅竜王(沙羯羅龍王)、過去七仏、石卒都婆(塔婆)、観音岩(観音石)・・・・・・何か下関市修禅寺の縁起とよく似ていますね。加えて、臨済宗開祖栄西が両者ともに関係しているのは驚きです。倶留尊山を含む「くるそん」山には、巨石信仰、山岳信仰、修験霊場、あるいは観音信仰といった共通点を見出すことも可能ではないでしょうか。

日本の神祇信仰の古典的な形態の一つに磐座いわくら信仰があります。この磐座信仰の対象であった霊峰が、仏教思想が浸透するにつれて、神仏習合の典型ともいうべき修験の霊場となるのは、ある意味で必然といえます。その結果、古くからの霊峰に対して、(多くは「本地垂迹ほんじすいじゃく」の解釈を借りながら)「拘留孫仏」以外にも「阿弥陀」「釈迦」「薬師」「観音」「地蔵」「大日」「普賢」などといった仏菩薩の名が付せられていったのも、また当然の成り行きといえるかもしれません。

ところで、先に「狗留孫仏」は「過去七仏の第四」という記述がありました。過去七仏とは、ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」に「釈迦如来が世に現われるまでに出た過去の仏。毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃぶぶつ)、拘留孫仏(くるそんぶつ)、倶那含牟尼仏(くながんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の七仏の総称。釈迦牟尼仏は現在仏であるが、すでに入滅して過去に属しているとする後代の考え方によって加えられたと思われる」とみえます。

「拘留孫仏」を耳慣れないと上述しましたが、「釈迦牟尼仏」を除けば「毘婆尸びばし仏」「尸棄しき仏」「毘舎浮びしゃぶ仏」「倶那含くながん牟尼仏」「迦葉かしょう仏」の五仏も、聞きなれない仏たちです。そこで、試みに「仏名+山」の形式をとり、「毘婆尸山」「尸棄山」「毘舎浮山」「倶那含山(「牟尼」は省略しました)」「迦葉山」をキーワードに「日本歴史地名」で全文検索をかけてみました。

その結果「毘婆尸山」「尸棄山」「毘舎浮山」「倶那含山」は案の定ヒットしませんが、「迦葉山」は11件ヒットしました。これも重複を省き、山名としての「迦葉山」を探索すると、群馬県沼田市街の遥か北方、武尊ほたか山塊の南西端にそびえる迦葉山(標高1322.4メートル)に行き着きました。

「天狗の寺」として知られる群馬県沼田市の迦葉山龍華院弥勒寺

同山の南面中腹には曹洞宗迦葉山龍華りゅうげ弥勒みろく寺が伽藍を構えていますが、ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」は、龍華院について次のように記します。

本尊は観世音菩薩。寺蔵の迦葉山縁起によれば嘉祥元年(八四八)葛原親王が開基となり、延暦寺の円仁を開山に迎え迦葉山山頂に一宇を建立したのが始まりと伝える。その後、相模国最乗さいじょう寺(現神奈川県南足柄市)の五世舂屋宗能に師事し、明応七年(一四九八)当院で没した慶順(天巽)が当地に来た折に、時の当院住職慈運は慶順に帰依した。これを機に禅林に改め能登国総持寺の末となり現在地に移転、迦葉山と号するようになったという(「日本洞上聯燈録」など)。

伝説によれば、中興開山慶順の弟子中峰は迦葉仏の化身といわれ、中峰の神通力を象徴した天狗信仰が盛ん。堂内には顔の長さ五・五メートル、鼻の高さ二・七メートルの大天狗面があり、関東三天狗の一つ。養蚕・商売繁盛に霊験があるとされ、祈願のとき天狗の面を一つ求め、願いがかなえば二つにして返すという風習がある。関東一円、新潟などにも講があり、参詣者は毎年数十万に達する。

また迦葉山についても「龍華院」の項に「迦葉山は四釜しかま川源流にある流紋岩質の台状の山で、風化により奇岩なども多く、景勝地となっている。山域はほぼ龍華院の寺域で、また仏法僧の鳴く山としても「雨月物語」「名跡志」に記されるなど広く知られている。」との記述がみえます。

「関東三天狗の一つ」とみえますが、天狗には「修験道の行者。山伏」の意もあります(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)。「本尊は観世音菩薩」「風化により奇岩なども多く」といった記述も重ね合わせると、各地の「狗留孫山」に通じる雰囲気を迦葉山に見出せるのではないでしょうか。

ちなみに関東三天狗とは迦葉山龍華院のほか、高尾山薬王やくおう院(東京都八王子市)、古峰こぶはら 古峰ふるみね神社(栃木県鹿沼市)をいうのが一般的。ただし、龍華院中興開山慶順の師舂屋しょうおく 宗能そうのうが勤めた南足柄市の最乗寺(大雄山)も関東地方では天狗寺としてその名が知られ、あるいは「三天狗」より有名かもしれません。