同一市名について、先回は広島県と東京都の2つの府中市について考察しました。今回は北海道と福島県の2つの伊達市の考察です。
先発の北海道伊達市は昭和47年(1972)4月1日に
一方、後発の福島県伊達市は平成18年(2006)1月1日に、伊達郡に属していた伊達・
じつは、福島県伊達市のホーム・ページには、「伊達市の名称(北海道伊達市との関連)」というコーナー(「合併協議会だより」の一部が閲覧できます)が設けられていて、北海道の伊達市と同一市名となった経緯がわかります。
この「合併協議会だより」などによりますと、もともと合併協議会は福島県伊達郡にある全9町(前掲の5町に
しかし、先回も触れた「同一、あるいは類似の市名は避ける」という事務次官通知があり、合併協議会が福島県を通して改めて総務省に問い合わせたところ、やはり「同一市名は好ましくない」との回答を得たため、新市名公募にあたって「伊達市」は除外されました。こうして応募件数の上位10傑のなかから、小委員会は「だて市」「あぶくま市」「桃花市」「新伊達市」「伊達みらい市」の5件を選考、新市名の最終候補としました。
この公募、絞り込みの作業を行っている間に総務省の態度は軟化したようで、「同一市名となっても混乱をきたさない、という客観的根拠があり、かつ既存の市からの異論がなければ同一市名でも支障がない」という見解が出されたといいます。
新市名は「伊達市」がベストという思いが捨てきれない協議会は、北海道伊達市の意向を確認、「正式回答は得られなかったものの、事務協議によって得られた感触から」新市名として「伊達市」の使用が可能と判断したそうです。ところが、公募から絞り込んだ最終候補に「伊達市」は含まれていませんので、まず、5件の最終候補から投票で「だて市」を選び、さらに「だて市」から「伊達市」への表記変更を追加案件として提出、起立多数で可決して「伊達市」に決定したといいます。
かなりアクロバティックな手段で、新市名は決められたようです。なお、「伊達市」という新市名が決定したのち、桑折・国見の2町が相次いで協議会から離れ、最終的には前掲の伊達・梁川・保原・霊山・月舘の5町が合併して伊達市となりました。
ところで、北海道伊達市は、かつての有珠郡南西部にあたります。有珠郡は江戸時代のウス場所が管掌していた地域をもって、明治維新後の明治2年(1869)に設置されました。同年、有珠郡は仙台藩伊達氏の一門である
一方、福島県伊達市の市名由来となった旧陸奥国伊達郡は、文治5年(1189)の奥州合戦(源頼朝の鎌倉政権と奥州藤原氏の戦い)後、同合戦で戦功をあげた常陸入道念西に恩賞として与えられます。念西はそれまで常陸国
つまり、仙台藩伊達氏の一門に連なる(亘理)伊達家に市名由来を持つ北海道伊達市としては、市名の重複について許諾を求めてきたのが、宗家始祖の苗字の地である福島県伊達郡の協議会ですから、「同一市名はダメ」と無碍に断るわけにはいかない立場にあったといえるかもしれません。
こうして2つの伊達市は生まれましたが、ここには先回考察した2つの府中市の場合とは違い、監督官庁の姿勢が「同一、あるいは類似の市名は避ける」から、「同一市名となっても混乱をきたさない、という客観的根拠があり、かつ既存の市からの異論がなければ同一市名でも支障がない」ならば許容する、に変化したことが伺えます。たしかに、平成の大合併の動きが活発であった平成16年(2004)に全国の市数は700を超えましたから、「既存の市からの異論がなければ」の条件付きとはいえ、同一市名を認めることで、(同一市名が認められなかったため、かえって)おかしな市名となる、という事態を回避する方向に転換したのではないでしょうか。
ただし、この「既存の市からの異論がなければ」がなかなか厄介なようです。平成7年(1995)に茨城県鹿島町が市制施行する際、先行していた佐賀県鹿島市(昭和29年市制施行)の同意が得られず、鹿島の「島」の字を異体字の「嶋」という表記に改め、鹿嶋市となったことは広く知られています。近年では、愛知県の三好町が市制に移行しようとした際、先行していた徳島県三好市(平成18年市制施行)の同意が得られず、平成22年(2010)1月4日、まず「三好町」を「みよし町」に改称し、同日市制を施行して「みよし市」となった例もあります。
次回はこのシリーズの最終回、同一市名の避け方について考察します。
(この稿続く)