「表」という言葉には「晴れやかである」「優位」「正式に認められている=合法」といったプラスのイメージがあるのに対して、「裏」には、文字通り「うらぶれている」「劣位」「非公式=違法」といったマイナスのイメージが付きまといます。
表方に対する裏方、表口に対する裏口、表金に対する裏金、表通り・表街道に対する裏通り・裏街道……、はては裏社会という言い方もあります。
明治時代以降に使われだした言い方ですが、本州の日本海側を指し示す「裏日本」という地域呼称も、マイナスのイメージが付き纏っていて、ジャパンナレッジ「ニッポニカ」は次のように記します。
日本列島のうち、本州の日本海斜面側の地域をいう。表日本に対する語。近年、関係地域では裏日本の名称は忌避され、日本海岸地域とよばれる。
江戸時代までは、冬の降雪というハンデは少なからずあったものの、太平洋側に対して著しく劣った地域という認識はありませんでした。
実際に明治26年(1893)の道府県別人口(総務省統計局データ)でみると、新潟県の人口は170万4千余人で、2位の東京(東京市を含む東京府、160万八千余人)や3位の兵庫県(156万三千余人)といった府県を抜いて堂々の全国第1位(大阪府は131万五千余人で6位)、25位の山形県(77万7千余人)や26位の富山県(77万4千余人)は、27位の神奈川県(75万9千余人)より上位を占め、28位の石川県(75万余人)も群馬県(29位、73万6千余人)・栃木県(72万7千余人)といった北関東の諸県より上位に位置しています。現在は全国46位(2015年国勢調査)の島根県も、70万余人で全国32位に位置し、滋賀県(36位、66万8千余人)・和歌山県(37位、63万余人)・奈良県(42位、50万3千余人)といった近畿諸県より上位にありました。
ところが、鉄道網や港湾の整備、産業育成といった近代化を推進するにあたって、明治新政府は太平洋側地域を重視し、日本海側地域は大きく遅れをとりました。ここらあたりに「裏日本」という地域呼称にマイナスのイメージが生じた要因があるのかもしれません。
ここで、「日本歴史地名大系」の基本項目である近世の村項目・町項目(現在の大字・町名に相当)のうちに、「表○○村」「裏○○村」「表○○町」「裏○○町」といった項目がどれくらいあるか確認してみましょう。
ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択し、まず、前方一致で「表」、次に「かつ(AND)」で繋いで、後方一致で「村」と入力し、さらに、単なる「表村」は省くこととするので、「次を含まない(NOT)」で「表村」を部分一致で入力、検索範囲はいずれも見出しとして検索をかけますと、変更地名や奈良県五條市の「表野村」のような、「表」が「裏表の表」ではない項目を除くと3件がヒットしました。同様に検索して、「裏○○村」は5件がヒット。
このうち、埼玉県
「表○○町」と「裏○○町」のケースでは「表○○町」が3件、「裏○○町」は22件ヒットし、うち、秋田県本荘市(現由利本荘市)本荘城下の「
由利本荘市の表尾崎町・裏尾崎町。表裏のセットで現在まで残る町名は珍しい
表地名・裏地名でいえば、城下町をはじめとした近世の町場に「裏○○町」という「裏地名」が圧倒的に多いこと、兵庫県出石町(現豊岡市)出石城下の「谷山町」と「裏谷山町」のように、「裏××町」と対になる(表)町は、単に「××町」を名乗っていて、わざわざ「表××町」とは名乗らない場合が多いこともわかります。
また、「裏△△町」の立地をみますと、対となる「(表)△△町」に比べて、道幅(インフラ整備)や人通り(賑やかさ)などの点で劣っていて、やはり負のイメージは拭えないようです。
ところで、2017年2月4日配信のWeb版「産経WEST」の記事によりますと、大阪市では近頃「ウラなんば」「裏参道」「
「ウラなんば」はミナミの
「なにわ筋(府道41号)」の東側一帯が「うらふくしま」のエリア
そういえば、東京でも渋谷駅周辺の「(表)渋谷」に対して、北西に少し離れた地域で、
活気があって賑やかではあるけれど騒がしい「表」に対して、閑静で落ち着いた雰囲気の穴場としての「裏」という言い方は、山登りの対象となる山域では間々みられる呼び方です。(伯耆)
ここにあげた「劣位」ではなく、むしろ好もしい地域という意味合いが強い山域の「裏」ですが、やはり、あくまでも「表」あってこその「裏」であり、「表」と拮抗するところまではいかないようです。
ところで、筆者の知る範囲で、一箇所だけ「表」と拮抗するくらいの「裏」エリアがあります。それは、福島県会津地方の
「裏磐梯」を冠した観光施設が目立つ裏磐梯エリア
(表)磐梯=磐梯山の南側(行政区は福島県
裏磐梯の景観は、1888年(明治21年)の磐梯山大噴火と山体崩壊によって生じた流れ山地形を特徴としており、誕生から百十数年という比較的新しい自然景観です。ただし、噴火と山体崩壊の規模が非常に大きかったため、ゆったりとした様相の表側とは著しく異なって、荒々しい山容と大小300を超すといわれる湖沼群に代表される特徴ある自然景観を呈することとなりました。この際立った差異こそが、「裏」といってもマイナスのイメージをもたない、「表」の模倣ではない独立した地域に仕立てあげた要因だったといえるのではないでしょうか。
(この稿終わり)