日本歴史地名大系ジャーナル 知識の泉へ
日本全国のおもしろ地名、話題の地名、ニュースに取り上げられた地名などをご紹介。
地名の由来、歴史、風土に至るまで、JK版「日本歴史地名大系」を駆使して解説します。
さらに、その地名の場所をGoogleマップを使って探索してみましょう。

第127回 表と裏の地名

2017年02月10日

「表」という言葉には「晴れやかである」「優位」「正式に認められている=合法」といったプラスのイメージがあるのに対して、「裏」には、文字通り「うらぶれている」「劣位」「非公式=違法」といったマイナスのイメージが付きまといます。

表方に対する裏方、表口に対する裏口、表金に対する裏金、表通り・表街道に対する裏通り・裏街道……、はては裏社会という言い方もあります。

明治時代以降に使われだした言い方ですが、本州の日本海側を指し示す「裏日本」という地域呼称も、マイナスのイメージが付き纏っていて、ジャパンナレッジ「ニッポニカ」は次のように記します。

日本列島のうち、本州の日本海斜面側の地域をいう。表日本に対する語。近年、関係地域では裏日本の名称は忌避され、日本海岸地域とよばれる。

江戸時代までは、冬の降雪というハンデは少なからずあったものの、太平洋側に対して著しく劣った地域という認識はありませんでした。

実際に明治26年(1893)の道府県別人口(総務省統計局データ)でみると、新潟県の人口は170万4千余人で、2位の東京(東京市を含む東京府、160万八千余人)や3位の兵庫県(156万三千余人)といった府県を抜いて堂々の全国第1位(大阪府は131万五千余人で6位)、25位の山形県(77万7千余人)や26位の富山県(77万4千余人)は、27位の神奈川県(75万9千余人)より上位を占め、28位の石川県(75万余人)も群馬県(29位、73万6千余人)・栃木県(72万7千余人)といった北関東の諸県より上位に位置しています。現在は全国46位(2015年国勢調査)の島根県も、70万余人で全国32位に位置し、滋賀県(36位、66万8千余人)・和歌山県(37位、63万余人)・奈良県(42位、50万3千余人)といった近畿諸県より上位にありました。

ところが、鉄道網や港湾の整備、産業育成といった近代化を推進するにあたって、明治新政府は太平洋側地域を重視し、日本海側地域は大きく遅れをとりました。ここらあたりに「裏日本」という地域呼称にマイナスのイメージが生じた要因があるのかもしれません。

ここで、「日本歴史地名大系」の基本項目である近世の村項目・町項目(現在の大字・町名に相当)のうちに、「表○○村」「裏○○村」「表○○町」「裏○○町」といった項目がどれくらいあるか確認してみましょう。

ジャパンナレッジの詳細(個別)検索で「日本歴史地名大系」を選択し、まず、前方一致で「表」、次に「かつ(AND)」で繋いで、後方一致で「村」と入力し、さらに、単なる「表村」は省くこととするので、「次を含まない(NOT)」で「表村」を部分一致で入力、検索範囲はいずれも見出しとして検索をかけますと、変更地名や奈良県五條市の「表野村」のような、「表」が「裏表の表」ではない項目を除くと3件がヒットしました。同様に検索して、「裏○○村」は5件がヒット。

このうち、埼玉県岩槻いわつき市(現さいたま市岩槻区)の表慈恩寺おもてじおんじ村と裏慈恩寺村はセットでした。

「表○○町」と「裏○○町」のケースでは「表○○町」が3件、「裏○○町」は22件ヒットし、うち、秋田県本荘市(現由利本荘市)本荘城下の「表尾崎おもておざき町」と「裏尾崎町」、東京都千代田区の「表神保おもてじんぼう町」と「裏神保町」の2組がセットでした。

由利本荘市の表尾崎町・裏尾崎町。表裏のセットで現在まで残る町名は珍しい

表地名・裏地名でいえば、城下町をはじめとした近世の町場に「裏○○町」という「裏地名」が圧倒的に多いこと、兵庫県出石町(現豊岡市)出石城下の「谷山町」と「裏谷山町」のように、「裏××町」と対になる(表)町は、単に「××町」を名乗っていて、わざわざ「表××町」とは名乗らない場合が多いこともわかります。

また、「裏△△町」の立地をみますと、対となる「(表)△△町」に比べて、道幅(インフラ整備)や人通り(賑やかさ)などの点で劣っていて、やはり負のイメージは拭えないようです。

ところで、2017年2月4日配信のWeb版「産経WEST」の記事によりますと、大阪市では近頃「ウラなんば」「裏参道」「裏天満うらてんま」「うらふくしま」といった「裏」を名乗るエリアが人気スポットになっているそうです。

「ウラなんば」はミナミの難波なんば(中央区)から日本橋にっぽんばし(同区)の間の千日前せんにちまえに広がる地域、「裏参道」はキタの露天神つゆてんじん社(北区曾根崎そねざき、通称・お初天神)北側にある「お初天神裏参道」、「裏天満」は天満市場(北区池田町)の裏側一帯のエリア、「うらふくしま」は福島区内の「なにわ筋」東側一帯、西梅田の西にあたる路地の多い地域をさすそうで、いずれも「おしゃれでディープ」な地域ということで脚光を浴びているといいます。

「なにわ筋(府道41号)」の東側一帯が「うらふくしま」のエリア

そういえば、東京でも渋谷駅周辺の「(表)渋谷」に対して、北西に少し離れた地域で、かしら通りの西方にあたる一帯が「奥渋谷」、「(表)渋谷」からは西方に離れ、京王井の頭線神泉しんせん駅の周辺は「裏渋谷」とよばれ、活気はあるけれど「喧騒」が付いてまわる「(表)渋谷」とは違って、落ち着いた雰囲気の大人のスポットとして注目されています。

活気があって賑やかではあるけれど騒がしい「表」に対して、閑静で落ち着いた雰囲気の穴場としての「裏」という言い方は、山登りの対象となる山域では間々みられる呼び方です。(伯耆)大山だいせん(鳥取県)では、西側が「表大山」、東側が「裏大山」、妙義みょうぎ山(群馬県)では南東側の「表妙義」に対して北西側が「裏妙義」、北アルプスの表銀座(つばくろ岳-大天井おてんしょう岳-西岳から槍ヶ岳のルート)に対する裏銀座(烏帽子えぼし岳- 野口五郎のぐちごろう岳- 鷲羽わしば岳-三俣蓮華みつまたれんげ岳- 双六すごろく岳から槍ヶ岳のルート)も広く知られています。

ここにあげた「劣位」ではなく、むしろ好もしい地域という意味合いが強い山域の「裏」ですが、やはり、あくまでも「表」あってこその「裏」であり、「表」と拮抗するところまではいかないようです。

ところで、筆者の知る範囲で、一箇所だけ「表」と拮抗するくらいの「裏」エリアがあります。それは、福島県会津地方の磐梯ばんだい山の「裏磐梯」エリアで、「表」あってこその「裏」という点では変わらないのですが、景観が「表」とは一変することから(前掲の伯耆大山とやや似通っています)、地域の人々も「裏」を前面に押し出してアピールしています。

「裏磐梯」を冠した観光施設が目立つ裏磐梯エリア

(表)磐梯=磐梯山の南側(行政区は福島県耶麻やま猪苗代いなわしろ町)の観光協会は「猪苗代観光協会」で、日本で4番目に大きい湖である猪苗代湖とセットで磐梯山の魅力を売り込んでいます。一方、裏磐梯=磐梯山の北側(行政区は福島県耶麻郡北塩原村)の観光協会はそのものズバリ「裏磐梯観光協会」で、五色沼や桧原湖などの湖沼群や高原(磐梯高原とも裏磐梯高原ともよばれます)の魅力を発信しています。

裏磐梯の景観は、1888年(明治21年)の磐梯山大噴火と山体崩壊によって生じた流れ山地形を特徴としており、誕生から百十数年という比較的新しい自然景観です。ただし、噴火と山体崩壊の規模が非常に大きかったため、ゆったりとした様相の表側とは著しく異なって、荒々しい山容と大小300を超すといわれる湖沼群に代表される特徴ある自然景観を呈することとなりました。この際立った差異こそが、「裏」といってもマイナスのイメージをもたない、「表」の模倣ではない独立した地域に仕立てあげた要因だったといえるのではないでしょうか。

(この稿終わり)