先回はヤマトタケルが亡き弟橘媛(弟橘比売)を偲び「あづまはや」と歎いた地がたくさんある? というところで終わりました。その候補地となっている、静岡・神奈川県境の
まず、「古事記」の足柄峠(足柄坂)は、古代の官道である東海道の経路にあたり、「日本書紀」の碓氷峠(碓日嶺)は東山道の経路にあたるという大きな違いがあります。
ここにいう東海道・東山道は古代の官道であると同時に、また、律令制下における地域行政区分でもあります。以下、両道の所属国をあげますと(括弧内は現在の都道府県名)、まず東海道は、
伊賀・伊勢・志摩(三重県)、尾張・三河(愛知県)、遠江・駿河・伊豆(静岡県)、甲斐(山梨県)、相模(神奈川県)、武蔵(神奈川県・東京都・埼玉県)、安房・上総(千葉県)、下総(千葉県・茨城県)、常陸(茨城県)
となります。次いで、東山道に所属する国々は
近江(滋賀県)、美濃・飛騨(岐阜県)、信濃(長野県)、上野(群馬県)、下野(栃木県)、武蔵(神奈川県・東京都・埼玉県)、陸奥(福島県・宮城県・岩手県・青森県)、出羽(山形県・秋田県)
となります。なお、武蔵国を東海道・東山道の両道であげたのは、当初、東山道に所属していた同国が、宝亀2年(771)に東海道に所属替えとなったからです。
ここで、ヤマトタケルの東征経路について、尾張を起点にたどってみますと、「古事記」では、
尾張・(三河)・(遠江)・駿河・相模・(上総)・常陸・(武蔵)・相模・甲斐・信濃・尾張
となり、「日本書紀」では、
尾張・(三河)・(遠江)・駿河・相模・上総・陸奥・常陸・甲斐・武蔵・上野・信濃・美濃・尾張
となります(括弧内の国名は、記紀に具体的な地名・国名の記載はないものの、筆者が推測する通過経路)。
「古事記」の経路にあたる国々は、武蔵(筆者の推測。当初は東山道に属していたので、東山道でカウント)・信濃を除くと、すべて東海道に属する諸国です。一方、「日本書紀」の場合、「古事記」と重複する東海道諸国のほかに、東山道に属する陸奥・武蔵・上野・信濃・美濃の国々が登場します。
「古事記」におけるヤマトタケルの東征譚は、のちに東海道諸国となる地域勢力との角逐が肝であり、「日本書紀」のそれは、これに東山道諸国を加えたもの、といえるのではないでしょうか。
ここまで、足柄峠(足柄坂)は東海道、碓氷峠(碓日嶺)は東山道という相違について記してきましたが、一方で、両峠には共通点も多々みられます。
まず、畿内を起点にすると、東海道の足柄峠の手前の駅は駿河国
また、先回にも引用しましたが、昌泰2年(899)9月19日付太政官符(類聚三代格)によれば、
足柄・碓氷の両峠は東海道と東山道という所属に違いがあったものの、坂東(現在の関東地方)にとって非常に重要な地であった、といえるでしょう。こう考えますと、ヤマトタケルが「あづまはや」と歎いた地の候補として、足柄・碓氷の両者は甲乙つけがたいのではないでしょうか。
次に鳥居峠について検討します。鳥居峠は碓氷峠の北方、現在の群馬県
ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」の【吾妻郡】(群馬県)の項目は、「日本書紀」の碓日嶺における日本武尊の説話に触れたあとに「郡の西側には日本武尊を祀る山(四阿山・吾嬬山など)が多く、郡名の起源とされる」と記し、ヤマトタケルとの関連に言及しています。
吾妻郡の郡名が、ヤマトタケルの伝説と結びついて「吾妻」の表記となった可能性はあると思います。しかし、だから、ヤマトタケルの歎きの地が鳥居峠である、というのは本末転倒ではないか、と筆者は考えます。
四阿山と湯ノ丸山の中間に位置する鳥居峠
鳥居峠越えの道について、古代の史料にみえないこと、さらにさかのぼって古墳分布などを考慮しても、このルートが早くから開けていたとは考えられませんから(何事も断定はできませんが)、筆者の推測は以下のようになります。
「吾妻郡」の表記はヤマトタケルと関連が深い。だから、
筆者の考え方では、ヤマトタケルの歎きの地の候補として、足柄峠・碓氷峠に比べると、鳥居峠は弱いのですが、吾妻郡では現在でも広く支持されているようです。高原キャベツの特産で知られる吾妻郡嬬恋村は明治22年(1889)に
(この稿続く)