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第164回 旧国名を名乗る市町村(2)

2020年03月06日

先回は、平成の大合併で新しく誕生した市町村の名称について、合併前の町村名から一字ずつとって新名称としたケースやひらがな・カタカナの市町村名などについて、批判的に(?)検討してみました。

実際には、批判というより、各々の事情もある程度は納得が行くのではないか、といった塩梅になりました。今回は、下野市(栃木県)、甲斐市(山梨県)、飛騨市(岐阜県)、丹波市(兵庫県)、さぬき市(香川県)など、旧国名を採用したケースについての検討です。

(なお、前回と同様、記述はジャパンナレッジの「日本歴史地名大系」や「角川日本地名大辞典」を参照して進めます。)

平成の大合併で、新市町村名に旧国名を採用したケースは20件以上あり、すでに旧国名を用いていた自治体と合わせると、現在、40以上の市町村が旧国名を名乗っています(国名の前に上・中・下などが付いている場合はカウントせず、相州、芸州など国の別称はカウントしました)。旧国の数は「六十余州」ですから、約3分の2の国名が現行市町村名に採用されていることになります。

ところで、自治体名に旧国名を採用することは、すでに、明治22年(1889)の「明治の大合併」から始まっています。この時、山形県出羽村(現山形市)、愛知県尾張村(現小牧市)、大阪府河内村(現河南かなん町)、和歌山県紀伊村(現和歌山市)、山口県周防村(現光市)の5か村(目視作業でのカウントですから、遺漏があるかも知れません。以下同)が誕生しました。しかし、この5か村も、昭和28年から同36年(1953~61)の「昭和の大合併」までに、合併・編入によってすべて消滅しました。

一方で、「昭和の大合併」では、三重県伊勢市、高知県土佐市、宮崎県日向市など、現在まで続いている市名のほかに、「平成の大合併」で消滅した千葉県下総町(現成田市)、滋賀県近江町(現米原市)、島根県石見町(現邑南おおなん町)、佐賀県肥前町(現唐津市)など、合わせて25以上の新市町村が、旧国名をその名称に採用しています。

「平成の大合併」が活発化する直前、平成12年(2000)段階では、全国で30以上の市町村が旧国名を名称に使用しており、市町村が旧国名を名乗ることは、けっして新しい現象とはいえないようです。

ところで、旧国名を市町村名に採用することに対して、律令制下において、国の中心地域でもないのに旧国名を名乗ることは僭越ではないか? といった批判も多くあるようです。

現在、旧国名を名乗る市町村のうち、新潟県佐渡市、長崎県壱岐市、同対馬市の3市は旧国の版図と新市の版図が合致しており、まったく問題がありません。また、三重県の志摩市と伊賀市も、旧国の過半を新市域とし、加えて市域には国の中核であった国衙(国府)所在地(推定地)も含まれており、これも文句のつけようがありません。福井県越前市や大阪府和泉市も市域にそれぞれ越前国、和泉国の国衙所在地が含まれており、多いに合点が行きます。

このあたりに古代和泉国の国府が所在したといわれる

岐阜県美濃市、岡山県備前市は、それぞれ美濃紙、備前焼の古くからの産地であることを市名由来の一つにあげています。その理由にある程度納得が行くのですが、国名を名乗る根拠としてはそれほど強くない、といえるでしょう。

三重県伊勢市、島根県出雲市の場合、市域に国衙所在地は含まれていないのですが、国を代表する伊勢神宮、出雲大社が含まれており(出雲市の場合、市制施行時には含まれていませんでしたが、その後市域を拡大して含まれるようになりました)、国名とは別の意味合で納得が行きます。

栃木県下野市の場合、国府機能を担う施設の一つである国分寺・国分尼寺の跡地が存在することが市名の由来ですが、国衙跡は思川を挟んだ対岸の現栃木市域にあって、国名を名乗るには今一つインパクトに欠けるのではないでしょうか。

鳥取県伯耆町の場合、大山だいせん(伯耆大山・伯耆富士)の西麓に位置して大山の眺望に優れていることが町名の由来といいますが、山頂を含む大山の核心部は現大山町域ですので、伯耆という国名を名乗る根拠としてはかなり希薄といえるでしょう。

伯耆町の町名由来となった大山(伯耆富士)。しかし、頂上は大山町域である

ほかの国名を名乗る市町村も、筆者の知る限りでいえば、多くの場合、あえて国名を名乗るような根拠は希薄で、僭越な称号(僭称)である、という誹りは免れないのではないか、と思われます。

ところで、福岡県はかつて筑前、筑後、豊前(一部)の3か国で構成されていましたが、現在、豊前市、筑前町、筑後市があって三役揃い踏みの様相を呈しています。ほかにも加賀市、能登町(石川県)、越前市、越前町、若狭町(福井県)、甲斐市、甲州市(山梨県)、伊豆市、伊豆の国市(静岡県)、飛騨市、美濃市(岐阜県)、伊勢市、伊賀市、志摩市(三重県)、摂津市、和泉市(大阪府)、播磨町、淡路市、丹波市(兵庫県)、備前市、美作市(岡山県)、壱岐市、対馬市(長崎県)、土佐市、土佐町(高知県)などで、一県内に複数の国名を名乗る自治体が存在しています。

このうち、福井県の越前市、越前町、高知県の土佐市、土佐町は、重複とはいえ、一応、市名と町名に分かれています。しかし、山梨県の甲斐市と甲州市、静岡県の伊豆市と伊豆の国市は、お互いに市名同士、まさしく「がっぷり四つ」の様相です。「がっぷり四つ」に組み合う静岡県と山梨県の4市ですが、いずれも、先に「あえて国名を名乗るような根拠は希薄」な市町村として片付けました。

南北に接している静岡県の「伊豆の国市」と「伊豆市」

しかし、甲州市の市名は、全国に知れわたっている「甲州ブドウ」「甲州ワイン」の主産地であることが由来といいますから、先にあげた美濃焼の美濃市、備前焼の備前市と同様、「その理由にある程度納得が行く」と思います。また、伊豆の国市の場合、市域に、源頼朝が流された「蛭が小島(蛭島)」、室町幕府が関東公方として派遣した足利政知の居所・堀越ほりごえ御所、戦国期に伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆国経営の拠点とした韮山にらやま城、江戸時代には世襲代官江川家の陣所(韮山代官所)などが所在しており、中世~近世における伊豆国の要所であったことは間違いのないところです。

これに対して、甲斐市、伊豆市は先述したように「あえて国名を名乗るような根拠は希薄で、僭越な称号(僭称)である、という誹りは免れないのではないか」、と思われます。筆者は、甲斐市VS甲州市では甲州市に、伊豆市VS伊豆の国市では伊豆の国市に、それぞれ軍配をあげたいと思う次第です。

(この稿終わり)