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第53回 東京都の区名あれこれ(2)

2011年07月08日

先回は東京都23区のうちで、来年、誕生80周年を迎える区が数多くあること、23区は誕生の経緯によって幾つかにグループ分けができること、などについて記しました。そして、区誕生の経緯の違いによって、区名にどんな傾向性がみられるか? について探ることを課題としたところで話は終わりました。

そこで、昭和22年(1947)の22区体制成立までの経緯によって22区を幾つかに分類し、新区誕生前(合併前)の旧区・旧町村名、新区名の由来(主にJK版「日本歴史地名大系」の記述を要約)などを一覧表(下掲)にまとめてみました(表には22区体制成立の直後に板橋区から分離独立した練馬区も加えてあります)。

22区体制までの経緯新区名合併前の旧区・旧町村名新区名の由来
22区体制移行に際し、旧35区が合併して誕生した区江戸府内旧15区同士千代田麹町区神田区江戸城の別称
中央日本橋区京橋区位置的な特徴
芝区麻布区赤坂区地域の特性
文京本郷区小石川区地域の特性
台東下谷区浅草区位置的な特徴
江戸府内旧15区と新20区江東深川区・城東区位置的な特徴
墨田本所区・向島区自然地名(河川名)
新宿四谷区牛込区・淀橋区内藤新宿
新20区同士王子区・滝野川区位置的な特徴
大田大森区・蒲田区旧区名から1字ずつ
品川品川区・荏原区合併前の中心的な区名
昭和7年に誕生し、22区体制移行後も継続した区葛飾新宿町・本田町・金町・奥戸町・南綾瀬町・水元村・亀青村旧郡名
江戸川小松川町・小岩町・松江町・葛西村・篠崎村・鹿本村・瑞江村自然地名(河川名)
足立千住町・西新井町・梅島町・伊興村・江北村・綾瀬村・淵江村・東淵江村・舎人村・花畑村旧郡名
荒川南千住町・日暮里町・尾久町・三河島町自然地名(河川名)
豊島巣鴨町・西巣鴨町・高田町・長崎町旧郡名
板橋板橋町・上板橋村・赤塚村・志村・(練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村)合併前の中心的な町村名
中野中野町・野方町合併前の中心的な町村名
杉並杉並町・和田堀町・高井戸町・井荻町合併前の中心的な町村名
渋谷渋谷町・千駄ヶ谷町・代々幡町合併前の中心的な町村名
目黒目黒町・碑衾町合併前の中心的な町村名
世田谷世田ヶ谷町・駒沢町・松沢村・玉川村・(砧村・千歳村)合併前の中心的な町村名
22区体制成立後に誕生した区練馬練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村合併前の中心的な町村名

※青字は旧15区、赤字は現在に続く新区名の由来となった旧区・旧町村。「合併前の旧区・旧町村名」欄で、板橋区の( )内は、のちに練馬区として分離独立した町村。同じく世田谷区の( )内は昭和7年の世田谷区成立後に同区に編入された村。

 

一覧表を見て、まず目につくことは、昭和7年(1932)の35区体制(大東京)成立の時に誕生し、現在まで続いている区(計11区)では、合併前の町村のなかで中心的な町の名称をそのまま区名に用いた場合が多いことです。板橋・中野・杉並・渋谷・目黒・世田谷(世田ヶ谷)と、過半の6区にのぼります。次いで旧郡名(葛飾・足立・豊島の3区)、自然地名(江戸川・荒川の2区)の順になっています。

一方、第2次世界大戦後の昭和22年に22区体制に移行した折に、それまでの35区同士の合併によって誕生した区(計11区)では、位置的な特徴(中央・台東・江東・北の4区)や地域の特性(港・文京の2区)といった、どちらかといえば抽象的な区名が過半の6区にのぼります。あとは区内の代表的な地域の旧称が2区(千代田・新宿)で、自然地名(墨田)・旧区名から1字ずつ(大田)・合併前の中心的な区名(品川)が各1区ずつとなっています。

22区体制移行時に合併をしなかった区は、区域の西郊・東郊といった周辺部に多いこと、一方で中心部では、旧15区とよばれた明治時代以来の区がすべて消滅したように、合併によって新しい区となったケースが多いことがわかります。

ここで、22区体制移行時に合併をしなかった11区(周辺部)のうち、もっとも多い例である「合併前の町村のなかで中心的な町の名称をそのまま区名に用いた場合」を考察してみます。これらの地域では、区が成立する以前は町・村が混在し、市街化の進捗度にまだまだバラツキがありました。このため、中心的な役割を担う町が比較的はっきりしており、その町名を区名に引き継がせることに抵抗が少なかったと思われます。

これに対して中心部では、古くから市街化が進んでいて、A区・B区のどちらを中心とみるか? あるいはC町・D町・E町が拮抗し、どの町名を新区名として継承させるか? といった難題に判定が下しにくかったことが想像されます。このため「位置的な特徴」や「地域の特性」といった抽象的な区名を採用したケースが多かったのではないでしょうか。

ちなみに、「位置的な特徴」としてあげた「台東」の場合は、上野の高台(台)とその東に展開する低地(浅草)に開けた地であることと、「台東」の言葉に「衆人が集まって栄える場所」の意があることから付けられた区名といいます。同じく「江東」は隅田川(江)の東の意。また「地域の特性」としてあげた「港」は、日の出・竹芝・芝浦といった、当時の東京港を代表する桟橋・埠頭を抱えていたこと、「文京」は、その頃区内に東京帝国大学(現東京大学)・東京高等師範学校(現筑波大学)・東京女子高等師範(現お茶の水女子大学)・東京医科歯科大学など、各分野における最高学府が集中する文教地区(文)のイメージを表したことが区名由来とされています。

ところで、来年誕生80周年を迎える区のなかにも、合併前の中心的な町の名称ではなく(中心となる町を決められなくて)、合併前の町村が所属していた旧郡名を区名に採用した区が3区あります。葛飾・足立・豊島の3区です。次回はこの旧郡名3区を考察してみましょう。

 

(この稿続く)

上野台地の一帯(旧下谷地区)と、その東方の低地(旧浅草地区)からなる台東区

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